書いてくれてありがとう。
この人の投稿を読んで己を振り返ったり、何かを調べようと思った人のために、横から少しだけ補足しておこうと思う。
性的な加害関係では(他の加害関係でもそうなんだけれども)、被害者と加害者の間に、精神的にとても複雑な絆ができることがある。
トラウマティック・ボンディング (traumatic bonding: トラウマ的な絆) だ。
(英語のwikipediaの日本語訳。日本では世間的に認知度が低い概念なので、とりあえずとして。)
・『愛情と加害を交互に向けてくる』
可愛いね、大好きだよ、もしかしたらもっとふんわりした『仲良し家族』の空気感、、、そして加害。
・『ケアと加害をほぼ同時に行う』
大切な部下だからね、仕事の面倒見てあげるね、もしかしたらもっとふんわりした『仲良し職場』の空気感、、、そして加害。
もちろん、こんな扱いは、被害者の心をとても複雑な状態に追いやってしまう。
(*あなたが被害者であった場合、もちろんあなたは悪くない。『加害』が根幹にある現象なのだから。)
まあ被害者からするとわけがわからない感情が自分の中に生まれる。
この概念に触れると、以下のような話に対して、見通しがつく度合いが上がってくるのではないかと思う。
色んな人の話を聞いて、性虐待以外は優しいという親がまあまあいることを知った
父や兄弟と本気で愛し合っていると思っていた(思わされていた)人もいた
このような人たちの感情は本人でも理解できないレベルに複雑なのだと感じた
私が1番印象的だったのは、そのような人たちは「自分が被害者だと思うと気が狂いそうになるので、無意識に自分は被害者ではないと強く思い込み、他の被害者を叩くこともある」ということだった
特に、幼少者への虐待の文脈では、グルーミング(手懐け行為)とセットで論じられることがある気がする。
手懐けて、絆を作って、虐待する。
こういう場合、加害者が、幼少者を『本当に大切に思っている』場合があるからタチが悪いケースがある。つまり、判断力が未熟な相手の人生を無自覚に犠牲にしている可能性があるという自覚が加害者に無いというケース。