はてなキーワード: ネガとは
はてサリンチに大賛同のスターを乱舞させていたような「浅ましい仲間」のd:id:kyo_ju、その後開き直ったように「脳の失敗」タグを濫用していたような同氏のような「悪口雑言で悪目立ちすることを自己承認の手段とする」キャラクターへの懐疑もあり、増田で書いているのである。
増田で書こうがどこで書こうが、論旨を批判されるならされればよい。それが出来ないのは、魔女狩りの相手を吊し上げにくいというだけのはてサ紅衛兵の自己都合に過ぎまい。
元増田のプロファイルとポの捜査から考えると、要はid:letterdustとid:ohkami3が同一人物で
id:Midasやd:id:HALTANを執拗に中傷しまくっていて、それを影からid:kyo_juが支援していたってことか。。
id:ohkami3と同一人物だったid:letterdustに限っては
自分が批判されて立場が危うくなると
後だしじゃんけんで「あたしADHDなの。何やってもいいの」と言い出し議論をムチャクチャにして、
そこにナイスタイミングでオフ会のメンバーだったid:y_arim(また有村か)とid:kyo_juが
後出しじゃんけんで「あたしADHDなの。何やってもいいの」と言っている様なid:letterdustを擁護し始めた、と。
元増田のプロファイルとポの痛烈な批判記事にid:y_arimは尻尾を巻いて逃げ、id:kyo_juははてブで詭弁を働いている、と。
今まではてブのネガ米ネガタグに悩まされてきた俺としては許せない事件だ。
有村もそうだよな。死ね氏ね言ってるもんな。「脳の失敗」並に傷つくんだよこっちは
オフ会?何だそれ?ただはてブで誹謗中傷したがってる奴らが手組んで擁護しあってるだけなんだろ。つぶれろつぶれろ
おまえらサイテーなんだよ
この世の中、思い通りにならないことばかりだし、苦しみや絶望の連続である。そんなどうしようもない世の中を、とりあえず生き続けているだけで十分にすごいことで、うまくいかなくて当然だ、と。
えーと、ネガティブ思考って、ねたんだりそねんだり何かのせいにしたりしないかなぁ。「うまくいかなくて当然」って形で要求水準を下げるなり、過酷な現状を受け入れるなり、できている時点で、ネガティブ云々とは違うように思う。ブクマコメントにもあったけど、仏教的な生きる知恵として実用的だと思う。
言い換えると、「要求水準下げて、気持ち落ち着いたところで、考える力を取り戻そう」って提案じゃないのかなぁ。
私の中では、上記のように別れています。ネガ・ポジに関して。問題にぶつかった時に、性格が明るくても暗くても前向きでも後ろ向きでもとにかく解決できるなら、考える力が働いていると思います。だから、ポジティブに含めていいかなと。
一方、問題にぶつかって、解決できなくて、解決できないこと(今は手札がないこと)を受け入れて「保留」にして、他の問題にとりくめるなら別なんだけど、解決できない上に、堂々巡りしてしまうズブズブ感はネガティブに分類できるんじゃないかなぁ。
以上、びっくりしたので、感想書きました。
元増田。
それこそmixiとかブログとかでこんなぐだぐだ書いてもあんまり反応ないのにふと殴り書いた増田でいっぱいブクマコメとか来て俺歓喜。みんなありがとう。
増田の良いところは、こういうことをストレートに書けて、さらにみんなからストレートに反応してもらえる点だと思う。
自分はmixiはリアルの友達内だけでやる使い方をしているので、こういうことはストレートに書けないし、書いても悪く言えば馴合い的な、ストレートでないコメントしか返ってこないと思う。
やさしく撫でてもらうのは気持ちいいが、そればかりでは満足しない。ストレートに殴ってくれる方が気持ちいいときもあるものだ。匿名の利点。
もっとも、ストレートに自分の思いを言えてストレートに打ち返してくれるほどに信頼の深い友人がいないのが問題だといえば、もちろんそうなのだが。そのあたりは努力しつつあるので許してほしい。
「ポジティブなことばかりじゃなくて、ネガティブな面も少しはさらけ出したほうが共感が得られる」というのは、確かにそうだと思う。
誰だって、少し影があるくらいが魅力がある。
問題はその程度で、「少しくらいの影」を通り越して「どろどろの闇黒」くらい、ちょっと引いちゃうような鬱日記を書いたりしちゃうから始末に負えない。
