2014-02-05

むなしい人生だった

思えば、縁のない人生でした。

初めてのバイトは、親が頼み込んで知り合いに頼んだもので、

廃品回収を行っている業者でした。

1ヶ月間働いても、時給が500円でしたので金額は目標に届かなかったのですが、

初めて誰かの役に立ち、まとまったお金をもらったことはうれしいことでした。

高校生学園祭とき、ある係の長を頼まれました。

まったく分野が違うので一度は断り、他の人を当たるように言いましたが、

「他の人がいないんだ、頼むよ」と困っているようでしたので、受けました。

その後、担当教員によるパワハラ、だれも協力してくれないこと、過剰な責任から心を病みました。

医者に診てもらいましたが、結論だけ言えばヤブ医者でした。

こんな場所では生きていけないと思った私は、東京に行きましたが、そこの学長も、

「食事と睡眠以外の時間はすべて勉強だ。そうでなければ使い物にならないぞ」という指導方針でした。

私は必死勉強に励みましたが、他の人は親交を深め合い、協力して卒業制作に挑んでいました。

その頃の私は、今でいう「ぼっち」で、毎日電車に飛び込むか悩んでいました。

その後、卒業制作もできず、うつ病悪化し、実家に引き取られた私は2年ほど療養することになりました。

そして就職活動を始めるのですが、どこにも就職先はありませんでした。

コンビニバイトすら落ちるので、この世のどこにも自分必要としている人はいないのだと思いました。

それから、売れないiOSアプリ(2年で3万)を作るなどしてごまかしていたのですが、

村内のソフトウェア開発会社(といっても、従業員3名)からAndroidアプリを作るように言われました。

とりあえず作り始めるように言われましたが、今思えば、契約をせずに作り始めることがうつ悪化した原因だったのかもしれない。

そして案の定、契約の話はされず、結局契約を締結したのは税理士さんの進言で仕事が終わったときでした。

人月に直すと15万円なので完全に赤字ですが、それまでの収入を考えるといいなと、このときは思っていました。

回収に一年を要しました。貯金を崩しました。

その後、今度は第三セクターから依頼を受けました。120万、半年で簡単なWebアプリを作って欲しいとのことでした。

金額が少し安いが、他のところにもそのアプリを使うので、他の施設で回収して欲しいと言われました。

少し安い気はしましたが、村のためになるのならと、受けました。

契約書に判をついてくれませんでした。

期間が一年に延びました。

金額が大きく減りました。

他の施設に使う話はなくなりました。


自分が人として生きることがおこがましいのだとわかりました。

人間という生き物は、自分と違ってもっと賢い生き物なのだ、と。

自分幸せのために、他人にしわ寄せが行くのは仕方ないのだ」と思える強い存在人間なのだと。

自分人間をやめる前に、人間ではありませんでした。

人生ではなかった。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

さようなら

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