Q: 政治では「誰が何に値するか」についての議論が盛んである。あなたなら、どうやって「誰が何に値するか」を定義するだろうか。
能力主義が本当に悪いのかとふと思った。
大衆の権利についてのゲームを「人狼ゲーム」に喩えるなら、能力主義は「チェス」だと私は考えている。
能力を正当に評価する方法が存在し、かつそのジャンルが多様であるほど良い。
では「受験勉強を必死にやり、学歴を得て、その学歴を用いて就職する」という一見能力主義に思えるプロセスがなぜポピュリズムなのか。
よく考えてみると、大衆が望むようなタイプの能力で一律的に評価をしていることに関係する。
「(遺伝的意味でも)暗記が得意」「努力を評価する」「外れた人間を叩く」こういう性質を持つ大衆について聞き覚えは?
このような大衆が、受験戦争に躍起になるのは必然ではないのか。なぜならそれが彼らが信じる大衆の権利だからだ。
要するに大衆側が「俺達は努力をして学歴を得たんだ。それが尊重されるべきだ」と言っているのである。
私はチェスが好きな人間なので、そういうくだらんポピュリズムはクソだと思う。
個人の能力を様々なジャンルにおいて多様な方法で可視化し「僕が思う最強の能力評価指標」などという独善に支配されない能力主義の指標が要るのではないか。
しかもその多様なジャンルというものが、個人の経済状況に影響されない、公平なものであるのが好ましい。
喩えで言うなら、オンラインチェスや競技プログラミングは(不正を検出できれば)能力主義の指標としては比較的優れていると言えるだろう。
このような能力主義が「多様な」ジャンルで評価されるのが、本当の能力主義だと私は思っている。
ポピュリズムとはつまり、カルト宗教(創価学会, 統一教会, Google)が政治と癒着して無能を洗脳して権力を得る世界のことである。
正当な評価方法が確立されれば、多くの人が何かしらの得意分野を持つことができる。