昔「素直すぎるよね」と言われたが、要はそういうことなのだ。自分は思ったことを素直に晒しすぎる。最近気づいた。
人との係わり方をうまく心得ている人は、意識するしないにかかわらず、「影の作り方」というのを心得ているように思う。どこまでのネガティブをさらけ出せばそれが魅力になるのか。それがうまいひとは、自然と人とのかかわりもうまくいく。
素直なのも良いことだが、この件に関しては、自分はもうちょっと意識してコントロールしないといけないなと思う。自戒。
「書き込みの内容よりもまず根本的に内在するネガティブ要素を解決すべきだ」というのは、もうまさにそのとおり。
ただ、それができていないからこそ、ついつい日記で愚痴ってしまうわけで。
とりあえずはネガティブな心情の吐露を意識してコントロールしつつ(対症療法)、同時に根本的なネガティブ要素を解決する(根本治療)という両者の作業が必要だ。
もっとも、根本的ネガティブ要素は人の心にこびり付いた錆のようなもので、往々にして解消しきれるものではない。精神の闇黒は根治しえない我が人格の一部でもある。
だからこそ、自己の精神に巣食うネガティブな要素に振り回されないように共存する、という努力も大切になってくる。それができるということが、「ネガポジ含めて面白可笑しく相対化」するということなのだろう。難しいがこれができると一番心は楽になる。
「ネガティブを溜め込むのは、自分の精神によくない」というのは、事実。我慢しきれなくて溢れたのを書くのだから。
かといって、他人に向かって「ネガティブ」を吐きつけてから「だって仕方ないじゃない、私はこんなに苦しいの!」と言っても通るものではない。比較的ポジティブな人間にとって、いきなりぶつけられる他人のネガティブは、言ってしまえばたしかに「うざい」。
溜め込み切れなかった分は、チラシの裏なり増田なり壺にでも吐きつけてしまうのが一番いい。他の増田にはいい迷惑だが。
そういうわけで、自分のなかのネガティブとの付き合い方は、おおむね感じになるのではないかと自分の中で納得した。
頭で分ってちゃんと実行できればいうことはないのだが。
ちょっともやもやしてたのがすっきりした。
42 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:30:14 ID:z2zMK6/C0
一致団結って奴だな。だって私達みんな・・・仲間だもんげ!
46 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:31:07 ID:z2zMK6/C0
×もんげ
○もんね
47 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:31:31 ID:qRcAMw0H0
50 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:32:54 ID:mmShhCmU0
素直に信じた自分
アイマスニコマス断絶問題には程遠いがニコマススレやらどこやらで「もんげ流行りすぎてうぜえよ」みたいな話はループ話題の一つになってる感があるけど、自分はこれが結構怖いわけだ。聞いていると突然背筋がぞくっと来るような怖さ。ニコマスに真剣にはまってた以前はそう感じなかったのだが最近は特にそう感じる。
まあ上記の通り突然浮上したフジの取材問題が解決の日差しにたった際に出てきたお決まりの誤字ネタなんだが、これがかつてないくらい流行った。当時の自分は「おいおい動画にまでネタ出張して、ニコニコしか見てないって人はネタがわかるのか?まぁ大百科もあるし大丈夫か」くらいに思ってたんだけど、よく考えてみれば大百科が出来る前から艶村やらダバァやらやってるわけだから、やっぱり内向きな文化だと思う。
ネタが流行ったのといえば2007年の年末にもPネタがやたらめった流行ったという過去があるが、直後に24時間TVがあったこともあってか、ここ数ヶ月間はずっとこのネタ一つだった印象がある。いくらなんでもネタ一つで回せるっていうのは異常だろう。
思うにこの「仲間だもんげ!」という言葉には単純なネタの中に非常に内側に引っ張る力があると思う。
