2022-09-06

15分の遅刻で怒られるのに病んだら数か月休んでも何も言われない

社会人は15分の遅刻が許されるだのダメだのでインターネットが盛り上がっているのを横目で見ながら、私はもう半年近く会社に行っていないことに気づいた。

理由メンタルが病んだという、まあ割とよく聞くアレだ。

ここ数年間ずっとボロボロだったけれど、いよいよ体調にも症状が現れたのでこれを機に休職期間に入って今に至る。

会社からは何も言われない。

この立場でこんなことをいうのも傲慢だと思うだが、今の上司は病んで休職した人間管理する気がさらさらない。

二か月に一度ほど「最近どうですか」とラインを送ってくるのだが、これにどういう返事をするべきなのかは本当に悩む。

「どう」とは何なのか。

スケジュールの提出や過去案件の原因追及・改善案の提出にあんなに厳しかった上司なのに、私の症状については原因を聞いてきたり、いつ頃復帰するつもりかなど質問をすることもない。

病んで休職する、というだけでこんなに何も言われなくなるのか、と驚いている。

在職中は多種多様理由で怒られてきた。

特に細かなところを挙げると、資料ホッチキス留めの位置電話応対の速度、メールの文面などだ。

遅刻したことがないが、15分の遅刻をしてきて怒られている同僚もたくさん見てきた。

しかし、今や15分どころではない。半年会社に行ってないのだ。

こんなもん怒られるどころの話ではないように思えるが、怒られない。

なんていうか、「病んでいる」という言葉のパワー、強すぎないか?と思った。

もちろんこれは私に非がないから何も言われないのではなく、どう触れていいかからいか敬遠されているのだ。

要するに「腫物扱い」ということだと思う。

だとしても、私が健康だったというだけであれだけ強烈な言葉を投げかけてきた人が一転して何も言わなくなるのだ。

やはり病んでいるというステータスの圧倒的パワーを感じざるを得ない。

文化されたステータスを与えられると、モノによっては強固な影響力を発揮することがある。

今回で言う「うつ病休職」というのもそうだし、最近だとLGBTとかもこれに当てはまると思う。

私が私であることは発症前後で何も変わらないのに、ステータスを与えられるだけで周りの対応が変わってくる。

人間社会面白さを感じさせると同時に、ある種の依存性について危惧してしまう。

私は自己肯定感の低いカラッポ人間だ。

そこに「うつ病休職者」というステータスが与えられ、周りの対応が変わってしまった。

この状況に慣れてしまうとステータスを手放すことが惜しくなり、自ら現状維持をしようとしてしまうのではないだろうか。

弱くなることで特別になれる、という快感に溺れてしまうのではないか。怖い。

周りの対応が変わったのは、社会がそういうシステムからである

鬱病診断書を提出することで会社はそれに対応したマニュアルに基づいた行動をしなければいけないからだ。

このシステムに目をつけ、悪意を持って意図的コントロールしようとする集団がいるとすれば、それはとても恐ろしいことだと思う。

誰も幸せにならない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん