思えば、縁のない人生でした。
廃品回収を行っている業者でした。
1ヶ月間働いても、時給が500円でしたので金額は目標に届かなかったのですが、
初めて誰かの役に立ち、まとまったお金をもらったことはうれしいことでした。
まったく分野が違うので一度は断り、他の人を当たるように言いましたが、
「他の人がいないんだ、頼むよ」と困っているようでしたので、受けました。
その後、担当の教員によるパワハラ、だれも協力してくれないこと、過剰な責任感から心を病みました。
こんな場所では生きていけないと思った私は、東京に行きましたが、そこの学長も、
「食事と睡眠以外の時間はすべて勉強だ。そうでなければ使い物にならないぞ」という指導方針でした。
私は必死に勉強に励みましたが、他の人は親交を深め合い、協力して卒業制作に挑んでいました。
その頃の私は、今でいう「ぼっち」で、毎日電車に飛び込むか悩んでいました。
その後、卒業制作もできず、うつ病は悪化し、実家に引き取られた私は2年ほど療養することになりました。
そして就職活動を始めるのですが、どこにも就職先はありませんでした。
コンビニのバイトすら落ちるので、この世のどこにも自分を必要としている人はいないのだと思いました。
それから、売れないiOSアプリ(2年で3万)を作るなどしてごまかしていたのですが、
村内のソフトウェア開発会社(といっても、従業員3名)から、Androidアプリを作るように言われました。
とりあえず作り始めるように言われましたが、今思えば、契約をせずに作り始めることがうつが悪化した原因だったのかもしれない。
そして案の定、契約の話はされず、結局契約を締結したのは税理士さんの進言で仕事が終わったときでした。
人月に直すと15万円なので完全に赤字ですが、それまでの収入を考えるといいなと、このときは思っていました。
その後、今度は第三セクターから依頼を受けました。120万、半年で簡単なWebアプリを作って欲しいとのことでした。
金額が少し安いが、他のところにもそのアプリを使うので、他の施設で回収して欲しいと言われました。
少し安い気はしましたが、村のためになるのならと、受けました。
契約書に判をついてくれませんでした。
期間が一年に延びました。
金額が大きく減りました。
他の施設に使う話はなくなりました。
自分が人として生きることがおこがましいのだとわかりました。
人間という生き物は、自分と違ってもっと賢い生き物なのだ、と。
「自分の幸せのために、他人にしわ寄せが行くのは仕方ないのだ」と思える強い存在が人間なのだと。
人生ではなかった。
うーん。上の世代は交渉と恫喝の違いがわからない人も多いからな。 この業界、判子を押した契約書が返ってこない限り、着手しないを徹底すべき。
本当に一歩一歩、コツコツだよ。 君の学んだ経験は確実に力となり、知識となっている。 ゆっくり生きよう。
同意。 経験値は確実に稼いでいる。 臨界点を超えれば楽になるはず。
ちょうどホリエモンのゼロを読んでるところ まだ途中だけど ゼロを1にすることは大変 0は何をかけてもゼロ だから最初に1歩踏み出して1を作り出すことが大切 元増田はもうゼロ...
>だれも協力してくれないこと、過剰な責任感から心を病みました。 凄くよく分かる。私もこういう時あった。 社会人になってからの契約関連の話は大変ですね 他の職種とかなんでも...
はい、さようなら、おつかれちゃん
一定数、やっぱ世の中に適合できないとか、うつ病になりやすい人間とか出ちまうからな。 運が悪かったな。 来世があるかはわからないが、来世は幸せになれたらいいよな。
一定数、やっぱ世の中に適合できないとか、うつ病になりやすい人間とか出ちまうからな。 運が悪かったな。 来世があるかはわからないが、来世は幸せになれたらいいよな。
さようなら~ おやすみー(^^)/~~
アプリつくるのてつだってくれ~ (けっこうまじで)
アプリつくるのてつだってくれ~ (けっこうまじで)
おし、メアド晒せ。 話はそれからだ