他ジャンルのスレなんかでニコマスの印象として、「なんかあいつら良くわかんねえけど仲良さそうだよな」という評を良く聞く。そもそもストレートになかまなかましていた元ネタの団結が他の曲と比べても人気が高かったりしたのも、オールスターがみんなで和気藹々としている感じが受けたんだろうと思う。でもそのまんま言葉に出すとなんか馴れ合いっぽい。そうしたときにそういうフレーズをうまいことネタでオブラートに包んでくれるようなもんげネタが出てきたのでみんな喜んでこれを使い始めたわけだ。要するにみんなアイマスの彼女達みたいに和気藹々したいんだな。
で、もんげの中にはそういうネタとしてオブラートに包まれてはいるものの、もともとの原曲があってそうなのかしれないけどどこか女の子めいたものがある。「私たち友達だもんね!」みたいな。しかし何度も何度もそれを聞かされると、どこか笑顔の下に何か重圧を感じるのだ。急に不安になる。お前達は仲間じゃないもんげ!とか突然言われたりしたらどうしよう。そういう考えが頭によぎるともうだめだ。
[アイドルマスター]さてここで俺が颯爽と突撃して爆裂してみるよ - はてなで留まってすぐ溶解
いつだったか、「『歌ってみた』や『踊ってみた』を無視するからニコマスファンは駄目なんだ」というコメントをどこだかで見かけたこともありましたが、
歌ってみたとか踊ってみたとか演奏してみたジャンルは割と普通にランキング除外対象となっている。
そうしないとJとか有名歌手がランキングを占めるようになるからということで、割とこの除外に関しては大方の人間が同意しているらしい。
で、週マスになると架空戦記動画にネガ米をつける人がいるのはお決まりな感じで、それには一応擁護なんかもつくわけだけど、よくよく考えてみると歌ってみたとか踊ってみたなんかと同様そのシリーズものが毎週ランキングに居座ると不都合と考えているわけだ。
じゃあ歌ってみた踊ってみた、演奏してみたはようするに「仲間」じゃなくて、架空戦記は「仲間」なんだろうな。としてオチとするのは簡単なんだが、僕自身割と架空戦記がいわゆるニコマス内で「仲間」として認められてるかどうかなんか微妙な気がする
今では2chで新しいニコマスジャンルが定着し始めると専用スレが自然と立つわけだが架空戦記スレが始まったのは九月九日で、まだ閣下立志伝や律子の野望、春香三国統一なんかが主流で、曹操をプロデュース、春香で世界征服、貧乳なんかが始まりだした頃。
底辺スレなんかもそうだけど書き込むスレが異なり、語る対象も違えば当然住民層やら文化の違いなんかは出てくる。これが次第にジャンルが成長して大きくなっていって、さらにHOL関連の成りすまし削除事件を乗り越えていくと、その住民層の中にも何かしら内向きの力のようなモノが出てきて、またこの差異も大きな流れになってくる。なんかスレ内でネトゲなんか流行始めて、次第にニコマスやらぎろかくスレだけ見ている人間とは言葉が通じなくなってくる。
今までは「まぁそれはそれでそういうもの」みたいな自然な断絶としての雰囲気があったんだが、なんとなく最近になってから、この二つがうまくいってない気がする。特に「仲間だもんげ!」が流行りだした24時間前後辺りからそんな印象があった。ループ的にニコマス内での架空戦記的なモノへの扱いのような話題が出てきたような気がする。わりかしネガ方向で
僕個人としては昔から割と普通にあって、多分このままずっとそうあるだろうと思うニコマス、アイマスユーザー間の断絶よりも、現在進行形で進みつつあるニコマス内のジャンル同士の断絶関係の方が興味をそそられるわけだ。ニコマスは数多くのジャンルを包括できるような懐の大きいジャンルというふうに言っていたのは誰だったか忘れたけど、この流れでどんどんいくと、ニコマスという大きなジャンルが、異なった文化の集合体として細分化されていくのかもしれない。
一方でそういう断絶関係は文化の違うもの同士の必然ということで、こういう断絶があったから異なった文化の良い作品が産まれてきてるってこともあるし、そういった意味では良いこともあるかもしれない。でもなんだろう。さみしいじゃないですか。なんか独立しちゃう感じで。もうあれか、雪歩は黙ってて!と怒られるのが歌ってみたとかで「もうあたしは仲間じゃないなの!」とか言って事務所出て行くのが架空戦記かと。最終的に765プロは何人に減るんですかと。
この前のシネMADなんかはそういう断絶を逆に利用した感じがあるけど、でもなぜだろう、24の時もそうだけどこういう感じのは「コラボ」というよりは「交流」といった感じで、妙にボカマス祭りなんか連想しちゃったりする。もう仲間じゃないもんげ?
