2024-10-16

2002年8月中に発想。

 

ネット上の文などで感情表現として(笑)とか(泣)とかよく使われています

 

ところが最近、(核爆)という表現が使われるのを目にする。

 

意味としてはおそらく(爆)という爆笑、もしくは支離滅裂状態を表す物の最上級のことを言うのであろう。

 

だが、私はこの表現はどうも「核 爆」という物自体を軽んじてるようにしか見えないのです。

 

もちろん、「そんなことないよ」と言う人もいるだろうと思うので、まず客観的事実を書こうと思います

 

核爆弾による長崎被爆者数 約27万人(被爆者援護法裁判パンフレットより)

 

核爆弾による広島被害者数 約45万人(同上)

 

うち、今も後遺症に苦しむ人 約28万人(※1調べ)

 

現存する核兵器の量 約4万

 

現存する総核爆発の破壊力 地球を50回滅亡させることができる量(※2調べ)

 

「核 爆」をgoogleで検索すると約57300件

 

核爆弾」をgoogleで検索すると約13600件

 

「核爆発」をgoogleで検索すると約9000件

 

よって(核 爆)が表現として使われてるのは、推定約30000件(以下2002年11月29日時点)

 

さて核爆弾をこの世から無くしたいと懇願する人たちが(核爆)という表現を見て、どう思うだろうか?

 

もちろん、たか文章であるしかし、その(核爆)の対して、あまりにも無知ではないだろうか?

 

なぜ、(核爆)という表現でここまで言わなければならないか

 

それは唯一原爆被災である日本が核爆に無関心になろうとしてる「芽」が出てきたことを意味するからである

 

核爆弾のことを本当に知ってたらこんな表現が使えるはずがない。使おうとすら思わない。

 

我々が受け継がなければならない物は「核爆弾を二度と使わせてはならない」という思想のはずである

 

だが、今日ネット上で(核爆)が行われているのであるしかも、日本人の手によって。

 

それ以外の言葉表現できないわけでもないのに。何故だろう。

 

実質的被害などは存在しない。だから核爆発を軽んじる精神が芽生えるし、はびこる。

 

記憶というものは徐々に薄れいくのは当然だし

 

我々、若い世代はどんなに学ぼうが原爆の恐怖など自覚できない。

 

ならいっそのこと提案したい

 

「核爆発は絶対ダメな物」

 

それでいいではないか

 

あんな恐ろしい物は無くなるのに限るのだから、その自覚を持って、生活していくべきである

 

それ故、(核爆)という表現を無くそうという訳です。

 

少なくても内の掲示板では(核爆)も(水爆)は許されてはいません。

 

どうしても、質問等で書き込みがしたいならひらがな入力してください。

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