最近給付金奨学金給付金奨学金言われてるのを見聞きしてて思うんだけどさ、
お金をかけずにこの問題を改善(解決とは言わない)するために社会人枠の拡大をするってのはどうよ。
お金がなくて大学に行けないっていう問題の数ある躓きの石には、高校卒業から間隔をあけることなく大学に行くからっていうのもあり、この場合は各家庭の経済力に完全に依拠することになる。
とすれば、この各家庭の経済力への依拠を部分的なものにするため、浪人したと思って高卒で一年二年働いて学費を貯めることで大学に行く、というのが選択肢の一つとしてあってもいいんじゃないか。
どういうわけか日本では(といっても他所の事情は知らないが)こんな風に異様にライフステージの順序についてこだわる人が多い気がする。高校を出たら切れ目なく大学、それから新卒で正社員に就職っていうパターンとか、青春時代は恋愛に明け暮れなければならないとか、いい年こいてフリーターは恥ずかしいとかそんなの。
閑話休題。
金を貯めて大学に行けと言っても、現状では働きながら勉強するというのはまる一日勉強できる現役生に対して学力において大きな不利になる。
意識の高いはてなーたちならわかると思うが、一日働いて疲れて帰った後に「さーて勉強するか!」って気にはとてもなれない。
差は開くばかりだ。
さて、そこで社会人枠の拡大拡充だ。
ただ単に必要教科を減らすなり面接をするなり小論文やら経済事情の説明の書類を書かせるなりやり方は各大学が決めるとして、これによって貯金浪人にある程度下駄を履かせれば、貧乏な家の子でも意欲があれば学習の機会をある程度持つことができる。
しかもありがたいことに、似たような効果を得られる割りに給付金奨学金とは違って直接金がかからない。これが最大のセールスポイント。
できることなら学校に行きたい子全員が無負担で学校に行けることが望ましいし、これが100点満点の解決策だ。
しかし、社会人枠の拡大によって0を100にすることはできないまでも、0を10、20にはできる。
100点満点の解決策に固執し、一挙に解決を図るのではなく、こういう部分的な改善の積み重ねこそが近似的に100に近づく最短ルートだと俺は思う。