「寿司にいたずらをする」「醤油差しを鼻に突っ込む」という行為の罪の大小について話してる人と、「その結果何が起こるか」という影響の大小の話をしてる人がいて、お互い噛み合ってない感じがする。
ひろゆきは 「裏では殺人事件とか起きてるのに、それよりスシローのことを言ってるなんて、日本人のモラルってすげぇなって思いました」 と言っていた。
犯した罪の大きさで考えれば、悪質さや社会正義に反する度合いは「寿司テロ」<「殺人」になるのは当たり前だが、自分への影響度で考えると「寿司テロ」>「殺人」になる。だからみんな殺人よりスシローテロで騒ぐ。
別に知らない人が殺されたニュースを見たところで、「かわいそうだな」と思っても次の日には忘れている。多分もう2度と思い出さない。少なくとも自分はそう。
対して、スシローのニュースは寿司屋に入るたびに、いや、外食で醤油差しやソースなんかのボトル類を使うたびに、「寿司にいたずらをする奴ら」「ボトルの先を鼻に突っ込む奴ら」を思い浮かべ、嫌な気分になる。人によっては外食にいけなくなる。
今回はこの、「強迫観念を植え付けられた人の規模」がとてつもなく大きかった。スシローなんて日本中にあるし、別にスシロー以外の回転寿司の問題でもあるから、ニュースを見知ってしまった人の脳にはこのウイルスみたいな強迫観念が自動的にインストールされてしまい、皆が被害の当事者になりえた。
行ったことない国の人がテロで100人犠牲になるより、家族が事故で怪我をしたほうが心配になるし、知らない人が殺されるよりも、知ってる回転寿司チェーンの安全性が脅かされたほうが、自分の生活に直結する影響がある。
だから今回の件はSNSで大きな騒ぎになった。スシローが警察に被害届を提出し「刑事と民事の両面から厳正に対処していく」と発表したことに対しても色々意見があったし、子供が起こしたいたずらに対して「こんなに叩く社会はおかしい」といった意見もあった。
個人的には、なんだかんだ自由に意見が言い合えるいまのインターネットは、普通に健全な状態を保っているのかもしれないと思った。
学校名や個人の名前を晒すのは私的制裁であり、モラルどころか法律に反しているので良くないと思うけど、「こんなに多くの人が個人を一斉に叩くのは異常」という意見に対しては、「どれくらいなら異常じゃないんだろう?」と言う疑問が浮かんでしまう。
例えば、いま、スシローテロについて叩いてる人の人数が50%OFFになったら、それなら異常じゃないと言えるの?それとも90%OFF? それとも完全に0人にならないとダメ?
仮に、「今回のスシローテロについて叩く人がゼロのインターネット」があったとして、それ健全なインターネットなのかと考えたら、どう考えてもそれはディストピアでしょ~と思うし、「叩く人の割合が今より〇〇%削減された状態が理想」なんて目標値があったとしたら、それも健全なインターネットとは思えないし……。
「今のSNSやインターネットはなんとなく雰囲気がいやだ」という意見には同意するけど、たぶん、このなんとなくいや~なインターネットが、なんだかんだ健全なインターネットでもあるんじゃないかとは思う。
もしも問題があるとしたら、それはもうインターネットユーザーのモラルの問題というより、SNSの仕組みの問題という側面が大きい気がする。知らんけど。
人を特定して情報流して火に油注いでアクセス数とお金と飲食への不信感煽って稼ぐまとめサイトあたりが個人情報保護法とかで裁かれて、親御さんは数百万円とか払えなくはないけど...