2022-12-08

生きる理由死ぬ理由もない人生

最近仕事をやめた。

前提として無趣味があり、原因は仕事がやや苦痛になったからだと思う。

ふとした瞬間、今が全然幸せじゃないことを考えてしまったのだ。

幸せになるために汗水たらして仕事をしてたつもりだったが、辛い仕事しても幸せにならないことに。

毎日の繰り返しが

起きる→朝ごはん仕事昼ごはん仕事仕事終了→気になるニュース等々を見る→晩ごはんTV動画サイトを見る→寝るの繰り返し

である結構一般的ではあると思うが、全然心踊るようなことはなく淡々として過ごしている。

自分はこのくそオモロないサイクルを死ぬまで続けるのか??

と思った瞬間に価値観がぶっ壊れてしまった。

なんのために働いているのか?

仕事を得た収入殆ど使ってない。使う当てが無いから。

現時点で最高の幸せはあのオモロないサイクルだからだ。

そこで仕事を辞めたらオモロないサイクルから抜け出せるのではと思って辞めてみたが

起きる→朝ごはん→ぼーっとする。人生を考える→昼ごはん→興味あることを探す(見つからない)。収入を得るためのを勉強する→晩ごはんTV動画サイトを見る→寝る

であるくそくそくそくそオモロないサイクルになっただけだった。

現時点での人生の問いの答えはこれだ。

人生は楽しむためにある。

②楽しむためには一生懸命になるといい。

一生懸命になれるものは興味があって楽しいもの

問題は③である。③が全く見つからないのである

これも真面目ちゃんが原因だからなのだろうか。

他人にとって、社会にとって、家族にとって、親にとって評価が高い選択をしてきたわけだが

自分にとって評価が高い選択をしてこなかったからなのか。

くそくそくそくそオモロないサイクルなので死んでもいいんじゃないかと思ってたりする。

希死念慮を感じ始めた時点で若干病んでるとは自覚しつつも

人生オモロないならこれは極めて当たり前の話だとは思う。

無味無臭面白くないくそゲーを永遠とやり続ける人は稀だ。

ただ現行の社会倫理はいきなり死んでたら迷惑を色々かけてしまうので

できることなら誰かの身代わりになれないかなって思う日々。

子供が急に飛び出してトラックが轢きそうになったところを助けるとか。

さっき起きてご飯食べたのだが

今日もまた嫌だなーって気分になりつつ一日を過ごすのかと思うと憂鬱だ。

太宰治の本は一冊も読んだことはないが

「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である

という文章だけは覚えてて、太宰治のような破天荒な行き方をしてるわけではないか

全然別種の概念かもしれないが、今置かれてる現状とほんの少し似た状態を表していているのだろうか。

って考えるとヤバーって思うわけ。

つうことで二度寝してきまーす。

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