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昔の人が満足してたとは思ってないよ。そりゃ昔だってもっとこうならいいのにって思う人はたくさんいるでしょ
自分以外の誰もが持ってるように見えてしまうというか、見える範囲が広くなってしまったのではという感想よ。
みんな持ってるように見える・何を持っててどう楽しんでるのかがよく見える、だから余計に諦めきれないんじゃないかなと思ったわけ。
ジョーカーになれとかもね、羨ましいから持ってるやつを害するていう思考は自分には理解できない。別に害したところで自分の手に入るわけじゃなし。余計虚しくなりそう。まあ理解できないのものを理解する必要もないし、それがどうしても自分の人生に必要だって人もいるんだろうが。
そもそも人生が平等だって思想が蔓延りすぎたと思うんだよな。んなわけないじゃんって感じ。
クローズドになっていくというか、場がどんどん区切られていくのかなあとは自分も思う。そっちの方がいいよな、知ることは大概苦痛を生むと思ってるから。
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結局『自分には手に入らないものがある』というある種の分別というものは、見えないからそう思える側面があるのだと思う。
ネットつーか今ここで想定してるのはTwitterとかインスタなどの、他人の日常を手軽に覗き見できるツールについてなんだけども、こういうものが発達するとぼんやりしてた世界が鮮明に、それこそ手に取るように見えてしまって、見えてしまったからこそ『自分もああなりたい』の欲望がいや増すのであろうなと思うわけである。
これまで見えてないし想定もしないし諦めるしかなかったものが、可視化されることで『自分の手中にないことがおかしい』までいってしまうんだろうな。
普通に生きてりゃみんな何かしら天秤にかけた結果諦めるようなことを繰り返してるわけだし、どうしても手に入れたければがむしゃらにやって、それでも無理なものは無理だったりするわけだ。
楽な仕事で一攫千金とか、モテる努力はしないが彼女彼氏を持っていないことが許せないとか、そういうのって『無理なもんは無理』の領域だと思うんだよなあ。
でも検索ワードひとつ入れたら普通にそれを手にした人々が、なにやら楽しそうにしているのがめちゃくちゃいっぱい出てくるもんだから現状がおかしいという認識になるんではなかろうか。
自分は化粧したくないし痩せるのもめんどくさいし、毛を剃るのも怠い、その上性格が悪いので、よっぽど気にしない上で自分を好いてくれる人が出現するという奇跡が起きない限りパートナーを持つことは諦めている。まあでもそんなもんじゃん。顔面もブスの類だしね。彼氏欲しいなあと思っても、現状をどうにかする努力と彼氏欲しい欲を天秤にかけたら努力したくない方に傾くんだわな。
仕事もそう、いい歳して大したスキルもなければ愛想がいいとか政治が上手いとかそういうわけでもない、その辺にいるただのおばちゃん。自慢できることなんてほぼない。早く死んじゃいたいけど親より先に死ぬのはさすがに……あと痛いのも怖いのも苦しいのもやだな……という消化試合っぷりである。心残りがあるとすれば積読くらいのもん。
インターネットはいろんな悪い側面あると思うけど、 結局人間に想像力がある限り、「こうではない人生」を必ず想像してしまうので、 ネット関係なく人間は不幸であり続けるんじゃな...
ネットがない昔の人は現状に満足して素朴に暮らしていたなんてのも幻想だろ。その時代の渇望や絶望がちゃんとあったはずや。
同時性があがったせいで幸せとかやさしさの平均値があがっちゃってるのよな。 ビルゲイツが一人でアメリカ人の平均収入を2倍くらいにしてるようなもん。 昔は字が読めなくても...