「AともいえるがBともいえる」とか言う人の役立たなさ( http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131123 )を拝見しました。
以下の場合、ちきりんさんはどちら(A or B)を支持するのでしょうか?
★★★
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。
それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。
やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」
★★★
A.のメキシコ人の漁師は「人生とは自由なものだ。今が大事であり、生きて行く上で大切な物は十分にあるよ」と言っている。
B.のアメリカ人旅行者は「安泰を得るためには苦労と成果が必要であり、その先の成功の報酬として自由があるよ」と言っている。
漁師が病気になった場合は?漁の規制ができた場合は?社会保証は?
イレギュラーな事態での生存確率はメキシコ人の漁師は低いのではないか?
メキシコ人の漁師に突っ込むことは可能だが、僕が言いたいのはそこではない。
メキシコ人の漁師も自由な生活をしているが、お金が必要になれば仕事を探せば良いし、それこそ漁で捕れる魚を売ればいい。必要がないからやっていなくて、その分時間を確保している。
アメリカ人旅行者は社会的には成功しているので、メキシコでの旅行を楽しめるし、他人に説教をできる余裕も自信もある。それは過去の実績に起因しているわけでこの人は、そもそも仕事や勉強が得意で好きでありそれをアウトプットして世の中の暮らしを良くする事ことに喜びを感じているんだと思う。
Aだ!Bだ!決めること自体、大きな間違いなんだよ。
この曲でも聞いて出直せ