例えば文章が下手だ、といえばその人のプライドが反応してうまく書こうとする。
お前の書ける曲はセンスが悪い、と言われたら腹を立ててセンスを身に着けた挙げ句、嫌味なやつになったりする。
人の意見に振り回されるのと、人の意見を取り入れることは全く別だ。
誰の目から見てもすごい人間、立派な人間になろうとする時間を取りすぎると、その間に老人化してしまう。
こうした人は自分がやりたいことではなく、他人の望んだ人生を歩いてしまう。
他人がああだこうだと指図することをいちいち気にして他人が欲しがるものを手にし、
他人が称賛するものを客観評だけで良いものだと脳死しつつ判断する。
両者は対称的だ。朝倉は何があっても大抵は気にならない。
瓜田は逆にガリ勉的だ。
あらゆる知識を最大限の努力により後学で仕入れることによって視聴者にパフォーマンスをアピールする。
瓜田は朝倉を大物になると褒めそやしつつ、悔しいという。
ただし詳細は少し見誤っている。
朝倉の強さやブレなさは意志の強さに求められるだけでなく、泰然自若さにもあるからだ。
何者の評価も気にしないどころか、自己否定的なコメントですら改善項目として取り入れてゆく。
「痛みながらも参考になるから取り入れる」ではない。傷まないのだ。
事実彼は試合前にナーバスになったこともなければ、少年時代の喧嘩中にも感情的になったことがないという。
この柔らかさが彼の頭の良さにも直結している。
瓜田は基本的に、他人に言われたから「こんちくしょう」と思いつつ頑張った人だ。
実際そうした側面は動画の端々に見える。
朝倉とのスパー後に「さんざんバッシングされたが、今は格闘技頑張ってる」
というアピールを入れたり、「ごちゃごちゃ言うやつはやらないやつだ」と、
一方の朝倉は「いや、否定的なやつでもいいこと言ってることもあるんでそこは参考にします」
などと飄々としたコメントを残す。まるで人を食ってる。
腹が座っている? 意思が強い?
それだけだろうか。彼は柔らかいから強いのだ(格闘家として、という意味にとどまらない)。
彼をインタビューする人たちはどこか恐る恐る伺うように聞く。