2016-08-08

相対評価で生きてきた。つらかった。

順位がつくのが幼い頃からしかった。

ある程度頑張れば上位に食い込むことができた。

田舎のその辺の奴よりは頭がいいと高をくくっていた。

その変な自信のおかげだったかもしれない。

とても順調な幼少期だった。

両親も頭のいい娘に鼻高々だった。

学校も、私の成功学校成功に繋がると後押ししていた。

周りにいる人間が私に期待した。

毎日生きてて幸せだった、気持ちよかった。


大学を出て一部上場企業就職した。

一部上場企業に勤める人は日本全体の12%。

その数字に心躍った。

私はこの国の、上位10%だ。勝ち組だと。

器の小さいことなので絶対に口には出さない。

けれど、自分自分たらしめている重要ファクターだった。

私は"優秀"である

その成功体験を振りかざした、努力もせずにしがみついた。


でも社会に出て少しずつ辛いと思うようになってくる。

とても心が弱いと感じる。

なぜかわからなかった。

自分は優秀なはずなのに何故こんなに苦しいのか。

苦しいことは何度も経験したが、それは必ず成功に繋がってると信じていたから、

楽観的だった。

今回のは違う。

漠然とした不安

もしかして私"無価値"?とも思ってしまう。

誰にも勝てない、何をしても満足にこなせない。


今に始まったことではなかった。

"相対評価で生きていた"からだった。

社会人になって縦割りの順位がつくということは少なくなった気がする。

どちらかというと、個々で得意分野を伸ばして会社としてできるだけ大きな円を

作るのがメインである

そうなると今まで縦割りの順位他人からの評判という

変わりうるもの依存していた者は、

戦い方を大幅に変えないといけない。

成果を残すための戦い方ではない、

自分が満足するための人生の戦い方である

いくら頑張っても上には上がいる。

自分よりも恵まれ能力がある者がいる。

自分よりも容姿に優れた者がいる。

自分よりも社会的成功している者がいる。

自分よりも裕福な暮らしをしている者がいる。

その当たり前のことが自分に少しずつダメージを与える。

1番になりたいからだ。

絶対にそんなこと無理だけど。


一般的に満足して生きている人は、絶対評価で生きている。

それと大きな夢がある。もしくは軸がある。

こうなりたい、これに関わっていたい。

からそのために○○が叶わなくとも我慢しよう。

これは捨てるべきだと正解にしてしまう。

めちゃくちゃに、強い。

相対評価の人は捨てるのがこわい。

完成系の設計図がないから、何を捨てていいかからない。


私は20年間以上相対評価で生きてきてしまった。

夢も中学の時に相対的幸せを求めて諦めてしまった。

人間そんなに何個も夢を持てない。


そんな人は、今目の前にある何かの中から

楽しいこと、嬉しいことを抽出して、打ち込むのが良さそう。

打ち込むと何となく今暇だから気になってる

些細な問題など気にならなくなるから

私はまだそこまでいっていない。

思考停止している。

どっちに向かって踏み出せば成功が待っているか

未だに存在しないパーフェクトなゴールに向かってどう歩めばいいか

躊躇している。


全部捨てろよ。

幸い、守るべきものがある。

その人を笑顔にするのを短期目標に頑張ってみる。

  • 日本語警察的な野暮なツッコミだけど、 私はこの国の、上位10%だ。勝ち組だと。 これって絶対評価的な価値観じゃないか? 増田が目指すべきは相対評価でも絶対評価でもなく、自分...

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