ホームレスを避難所に入れないという行政の選択に対して、行政が正しいと言う主張をする際に「自己責任である」という言い方が目立つ。
これに対する反論として「自分がそうなったときに助けられたりはしないのか」「怪我をしたり働けなくなったりしたらどうするのか」「障害を負ったりしても自己責任で済ますのか」というような、相互扶助、社会福祉的な内容がスターをかき集めている状態だ。
私個人は、生き延びるだけのスキルが少ないため、自分が助けてもらえる意見には賛成する。
ただ、率直に言えばそうした主張は現代日本の自己責任論者には決して届かないだろう。
彼らは「そうなったら誰からも助けてもらえない」と確信しているから。
生活保護受給者を批判するのも、自分がそうなったときには「生活保護なんて残っていない」と思っているし、災害になって自分が怪我を負ったりしたら見捨てられると確信している。
それならば助け合えば、という意見は彼らにとって「ご尤も」だが、そもそもこれからの縮小の一途をたどる暗い未来において、助け合いという方法が残ることを(少なくとも双方に利益が少ないものについては)期待していない。
経済縮小が進み、過去に類を見ない退廃が待っている現代日本においては、囚人のジレンマは無限繰り返し式によって起こるのではなく、自分(余裕があればその家族)がその瞬間に生き残れるかどうかという、一回きりのゲームでしかない。
だから、彼らは他人を助けることによって自分が得られる公共的利益がない以上、排除することに抵抗はない。むしろ、社会的リソースを奪う相手を積極的に排除し、自分が得られる数少ない利益を最大化することが求められる。
ホームレスや社会的弱者を見殺しにすることに抵抗は少なく、むしろ排除して税金が自分たちに配分されることを必死に求めている。自分たちが生き残るために。
だからこそ彼らは「そんなこと言ったってお前らも助けないんだろ?」と反論する。
発言する貴方達が彼らを助けてくれないし、そして自分を助けてくれないことも知っているから。
自己責任論を唱える人間は、決して愚かなのではなく、これからの社会に適応している、むしろ時代を先取りしている思考様式であると言えるだろう。
それが、現代の思考様式から見て到底倫理的でないとしても、封建制や奴隷制のような過去の思考様式が倫理的でないと見えるのと同じでしかないようにさえ思う。
むしろ、これからの時代を生きる若者たちは、助け合いを叫ぶ人たちを追い詰めることに、ひとかけらの呵責も覚えないのではないか。