宇崎ちゃんのポスターを赤十字が起用することで社会に対して女性蔑視を広める害があるから止めるべきだというのであれば、
聖書・コーラン・資本論は現実にそれらの作品に影響を受けた人が殺人なども引き起こしている以上は発禁ですよね(棒)
それはさておいて。
『フィクションに影響力はない』とは思わない。ただし、『レイプ物のAVやエロゲーを“見た人は皆が”レイプしたくなる』ような明確な効果は無い。
キャプテン翼を見てサッカーを始める人はいる。なぜならばサッカーは少なくともそれ自体は別に悪いことではないからだ。
一方でルパン三世を見て泥棒になる人やワンピースを見て海賊になる人はほとんどいない(『全くいない』と書かないのは悪魔の証明だからです)。なぜならば見る人は『泥棒』や『海賊行為』が悪いことであると知っているからだ。
フィクションにそのような『個人や社会の道徳的・法律的抑止を乗り越えさせる』ような効果はおそらく無い。
同様に、レイプ物AVなりを見てレイプした奴は─そのように言っている人は『自分の意思の弱さを認めたくなくて単に創作物に責任転嫁しているだけ』というのが一番高い可能性だとは思うが─元々レイプに対する抵抗感が薄い人で、
AVやエロゲが無かったとしても、『道でセクシーな女を見かけたから』『狙っていた女に振られてむしゃくしゃしたから』という理由でレイプするような奴だけだ。
「だからセクシーな女は通りを出歩くな。みんな整形でブサイクになって貧乳になれ」という主張はどう考えても成立しない。
これはプロパガンダ作品も同様で、“桃太郎 海の神兵”には、元々日本への帰属意識がある人に対し、戦争に協力する意識を強めるような効果はあったのかもしれない。
ただし、元々そのような意識がない人があの作品を見て「じゃあ日本の戦争に協力しよう」と思うかというとおそらくノーだ。
宗教的プロパガンダはというと、まず宗教とは何かという定義問題と、「宗教のない社会」はおよそ実現したためしがない(※なお増田は、社会主義もある種の宗教であると見做しています)ことから、
結局は宗教的プロパガンダも、よほど異教徒への憎悪を駆り立てるようなものでなければ規制するべきではない。それを規制し始めたら、冒頭に書いたような「聖書もコーランも禁止」という凄まじい不自由社会にしかならないと考えている。