「車椅子の人が健常者と同じように振る舞えないことそのものが差別」
ただ、今すぐにと言われても簡単ではないしね。簡単じゃないから時間を下さい、って話が通用しないときがあるのがちょっとしんどいよね。
たとえ話として適切じゃないかもだけど、自分は女なので。社会的な機会は男女平等に与えられるべきだと思うけど、産む性としてのリスクを企業が見たときにキャリアブランクが生まれる女性は要職につけにくい…、みたいなジレンマと悔しみはあるわけ。
障害を持っていることで、こういう気持ち、ジレンマと悔しみを毎日の生活で感じるのだろうから、これはかなりしんどいと、わが身の境遇に引き当てるとすごく理解できたりするんだよね。
これをずっと「当たり前だろ女なんだからしょうがないだろ」と言われ続けるのは勘弁願いたいけど、一方で、現在はまだ社会の全てが納得して受け入れる状況に現在はなってないなら、しょうがないその範囲内でみんなでちょっとずつ譲歩したり許容したりしてるうちに、気付いたらみんなの努力のたまもので壁が無くなってたねぇ、ってなるのが、良いなーと思う。
でも残念なことに、「社会が当たり前のように納得して受け入れる」状態になるのはかなり難しいんだよね…
よく差別解消界隈だと「こころのバリアフリーを」みたいに言うんだけど、木島氏の方法は、物理的なバリアフリーを進める効果が一定レベルではあっただろうけど、その代わり心の壁が高くなった人をそれ以上に生み出した可能性はあるかなーと思ってるんだよね。男女平等に近づくことで女尊男卑を叫ぶ人が増えたように。
言葉は悪いが、車椅子利用のような「目に見えて分かりやすい」不具合とともに暮らす人を、妬ましいと感じてしまうような気の毒な状況を抱えている人だって少なくない。
労働条件が悪いとか家族関係に恵まれなかったとかお金がなくてとか、分かりにくくて救いにくい不遇にも、光を当てるような成熟さが、世の中の側になかったりするのもある種の原因だろうと思っているんだけど。
その辺については、まだ日本で注視して発言する人がほとんどいないんだよなぁという不満もある。新自由主義系はもちろん、なぜかこういう話をちょっと持ち出すとリベラル界隈の人たちまで自己責任風味のことを言い出しかねないし。
「健常者と同じように車椅子の人が乗れるようになるべきなんだよ」 果たして何人の車椅子の人間が乗ることを想定しているんだろうね "同じように"ということはやはり全員車椅子の客...
全員~~~じゃないとダメ、という極端な、「○○を満たさないと0点」、みたいに考えちゃうと、健常者も障害者も、全員幸せにはならぬよ。 今のところはこの辺りで折り合いをつけま...
ところが「車椅子の人が健常者と同じように振る舞えないことそのものが差別」って言う奴が少なくないんだよね 本当に同じように振る舞うこと想定したらどうなるか想像力足りてない...
「車椅子の人が健常者と同じように振る舞えないことそのものが差別」 これ自体は、そうあるべき正しい理想ではあるんだよ。 ただ、今すぐにと言われても簡単ではないしね。簡単じゃ...
「何人でも車椅子の人が搭乗できるような飛行機を目指すべき」でしょ。 設計の問題なのか、技術的な問題があるのか、費用の問題なのかは知らんが、 まあ100年くらい目標に向かって頑...
百年程度じゃ無理だろうけどね 千年後には実現してるの祈ろっか
否定するというか、社会が達成すべき事柄としての優先順位は高くないと思う。
まだその時期ではないと労働者である私は言っておこう。