2017-03-04

死刑制度について

最近、周りで死刑制度の是非について聞くことが多くなったので自分意見を具体的に言葉にしてみようかなと。

まず、反対派の主張をずらっと挙げてみます

犯罪抑止効果証明されていない

再犯可能性があるからと言うけれど、犯罪を犯す可能性があるのは人間なら誰だって同じである

冤罪可能性がある

死刑囚を殺す刑務官の罪の問題

大きくこの四つですね。

僕は死刑賛成派なので、これについて反証していきたいと思います

①②(内容が類似しているのでまとめて論じます

犯罪抑止効果は確実にあると言えるでしょう。実験をして科学的に証明をしたりせずとも、それは分かり切っていることです。

そもそも一般人は罪を犯しません。不可抗力や軽度のものならまだしも、死刑判決を食らうような大罪は犯しません。普通倫理観を持っているなら。

死刑判決を食らう犯罪者達はその「普通倫理観」を持ちません。若しくは一般的に広く人々が持っているであろう「罪の意識」や「やってはいけない事」の意識が圧倒的に低いです。

では、そんな犯罪者達と一般人を比べて犯罪を犯す確率が高いのはどちらでしょうか?

正解です。言うまでもなく前者ですね。

恐らくこれが一番の論点です。「人権が~」「人としての尊厳~」云々が一番の問題だ!と言う人もいるかもしれませんが、そんな曖昧模糊とした適当概念について語るつもりは毛頭ありません。

司法には推定無罪原則というものがありますが、その上で物的証拠も何もかも揃い、本人の自白も取れて死刑判決が下された場合、まだ冤罪がどうとか言ってられますかね?

とは思うのですが、それでもなお万が一にでも冤罪だった場合の話をします。

冤罪なのに処刑された人は既に死亡していて、責任をとることはできません。

…難しいですね。これについて僕は蟠りを覚えているのです。ひとまず保留として、よく考えてから機会があれば書きたいと思います

応報刑論(目には目を、歯には歯を)というけれど、それなら犯罪者処刑した刑務官も死んで償うべきではないの?

というものですね。これを聞いたとき応報刑論を持ち出して死刑制度賛成のスタンスを示していた僕は「なるほどなー」と思いました。

これについては、僕はこういう風に考えています

まず、『目には目を、歯には歯を』と言っても、「命」を取られてしまえば被害者はその時点で相手の「命」を取ることはできません。

そこで出てくるのが処刑人刑務官です。

まり刑務官は「被害者の代役」となって加害者の「命」を取るわけですね。

目には目を、歯には歯を」まではできますが、「命には命を」は相討ちでもない限り不可能です。ならば別の人間がするまで、ということです。

以上の四点を以て、死刑賛成論は締め括らせていただきます

しかし、三点目の「万が一の冤罪」は未だに良い反論が見つかりません。

詳しい方、誰か教えてください~。

あ、勿論反対派の方も、当意見に「ここがおかしい!」という点がありましたら意見をどうぞ。

  • まず近年の脳科学や生理学で自由意志が疑われてるし そうした理性がない人はどうせ犯すというならそれこそ抑止力がないということになる 物的証拠の捏造案件もあるのでその確率がか...

  • 死刑ってのは身体罰、ムチ打ちとかと似たようなやつって視点が抜けてる。 より野蛮な罰し方。サルがやってるような。 俺達は進んでないかー?それより。進んでる?

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