仲間だもんげって言葉の薄ら寒さはその言葉がニコマススレ界隈の人間にしか向けられていないことから発するかもしれない。その言葉と裏腹に、仲間じゃない人間に対して国境線を張っている。
最近考えたのは、「アイマスもミクも東方もハルヒもらきすたも遊戯王もキワミもひぐらしもドナルドも誰も彼も全部仲良くすればいいよ!」とか思ってる俺はアイマスもニコマスもそんなに好きじゃなくて、ニコニコが好きだったんだなあということでした。
http://anond.hatelabo.jp/20080924021347
IRC素で忘れてた!あそこもニコマス語る上では忘れちゃならんところですな。あれもたしかいくつかのニコマス系IRCと戦記IRCは別に存在してたはず
手描きMADは厳密の意味ではMADではないという人もいますよね。確かにPVとストーリー系という違いはありそうです。でもやっぱスレみたいなコミュニティが同じ所に存在するというのはわりかし大きいんじゃないかと
mixiはホント怖いね。
トラバ先とは話題かなりそれるけど第一印象が自分はだめすぎた。
ネットって今はほぼ誰でも見れるからオープンなイメージついたけど
そういうのがあって外に漏れる事はないですよ!っていう先入観を強く持ってる人が多くて
あのちょっとした閉鎖的な印象が更にオフレコ的な感覚を加速させて最後には麻痺る。
マイミクには身内や更に身内の知り合い、いわゆるトモトモとかもいて
近しい人のたくさんの目がそろう前で
同意や慰めやただのコメントが欲しくて誰でも見られるところに堂々と他の人を傷つけかねない事書きまくってる。
ここで喋ってることは外の人にはひみつで><的な日記も良く見かけた。
何が外だと。あけっぴろげにしてる以上秘密も何もないと思った。
そういうことを言う事によって自分自身に暗示みたいなものをかけてるんだろうか。
たいていの事はネガい事や表におおっぴらに出したくないと思ってる事書いてるんだろうなあとか先入観で考えてしまう。
自分はそういうの赤の他人のネガをうっかり踏んで見てしまうのが嫌で退会した。むしろ逃げた。
わくわくして楽しい空間っぽいと思ったら人間の愛憎劇や第二の人格をお手軽に見られる空間だった。
こういうのもmixi疲れの一つに入るのかなぁー
この間ね、一生懸命書いた記事にそれなりにブクマがついてて嬉しかったんだけど、コメントがなかったのね。それはそれとして、ブコメではいろいろ書いてくれてたんだね。すごく気楽に呟き言うってなら、ネガなことでも私はいいかなあって思ったんだけど(他の人は知らないよ)、質問とか批判とかはね、コメントしてほしかったんだね。なんで、はてブでコミュるのだろうね。私が批判とか言われると噛み付く面倒な人だと思われたせいかな。
一番辛いのは叩きだね。他の人の記事とか見ても、外で騒いでいるだけだからいいじゃんって言われても、ヲチみたいで気持ち悪いなあと。にちゃんでやってくれないのかなあって。なんで人間って住み分けなくなってくるんだろうね。自覚がないから?
