2024-05-18

科刑に興味がない

新潟女児殺害事件など大きな事件が起こり、実際に被疑者起訴された場合世間の関心事は専らどれくらい重い罰が与えられるかということに関心を持つ。

そして期待した判決と実際の判決失望や怒りを持つ人々もそれなりにいる。

なぜこのような世間法曹界乖離が起こるか。

法曹実務家の世界法学研究の影響を強く受ける。

民法特にそれが顕著であり、つい最近では債権法の権威、大賢人である某氏研究がそのまま民法の大改正となり法曹界、実社会に影響した。

刑法世界もそれは同様である

刑法学者達の間においての関心事は専ら「罪責」「罪の成立」である

甲や乙の行動、それによる結果、行動に至った背景事情などから甲、乙の行動に対してどのような罪が成立するか(強調するが罪が成立するのは甲、乙自身ではなく甲、乙の行動である)、ということがテーマである

まり刑法研究者にとって罪責の研究こそが重要テーマであり、罪の成立の後に行動者(犯人)にどのような科刑をするかということは興味のないテーマなのである

これは実務家にも影響を与える。

法学部生、ロースクール生、司法試験受験生司法修習が友人や家族などからよくされる質問として「〇〇をしたらどれくらいの懲役罰金になる?」というものがある。

しかし、質問された所でまだ実務家ではない彼らにはわからないし興味がないのだ。

法科大学院司法試験では科刑すらほんのちょっぴりしか扱わないテーマであり、ましてや実際の刑罰の重さは全く問われない。

司法試験の合否に影響しないこともあり、興味がない。

これに尽きる。

もちろん刑法学の世界では科刑、刑罰の重さ、更生などをテーマとする学者もいる。

しかし、社会学、心理学政治学教育学など様々な分野に跨る学際的テーマとなるため格が落ち、研究からは嫌われるし軽んじられるのだ。

研究者たちが罪責にしか興味を持たないため、法曹実務家の世界も罪責への関心が強い。

結果として「罪が成立した後の刑罰前例通りの処理で終わらしておけば良い」となるのだ。

もちろん、前例主義の科刑に世間から反発が寄せられることもある。

しかし、裁判官が怖いのは無知蒙昧な民衆から非難より、科刑について熱心に論じることにより権威世界から笑われることである

ある程度の年齢の裁判官にとって司法修習もせず実務家にもならず大学院にも進まず、学部卒業した瞬間に大学から給与を貰いながら論文を書いていた権威ある研究者たちはその他大勢民衆と異なり「目を背けられない対象である

そこには尊敬、崇拝、畏怖、嫉妬など複雑な感情が絡み合う。

学士助手廃止され、権威が失われた後の世代法曹界の中心となるまでこの「刑罰軽視」の傾向は続くだろう。

  • そもそも処分の種類が少なすぎてなんでもかんでも懲役何年執行猶予何年でおかしいね 紙の上の数字にすぎない刑罰 支払われない支払い命令 パンを盗んで実刑、賄賂で執行猶予 刑務所...

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