2020-07-09

現代美術ルール

前提として美術自然のものは扱わない。自然景色が美しく、それに感動することは素晴らしい体験だが、それは美的体験とは異なる。あくまでも人が意図を持って制作したもの対象とする。現在では自然のものの美しさを描き出そうという作品評価は高くなりにくいが、自然を題材に人が意図を持って何かしら工夫して表現しているなら、それは高く評価される可能性がある。上述の話から逆張りとして、「あえて意図排除した作品」というものもある。つまり、「意図排除するという意図を持った作品」として美術概念に挑戦する作品である

このように現代美術はその概念拡張歴史によって形成された複雑なものとなっており、何がアートかは「アートワールド」が規定するという言説もある。

デュシャンは、レディメイドという、既製品作品として示し、自ら手を動かして制作したものけが美術ではない、美術概念拡張した。美術にとって「美しさ」はいまだ重要価値ひとつだが、美しくなくとも重要とされる作品誕生している。それに付随して、快だけでなく、不快さを抱かせる作品評価対象となった。作品多様化した。一時は、作品の中で表現された情報だけから評価をすべきだという話もあったが、今は作家意図社会課題美術文脈などを踏まえた評価一般的になりつつある。評価総合的だ。現代美術右脳だけでなく、左脳も使って美的経験を得るゲームなのだ。人々の変化とともに現代美術も変わる。つまり、その時代に合った作品評価される。評価は複雑で可変的で相対的だが、それを面白いと思うかどうかは、人によるだろう。

ちなみに、作品について、鑑賞者が見たいように見ればよい、という言説については、本人の中で完結する場合は、自由にすればよい。それが内心の自由だ。しかし、他者作品について、感想を話すなど、表現する際には、描かれているもの認知、そこから美的体験作品の背景など適切に感じ・知ることが必要だ。正解はないが、押さえるポイントはある。それが話し合う土台になる。

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