2.ヲチ化
の可能性があると私は思ったので、反対します。
ちょっと前に大学時代のサークルの飲み会に出かけたときに見た風景。
お互いみんな30ちょっと過ぎ。男は会社でもそこそこの立場。女もみんな総合職就職で同じように会社でそこそこの地位。仕事の苦労話をしながら盛り上がってて、そんなときに一人の女が曰く「私もやっと結婚できそうなんだ??」と。その子は割と美人なんだけど、田舎出身でどんくさくって、サークルの女たちの中では心なしか軽んじられてて、むしろ学生時代はサークルの面倒な仕事を押し付けられるようなお人よしの子。そのときは周りの男女とも「おめでとー、結構独身長かったよねー」とかと寿いでいて、その子に「相手どんな人?」とか質問責めにして、「なんかちょっと年上の似たようなサラリーマンだよ、普通の優しい人」とかという答えを引き出しては「おめでとー」ばっかりで盛り上がってた。
そのときは普通に幸せっぽかったんだけど、ちょっと時間が過ぎて仕事の話になって。
ある男が、旧財閥系の取引先の優秀な幹部について激賞し、その幹部が将来いかに期待できる素晴らしい人間かということを口を極めてしゃべったとき。そのどんくさい彼女が「その人って私の彼氏だよ。あの人そんなにえらいの?」と言ったとたんの周囲の女どもの顔色の変わり具合がすごかった。「似たようなサラリーマンじゃないじゃない」から始まってさんざん質問責めにした挙句「浮気気をつけたほうがいいよー」「仕事しすぎで家庭大変だよー」とかネガネガ捨て台詞を言い出したのは笑った。さっき「おめでとー」って言ってたのは誰だよと。
時々、無性にひとりぼっちになろうとする自分が居る。
全ての差し出された手を振りほどいて、振り切って、
俺なんかどうせって思ってしまう自分が居るときがある。
要するに、自暴自棄な時なのだろう。
自分の悪い部分は、自分から見ると本当に解る。
そのよく見えるという事実に、「良し、がんばろうぞお」って思えるタイプと
「あー、駄目だー」って思ってしまうタイプって居るんだと思うんだよねえ。
僕は明らかに後者。こう言っている時点で、まあもう駄目なんだけど。
前向きに行こうとか、がんばってやれば、とかそういう言葉ってさ、
そういう風に思えたり、そういう事を信じて行える「素質」が必要なんだと思う。
それこそ人のタイプで、ポジティブかネガティブかってあるけど、そういうことなんだよ。
落ちても、上を見ることが出来る。光を目指して飛ぶことが出来るんだ。
これを変えればいい、って簡単に言う人がいるとしたら、僕はあほだと思うんだ。
そういうことを言っちゃう人は、多分ネガティブ畑出身なんだよなあ。
そうそう人間の根っこの部分は変化しないのさ。
前置き終わり。
以下本文。というよりも、落書き。
マジ働かないとヤバイぜ。
何故かって?
それは、本当にそこで良いのかということをあれこれ考えたり、何時電話する?うーん、今は丁度忙しいときだろうなあとか考えたり、電話自体がとてもおそろしい行為で、見ず知らずの人と何てどうやって話すんだーってかるく混乱したりするからなんだけどさ。
でも、それでも、僕は日々自分の中で前進したなあって思うときがあるわけですよ。
でも、普通にやれて居る人から見たら、未だお前そんな所にいるのか?っていう印象なわけ。
あれみたいだよね。勉強が出来る人と出来ない人みたいな。
さっさとドリルを終わらせて、周りの人に教えている人がいて、そこまで行かなくても出来ている人がいる。
そのなかで、全然理解出来て無くて全く進んでいない人、それが僕。
参っちゃうよねえ。
みんながみんな、おんなじシステム上で上手くやってはいけない。それは当たり前にあると思うんだ。
でも、どうだろう?その当たり前のことが無視されているんだよなあ、今でも。
特に親。
親ってやっぱり他人なんだなあって思う。
そりゃそうだ。他人だし、僕自身が何も言わなければ解らないわけだ。
ま、弱虫の泣き言って事です。
また今日から頑張ろうとは思うけどね。
死んだら死んだでお金掛かるし。
http://anond.hatelabo.jp/20080803130232
「この盗人め! …しかし、それなりに苦労していることは認めてやってもいい」
と言ってあげてください。
これかなり優しい人じゃね?
ていうかツンデレじゃね?
とんだ盗人ね!で、でも、苦労くらいは認めてあげてもいいわよ!
だったら逆ギレする人はいないと思う。ふしぎ!
