それはひとえに「ファンに気を遣わせ負担をかけるから」である。
勘違いしてほしくないため最初に書くが、こっそり捕捉するのはいい(消費者調査やマーケティングは大事)
あとエゴサで引っかかったツイートに反応するのも……まぁいい。
作者や公式から「”特定の個人”として捕捉されている」とファンが気付く反応を示すのがダメなのだ。
・特定の垢にいつも感想ありがとうございます!と話しかける
・いつもこんなことを書いてくれる方がいて〜と特定の個人を追っていることを匂わせる
こういう「個人を捕捉しストーカーしている」のが丸分かりな反応。
しかしそのつもりもなく捕捉された側は、その後ずっと公式の目を気にしながら発言しなければならない。
気を遣うならもう作品に言及したりそれ関連の発言自体をやめてしまえばいいと思う人もいるかもしれない。
しかし発言をやめればそれを見ている公式から何故やめたのか、作品に何か非があったのかと心配させてしまうであろうことは容易に想像できる。
想像力の働く人や優しい人ほど、公式の目を気にして発言を続ける以外の選択肢がなくなる。
そうなればもう、いくら好きな対象とはいえ疲れるしストレスが溜まる一方だ。
しかし、考えてみてほしい。
そもそもファンがそこまで公式に気を遣う必要があるのだろうか?
本来、感想やツイートとは自由なものでなければならないはずだ。
誹謗中傷や法に触れる発言はもちろんダメだが、公式の気に入りそうな発言しかできない、一切の批判もできないというのは違うのではないか。
ファンは金を出して公式に貢献しているいわば消費者、客側なので余計にそう思うようになる。
趣味のはずが義務に、愛のはずが労働に、そんな矛盾したものを抱えながら生きることになる。
>自分は捕捉されようが気にしねーよ、公式はそこまで気にしてないし自意識過剰だろ、という方。
大半の人は相手から「あなたの発言(というよりあなた自身)をずっと見ています」と言われれば普通にめちゃくちゃ気を遣います。
更に自分の発言が作品に影響を与えているとはっきり分かるようなことがあればもう気が気じゃない訳。
>そんなに嫌ならツイートやブログを公開せずに鍵つけろという方。
ファン同士で感想や考えを共有したり世に発信する目的で発言する人も多いのに、そういった人に口を塞げばいいというのは違うだろ。