「インターネットを無為に漂い続けて、ニュースサイトをみては世の中を憂いたり、議論に参加している気になったりして、時間を無駄に浪費している。そんなことをやめて、人生を有意義に使おう。時間は限られている。」みたいなことを言われたりする世の中じゃん、最近。
俺、42歳の男でさ。年上の奥さんがいるんだ。
この人が俺には勿体ないくらい、とても素敵な人で立ち振る舞いや感じ方を尊敬してるんだ。いつまでも元気で居てほしい、って、そう思っててね。
でね、俺はさ、一応、ちょっとした専門職めいたことをしているものの、賢くはなくて。
まあそんなことは、こんな滅裂な文章や句読点の使い方を見りゃあ分かるだろうけどさ。
それでも、まあ、それなりには、こ忙しい毎日でさ。
毎日お仕事が終わって、家事も終えて、ボーッとネットの海に漂っている時間がワリと好きだったのよ。
「おー、このアイコンの人、面白いこと言うなぁ」とか、「しょうもないニュースだな」「鋭い!それ!俺も思ってた!(言語化してもらっただけ)」「この話は何の話だ?検索して探してみよう…ほうほう、こんな話か」「そんな見方があるのかー!理解できないわー!」みたいな瞬間とか。
そうだなー、あとは「ああ、やっぱり、それなりに考察するときには一次ソースが大事なのか」みたいな学びも、まあ、ごく稀にあった。
そして、そんな鋭い発言や学びを、ときには妻にさも自分が考えたみたいに得意げに話した。妻はいつも素直に感心してくれて、僕はカッコがつけられて満足だった。
効率化マンの方々からしたら、無駄に見える時間だろう。それでも、1日の終わりを演出する晩酌のような、無駄のない、無駄なインターネットを繰り返した。楽しかった。
でもね、そんな平穏な日々は続かない訳よ。
そう、みなさんの予想通り。
妻が体調を崩したんだ。結果からいうと脳血管系の厄介な大病だった。
症状が出た、最初のとき。俺は慌てたよ。大変なことが起きたと思った。それで、俺はこれまでインターネットの海に漂いながら身につけたスキルをたくさん使ったんだ。俺はこの海の泳ぎ方、少しだけ知ってる。知ってた。
たとえば、妻の症状を調べて、なかなか見つからなかったから、類語辞典で類語をひいた。賢くないから言葉を知らないんだ。違う言い回しで論文検索したりしたら、ようやく「あ!」と思うものに辿り着いた。
コレだ。この病気かもしれない。
中規模総合病院にかかって、その話をしたら、先生も親切で、しっかり検査をしてくれて、結果、実際の病名もドンピシャ。
結局、今は見つけた論文の先生のところに回されてかかってる。10万人に0.3人くらいのめずらしい病気だった。
「あと半年遅れたら、大変なことになっていましたね」と言われたとき、血の気が引いたのと同時に思ったのよ。
この文章を読んでいるだろう、どこかのインターネットで、すれ違ったみなさん。どうもありがとう。
感謝を伝えたい気分なんだ。
我ながら、身勝手なもんだ。
繋がりの中で生かされてる…とか、平凡なことを思ったよ。