二次やらない人からしたらパクリ以外の何物でもないと思ってやってる。
訴えられたら確実に負けるものを公式のお目こぼしでやらせてもらってると思ってる。
たとえ公式がオタク人気や腐女子人気を狙ってやってる節が見えても
いくらクオリティ高かろうが苦労してようが人のキャラ勝手に借りてるのは事実なんだし
悲しいし寂しいしひどいよケロロ君〜と思ったりするだろうけどしょうがないと思ってる。
だったらやるなよって話なんだけどそこはオタクの業みたいなもんでしょうがないんだ。
なんでやるのと言われたらやりたいからやるとしか言えないんだ。
二次を理解しない人からしたらただのキモいパクリ野郎にすぎないとわかってる。
何も言い返せることはないから理解してもらえるとも思ってない。
だから全力で隠れてる。同志以外の目に入らないように神経すり減らしてる。
隠れてるぶんにはそっとしておいてほしいだけなんだ。黙認されてるうちは。
勘違いブスに一番迷惑してるのは目立たぬように生きてる大多数のブス、と新井理恵が書いていたが
表に出てオタクアピールしたがるオタクに一番勘弁してくれと思ってるのは隠れてるオタクだと思う。
オタキングみたいのはオタクを芸に昇華させてるからいいんだけど。
私の考え方はネガすぎるのかなあ。
まあ、どのくらいの数のUMAオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「UMAオタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないUMAの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、UMAのことを紹介するために
紹介するべき10体を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にUMAを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、精神的に過大な負担を伴うUMAは避けたい。
あと、いくらUMAオタ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
UMA好きが『ネッシー』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
UMA知識はいわゆる宇宙人的なものを除けば、川口探検隊は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「チュパカブラ以前」を濃縮しきっていて、「チュパカブラ以後」の人型UMAを決定づけたという点では
外せないんだよなあ。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多なUMAについて、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、UMAオタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなUMA(そうUMAオタが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「UMAオタとしてはこの二つは“首長竜”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のUMAオタが持ってる宇宙への憧憬と、矢追純一監修のUFOオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも矢追純一的な
の二点をはじめとして、オタ好きのする特徴を有しているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「猫だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
ネガが飼い犬に噛みちぎられたことで、特徴的なしっぽの検証を行うことができなくなったこと、
大槻ケンヂが楽曲のモデルにし、と学会もねたにしたことなんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりUMAは大人の夢だよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「スカイフィッシュ」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、このUMAに懸賞金をかける糸魚川市の思いが好きだから。
断腸の思いで賞金一億円、っていう金額が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「そもそも見つかったらUMAでなくなる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
つちのこの胴の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
ただのまむしならきっちり1m40cmあるだろう。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて賞金一億円、というあたり、どうしても
「つちのこはただのまむしの見間違いと認められないオタク」としては、たとえ糸魚川市が賞金を出す気がなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。つちのこ自体のレア度と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でビッグフットを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
ネッシーよりも前の段階で、UMAの存在意義とか不確かさとかはビッグフットで頂点に達していたとも言えて、
こういうUMAが人々の中で語り継がれていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくUMA好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる川口探検隊でしかUMAを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
赤く光る「目」あるいは「背中の大きな翼」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「UMAは夜現れる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそモスマンは、宇宙人のペット以外ではあり得なかったとも思う。
「UMAは夜現れる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はモスマンにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうただの鯉をこういうかたちでテレビに出して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9体まではあっさり決まったんだけど10体目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
チュパカブラから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けと
なったUMAでもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいいUMAがいそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
いやいやどう見ても救えねーだろーがよ。
そいつはネガティブがだめといいつつ自分もネガ米してるんだぜ。
せめてほめ殺しにしとけといいたい。それなら救いもあったろうよ。
正直、悪名高い2ちゃんねるなんかよりもいまのはてなブックマークは相当ひどい場所に見えました。非コミュニティ文化圏ゆえなのか、単に煽りたい人が多いだけなのか。いずれにせよ、最近の「死ねばいいのに」や「これはひどい」といったタグの嵐や書いた人間のことを人格まで否定するような発言の連続にはこれ以上耐えられそうにありません。
記事につくネガコメって、そんなにヒドイかな? 個人的には、否定的コメントも超ありがたいんだけど。
パブリックブログで書くってことは、当然それなりの反応を期待して書いてるんであって、それで得られるコメントは、ネガだろうがポジだろうが、嬉しい。無反応てのがイチバン応えるんだから。
そりゃどっちが欲しいかっつったら、賛同コメのが欲しいさ。けど、批判コメは「あそっか、そういう意見もあるのねー」って、自分の考えをさらに掘り下げるきっかけになるじゃん。トンチンカンな批判コメなら無視すればいいし。トンチンカンなコメは周囲の人間が見てもトンチンカンなんだから、気に病む必要なし。
賛否両論どころか、批判コメしかついてねぇ!って記事を書いちゃった場合は「うわー、これリアルで友達とかに言わなくてよかったー。Netで良かったー」て思えばいいんじゃね?
