話題の日向市のPR動画見たけど、個人的にはすごく好感の持てるPR動画だと思った。あの動画にいかなる程度であれルッキズムが潜んでいることは否定しようがないけれど、僕個人としては社会的抑圧の一切を否定した社会はハクスリー的なディストピアでしかないと思ってるので「海、似合ってないね」程度の抑圧は彼と同じく「ほっといてください」と言って許容出来る範疇 にある。しかし、それでもやはり肥満体型と似合う似合わないという価値判断を結びつけている以上そこにルッキズムという抑圧が存在していること自体は疑い得ない事実である。ところがその事実すら否定したがる一部のフェミニストたちがいるらしい。
サーフィンの練習を重ねた結果として体が引き締まることを自然の結果だと言うなら、なるほど一般的に言うルッキズムもある程度自然に根拠を持つものだと言えるだろう。しかし、海に似合う男が体の引き締まった男性なのだとしたら、つまり自然と身体の一致を以ってして似合っていると呼ぶのであれば、男女で所与の身体的条件に差異が存在しているのも自然になるわけで、したがって生理や妊娠などによっても社会活動に制限のかかる女性が社会進出を目指すことは女性に「似合っている」とは言い難いように思う。それは当然女性の社会進出を訴えてきたフェミニストには受け入れ難い主張かもしれない。
思うにフェミニズムという思想が上述したようにいくらかは自然に根拠を持っている社会的分業に反対するものとして登場した思想であることを考慮すれば、その根底においてフェミニズムは反自然的な性格を備えていることがわかる。それはつまり自らの生物としての女性性に対する根源的な自己嫌悪とも言える。このように考えた場合、フェミニストがこのPR動画におけるサーファーの「海、似合ってないね」というセリフを見てそこに普段から自分たちが解放されることを望んでいるのと同種の自然の軛を見ずに、あまつさえ他方にあってはその軛を肯定して自らの軛からの解放の手段にしてしまうのであれば欺瞞も甚だしいと言わざるを得ないだろう。
ルッキズムも性差別も、程度問題でしかない。 デブが海に合わない→ほっといて、のくだりが許容できるというなら、 生理があり出産する女は仕事に合わないという極論を言うのはお...