今までのキャリアで、あらゆる状況に対応すべく、いろいろな知識と経験を積んできたわけだが、
でも、今になってこれしかないんだ!というものが自分の中にない。
逆にいうと、あらゆる可能性が見えてしまい、絞り込めないと言ったほうが正しいのか。
周りでうまくいった人たちはそういう部分だけはしっかりあった気がする。
選択と集中というやつだろう。
無論、道義的、道徳的に正しいとか関係なくて、各々のエゴの元に動いているだけで、客観的に見たら、ウワーってなるものもあったし、
大きな波に一度は乗ったとしても、栄枯盛衰で消えてった人もたくさんいる。
同時に、そういう単細胞な発想で、周りを潰してでも自分のエゴを貫く人に辟易していたくらいだ。
いろいろあって自分が新しいステップを自分自身で切り開いて行かないとならない段になって急に腰が引けてる。
自分で課題を設定し、伸ばしていくということより、誰かのやらかしのフォローや
誰かが勝手に設定したアホみたいなハードルばっかりこなしちゃったことで、自分で課題設定する能力が身につかなかったのかもしれない。
メタルギアソリッドで言えば、スネークを目指していたし、あらゆる場面であらゆるミッションを完遂できる人間になりたかった。
でも、それが目的になってしまって、その先が突然見えなくなった感じだ。
まるで、ランボー1の様だ。しかばねの中を歩き続けたのに報われるものは何もない。そんな中でどうやって生きたらいいのか。
令和の切り替わりのタイミングで、奇しくも、こういう状況におかれ、こんな感じでチラシの裏を書き散らかしている。
ただ、こう書いている中で、やりたいことが全くないわけではなかった。
当然幸せのベクトルはそれぞれ違う。そのなかで、最大公約数的な仕組みを作って小さいながら、関わる人が全て笑って生きていれたらいいと思った。
このルールを破ってまで、収益を追求するような生き方はしたくなかった。
当然稼ぐ楽しみっていうのはあるけれど、拡大する中で必ず歪むしその歪にアサインされる悲しい人が現れる。
そのプロセスでこれ以上辛い思いをする人を増やしたくなかったのかもしれない。
そうならない様みんな頑張った分正しい評価をもらえればいいと思っていた。
これはやっぱり綺麗事なのか。それとも、今の社会ではこういう普通の人なら願いそうな事柄は構造上無理なのだろうか。
いや、自分がこういう課題を設定した以上、弱音を吐かずに今言った様な理想を実現できるものを作るべきなのだろうな。
書き出した時は器用貧乏すぎて自分がよく見えてないという風な話を書きたかったのだが、
よく考えたら抽象的なレイヤーではあるが、基本ポリシーは持っていた。
もう少し、これからのことを考えてみよう。
パーフェクトソルジャー(日本のビジネス界隈での