2002年8月中に発想。
ネット上の文などで感情表現として(笑)とか(泣)とかよく使われています。
意味としてはおそらく(爆)という爆笑、もしくは支離滅裂な状態を表す物の最上級のことを言うのであろう。
だが、私はこの表現はどうも「核 爆」という物自体を軽んじてるようにしか見えないのです。
もちろん、「そんなことないよ」と言う人もいるだろうと思うので、まず客観的事実を書こうと思います。
核爆弾による長崎の被爆者数 約27万人(被爆者援護法裁判パンフレットより)
うち、今も後遺症に苦しむ人 約28万人(※1調べ)
現存する総核爆発の破壊力 地球を50回滅亡させることができる量(※2調べ)
よって(核 爆)が表現として使われてるのは、推定約30000件(以下2002年11月29日時点)
さて核爆弾をこの世から無くしたいと懇願する人たちが(核爆)という表現を見て、どう思うだろうか?
もちろん、たかが文章である。しかし、その(核爆)の対して、あまりにも無知ではないだろうか?
それは唯一原爆被災国である日本が核爆に無関心になろうとしてる「芽」が出てきたことを意味するからである。
核爆弾のことを本当に知ってたらこんな表現が使えるはずがない。使おうとすら思わない。
我々が受け継がなければならない物は「核爆弾を二度と使わせてはならない」という思想のはずである。
だが、今日もネット上で(核爆)が行われているのである。しかも、日本人の手によって。
実質的な被害などは存在しない。だから核爆発を軽んじる精神が芽生えるし、はびこる。
我々、若い世代はどんなに学ぼうが原爆の恐怖など自覚できない。
それでいいではないか。
あんな恐ろしい物は無くなるのに限るのだから、その自覚を持って、生活していくべきである。
少なくても内の掲示板では(核爆)も(水爆)は許されてはいません。
でもジャップランドは核の傘の下に居ますよね