現実社会で放った何気ない一言で友達全員失う、ってことはあるかもしれないけど、ブログでの失言ぐらいで孤立はしないし。リアル友達にブログを教えてない人も多いだろうし、教えてたとしても、友達はあんたのブログをそれほど注目して読んでなんかない。ブログでの失言が実社会に影響するのは、有名人だけだ。
だいたい、ポジだろうがネガだろうが、はてブのコメントって全部本音じゃん。友達とか知り合いだと、気ぃ使ってガッチリ批判してくれなかったりする。それがないダイレクトな意見は、やっぱ聞いて損はないよ。友達や家族はぬるくて居心地良くても、社会はぬるくないんだからさ。ぬるくやりたいならmixiでやりゃいいし。
「記事主は『死ねばいいのに』『これはひどい』ていう罵倒タグに絶望してるんだから、批判だの参考になるだのってレベルの話じゃないんじゃない?」
うん、たしかに。
理由の上げられた批判なら反論のしようもあるけど、頭ごなしの罵倒はどーしょーもないからねー。
でもさ、なんつーか、そんな単純な常套句であっさり傷ついちゃっていいの? それで絶望できるって、いままでの人生どれだけしあわせだったの?
「死ねばいいのに」「これはひどい」なんて2秒でタイピングできるよ。記事読まなくてもタグつけれるよ。そんなんで心砕かれて、退場して、満足? それすっげーつまんない。自分の心を、そんな安易なタグで砕かせちゃいけないよ。それじゃー心が安すぎるよ。
人ひとり傷つけるんなら、それなりのオリジナリティーっつーか、「ああ、これは私のためだけに考えられた罵倒なんだわ」って感心できるような、そんな創意工夫が欲しい。
カラオケが下手な部長を最も効果的に怒らせる言葉は、「この音痴!」じゃなくて「歌うときに小指を立てるの、やめた方がいいんじゃないんですか?」だったり(文脈は忘れたけど、清水義範の本にたしかそういうことが書いてあった覚えが)。そういうヒネリのきいた言葉にならカチンときてもいいけど(ていうかカチンとくるけど)、脊髄反射のマンネリな罵倒はなー、ピンとこないっつーか、聞き飽きたっつーか。
ま、「絶望した!」って叫ぶ人がい続ける限り、「死ねばいいのに」タグも「これはひどい」タグもなくならないだろうね。効果テキメンだって証明されてるようなもんなんだから。誰もが痛くも痒くもなくなったら、自然と廃れるだろうけどね。
趣味の作品をwebで公開していたら商品にしたいと打診があった
まぁ、嬉しかったわけですよ。web上に置いてることでリアルでやってるときよりも色々反応もらえたけど、更に金銭的な価値としての評価ももらえるチャンスが来たのかーって。
馬鹿だから浮かれて親に報告したですよ。
親が見たいって言うから照れくさかったけど見せた。
そしたら「え?何これ」て。
予想外の反応で「がっかりした?」って聞いたら「うん」て。
今考えるとあほらしいんだがその時は自分の一生懸命やってたことを否定された気がして頭に血が上った。
んで、親を怒鳴りつけてしまった、かなりしつこく。
冷静になれば単に親にとっては見せられたものが期待はずれで、自分にとっては親の反応が期待はずれだっただけだと思う。
でもそん時はなんかもう、子どもの時とかにも自分が夢中だったもの、やりたかったことを否定されて結局中途半端に終わったこととかも思い出して嬉しかったはずの気持ちが急激に萎んだ。
さすがに今は「あれが出来なかったのは親のせい」じゃなく、それくらいで挫折する自分の資質に問題があるよなーと思えるようになったけどそれでも時折ふと「あの時親が賛同してくれてたら何か変わってたかも」って思ってしまう。
もういい年なんだから親の反応とか気にしなくてもいいはずなんだけどやっぱり親に認められたいんだ。一生懸命やってることだからこそ親に「すごいね!」って言って欲しいんだ。とっくに成人してるのにこんなの変だけど。
http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127から始まる一連の。
各人各様な意見が出るんだなあとおもた。入れ食いですね。
-別にお前の言ってることは絶対の正義じゃないよ派
