2023-03-26

anond:20230326143022

自分が25歳までは「美」側にいたから美醜を気にする必要が無かっただけで、26を越えて「醜」側に足を踏み入れてから気にし始めて、30越えたあたりからリアルに「醜」側の人生を感じて辛くなってるだけだろ

そうなんだろうか。そういうことなんだろうか?

25まで「美」側にいたのか?

自他共に認める全盛期は26だった。26で初めて「自分にも美というやつがあるのかもしれない」と思えたし、初めて人から綺麗だと言われたのでそういうことにしている。体重も今よりだいぶ軽かった。

それより前に美側にいたとはちょっと思えない。

最後彼氏()いたの小6だった。イチャイチャどころか手もろくにつないでない、おしゃべりするだけのパピーズラブ。初めての「好きな人」。中学上がって自然消滅した。以降は恋人とかずっといない。恋人が欲しいという感覚が非常に薄い。そもそも恋人って何?定義してからじゃないとよくわかんない。発達あるあるじゃないでしょうかこういうの。

しかし30超えて醜側に行ったというのは否定できない。太ったからな…全盛期比で8キロくらい…腹の肉がたるんでてみっともないのはイヤでもわかる…

ただそもそもの話として、「美側」「醜側」がピンとこない。

「醜側」に行くというのはどうやってそれとわかるものなのか?

太ると衣服とかで冒険できなくなるので自意識が醜側に傾くというのは話としてはわかるが、今どき太ったら太ったなりに服を似合わせる手段はあるし、自分に限れば太ってなかった時期も服で冒険別にしてなかった。「ああ…これが…美か…」みたいになるトリガーとしては弱い。

だいたい「自分が醜くなると美に対しての感性が鋭くなる」というのは理屈としてなんか意味不明じゃない?

お手数ですがもうちょっと詳しくしてほしい。「美側」「醜側」って何?

ついでに言うとそれがさらっと「強側」「弱側」にすり替わってるのもよくわからない。

美しいと強いは常にイコールじゃないし、醜いと弱いも常にイコールではない。強さが醜いことも弱さが美しいことも普通にあるやつでは?美しい側は常に強いとか、醜い側は常に弱いとかもちょっと怪しい。「同じスペックならかわいい方よ」のコピペ示唆する通り、「他の条件が同じである上のプラスアルファ」の域を出ないんじゃない?

「弱い側としてやっていく」もちょっと意味がわからない。弱い側って何?

普通に考えれば、発達障害絡み以外では(まだ)大病もしてなくて五体満足で、不満がないとは言わんが職があって、貯金ゼロではなく奨学金含む借金もない、という時点で、私はあんまり弱者ではない。ので税金免除されたりしてない。いや、自立支援取ってるから発達関連に関しては病院代は安くなってるか。あと女性なので「女性であるが故」系は全部被っているし今後もある程度までは被らざるを得まい。

でもその程度にしか弱者ではない。

そしてそれは26のころと今とで変わってない。

であるのになにゆえに、美に対して鋭敏になった今、醜側で弱側として「諦観」せねばならないのか。何もわからない。

実家が太い旨を書いたのは「みんなビンボーが悪いんや」的な帰結になるのはアレだったからです。そりゃみんなビンボーが悪いとは思うが、私個人は幸いにも貧乏ではなかった。だから原因は貧乏ではない他の点にあるはずだということ。そも親ガチャSSRマウントにはならんしょ…親からすれば子ガチャ大失敗ってことなので恥の開陳に近い心境…

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