以下を読んで思い出したので。
「負の性欲」はなぜバズったのか? そのヤバすぎる「本当の意味」]
高校の頃、自分とすれ違うたびに「キモいキモい・・・」と呟いてくる女子がいた。初めは何かの聞き違いと思ったが、4回5回と続くと、流石に確信に変わった。これは自分に向けられている。話したこともない相手だったので全く意味がわからなかった。ただ中学のときに、これまた大して関わりもないのにやたら自分を嫌っていた女子がいて、そいつと仲が良いということだけは知っていた。
最初はワケもわからずキモがられることに怒りもあったが、それ以上に、「自分が腹を立てようが立てまいが、キモがられるということは自分がキモいのは事実なんだろう」という恐怖があった。反抗する気は全く起きなかった。キモい奴が怒ったって、キモいだけなんだから、怒ることで今以上にキモい存在になりたくなかった。なんだかわからないが、キモいと思われるということは、一番あってはならないことだと思った。
その次は、自分の何がキモいのか?と当然疑問になったが、さっぱりわからなかった。なんせ言われたことがなかったし、どこがキモいかなんて人に確認できるわけもなかった。顔かもしれないし、声や、動作かもしれない。大げさと思われるかもしれないが、本当に全ての自信を失った。ただただ、すれ違うたびに言葉をぶつけられ続けた結果、「自分は、女性には見抜かれるキモさを発し続けているのだ、普通に接してくれていた女子はキモさを我慢してくれているだけなんだ」、と思うようになっていった。キモいままに女性に関わるのは、加害行為だと思い、女子を避けるようになった。この先、女性と最低限の会話以上をする関係には一生なれないだろうとまで思った。
呪縛は、大学生活でいったん人間関係がリセットされて徐々に解けた。それなりに大人な人達と接する中で、「俺って実はそんなにキモくはないんじゃね?」と思えたし、女性と談笑が許される程度の人間にはなれた。そのころには、高校のあの女が酷いやつだっただけだ、仮に俺に落ち度があったとしても伝え方があるだろボケ、くらいの認識にはなれた。ただ、恋愛感情を持つのは流石にキモいレベルの人間かもしれないという懸念は捨てられず、恋愛沙汰とは距離を置いた。
社会人になって彼女ができた。流石にここまでくると、呪縛からはずいぶん解放された。女性なんて自分と性別しか違わないただの人間だなとようやく思えた。大概の人は、会う人会う人をいちいち嫌悪したりして生きていない。今思えば、たかがN=1の人間に歪まされたのは、子供だったとはいえ、女性を異生物として視過ぎていた自分にも原因があったんだろうなとは思う。
↑の記事に"「キモい」人は「加害者」なのか?"という問いがあったが、自分は確かに、自身をキモい加害者だと思っていた。いや実際無意識になんかの加害をしていて、その復讐だったのかもしれないが・・・それにしても、無意味過ぎる。そんな「キモい」という言葉のもつ凶悪さ、反撃のできなさを知ってか知らずか、すれ違う人間にカジュアルにぶつける人間を見たのは、1度や2度じゃない。もちろんそんな人間はごく一部なのはわかっているが、↑の記事の言葉を借りて多少加えるなら、"積極的な負の性欲"を罪もない他者にぶつける人間は男女問わず確かにいて、今もそんな人間が野放しで"自称キモい加害者"を量産している予感がしている。
気持ちいい
そういう意味だったのか・・・