-感情を否定するのはおかしいよ派
-トリアージ(笑)派
-もっとまともな講義をしろよ派
-良く分かんないところがあるよ派
-ナイーブってどういう使い方をしているの派
-文章下手だな派
-己の立場を考えろ派
-客商売であることを意識しろ派
-お前ちょっとdisりすぎだよ派
-女性
-福祉業界(に携わる人たち)
-人道主義者
-注釈なく記事改変したことに切れた派
-これじゃ平等な議論にならないよ派(議論したいよ派)
○記事賞賛派
-俺も同じことを考えてるよ派
-学生頭悪すぎだよ派
-そんな学生が多いのが問題だよ派
-経営学はもっと学ばせるべきだよ派
-資源配分問題はもっと学ばせるべきだよ派
-ジレンマって面白っ!派
-思考停止って難しいよね派
-あたまをつかうことって、だいじ!派
-みんな周りを非難するばかりでどーすんのよ派
-お前ら議論好きだな派
-はてな村の現状を憂う派
元増田だ。なんか話がそれてきたけど
ただ、流れをずっと見てて、パートナーが精神的にしんどくなった時にどうやって関係を作っていくかということの難しさってあるなぁと。
気晴らしに付き合ってあげるとか
晩飯で好物を作ってあげるとか
愚痴も少しは聞いてもいいけど
下手に出りゃ調子に乗りやがって的に
つらいのは仕方がないけど、我慢にも限度はある
例えばこれがうつ病だったりした場合、攻撃的になってものを投げられたりしたとして、患者への態度として、
それは甘えだからなどとは言ってはいけない態度というのが今は定説だよね。
5年前くらいから定説になったと思うけど
やっぱ付き合いきれんよ。
自称うつ病があまりに増えすぎたってのもあると思うけど
周りに迷惑をかけないように努力してうつ病をコントロールしている人と
PMSも同じ
こっちにも悪影響が出る。
俺も悪影響を払拭するのに何年もかけているんだから
男は外で疲れてるんだから(?)家で横暴になる分は受け流すのが女の美徳っていう感覚が主流じゃない?
だからDVに悩みつつも我慢してる妻があれほど多いんだし。
そりゃ団塊の世代までだろ
知り合いにもDVされている女がいるが何のことはない
子供に旦那の悪口を吹き込み続けている
殴るよりもひどいことをしている
私はだいたい一人で調べて、唸って、転げ回って、また調べるって感じ。勉強なんかはこういうことを推奨する人がいますよね。
でもそれって、自分一人の問題ならいいのだけれど、他人を巻き込む場合は大迷惑ですよ。期限ぎりぎりまで一人で唸って、なんとか解決できたと思っても、大抵の場合は更なる改良が必要だったり、新たな問題が出てきたりするわけですよ。
そうなるともう目も当てられない状況に...。うへー。
そういうわけだから、解らないことがあってちょっとでも詰まったりしたら、``周りの人のために''すぐに他の人に聞く。ええ、すぐにですとも。``もうちょっと余裕あるからもう少し自分で考えよう''なんて思ってはいけない。問題は、時間の余裕のあるうちに片付けなければならないと心得よ。
助けを乞う見たいなネガディブな心意気でなく、意見を聞くとか、やや上から目線のポジティブ(?)な心意気(あくまで心だけ、態度に出してはいけません)で行ってみましょう。
今の自分を恥じることは無い。よく聞く話だが、失敗を経験したあなたは失敗する前よりも確実に成長しているわけだ。失敗は成功の母。失敗経験に自信を持とう。
もしくは、今がスタート地点だと思い込むと吉。
あなたは人を嫌ったことがありますか?その人に嫌いだと面と向かって言いますか?お前が嫌いなんだよと態度で表しますか?所詮嫌われてもそんなものです。
アニメ、美味しんぼ第59話「飯の友」を見てみてはどうだろうか?これを見るとご飯だけで生活していけそうだと勘違いしそうになるから困る。
こういうノリで文章を書くのって久しぶりだ。あんまり知り合いに病んでるなんて思われたくないしね。(いや、こんなの書いてる時点でまだまだ病んでないってか)
しかし、書いていて心臓が痛くなってきた。全然励まされねぇ...!
d:id:Beyond / b:id:Beyond(d:id:globeat_spam)はネガコメの固まりだねえ