はてなブックマーク - Wikipedia:井戸端/subj/『生野区連続通り魔事件』の削除について-Wikipedia
微妙にバズってるのと、案の定勘違いしてる人がいるので書いておく。この記事は「特筆性がない」という理由で削除された。
普通に考えれば「韓国人が日本人を狙って起こした通り魔事件」なのだから、そんじょそこらの事件と比べて十分特筆性があるように見える。
でも実は、一般的な意味の「特筆性」とWikipediaにおける「特筆性」はまったく違う。
Wikipediaにおける特筆性はこのページ↓にまとまっている。
物凄く乱暴に言うと、信頼できる情報源(書籍や新聞など)で言及がなされたかどうかが大きなポイントとなる。
これが結構アバウトで、例え全国区の新聞に記事が載ったとしても、継続的に報道がなされなければ「一過性の話題」とみなされ削除される。
あと、「その事件・現象が発生した後にどのような影響があったか」も重要視される。影響がなければやはり一過性の話題とみなされ削除される。
例えばアイドルが公園で全裸になってチームメンバーの名前と叫ぶという特筆性のカタマリのような事件があったとしても、
マスコミが2,3日騒いだだけで後は総スルーしたり、本人がその後何の影響もなく活動を続けていたとしたら、当人の記事に一連の顛末を書いてはいけない。
当人にとってはマイナスなことなので、書いたら速攻で削除されるし、下手すれば書いた人はブロックを食らう。これがWikipediaの原則である。
一般的な感覚からすると納得いかないが、こうでもしないと「ぼくのかんがえたすごいきじ」で溢れてしまうので、仕方ない部分もある。
Wikipediaの管理者は別にウィキメディア財団(Wikipediaを含むウィキ・プロジェクトの総本山)に所属している訳でもなく、
本当にただの一ユーザにadmin権限が付与されているだけの完全なボランティアなので、彼らにあまり負担がかかると本当にWikipediaが瓦解する。
で、そうやって割と危ないバランスの上に成り立っているWikipediaのアレな部分(※1)が、たまに(しょっちゅう?)特殊な事件の削除審議で浮き彫りになるのである。
という訳で、どうしてもWikipediaにこの事件を載せたい人は、その筋に詳しい人何名かに依頼して本を出してもらうのが一番早いんじゃなかろうか。
この事件を主軸に書くのは難しいだろうから、『日本と韓国~知られざる現代史』の6章あたりに2,3ページ書いてもらうとか。
その後の影響とか、マスコミの報道の仕方とか、韓国側の反応なんかが客観的に述べられていると完璧。え、マッチポンプ?やだな単なる理想論ですよ。
※1
Wikipediaは各種方針に沿って運営されているが、これが本当に良いように取れる穴だらけの方針で、方針に詳しいベテランユーザや荒らしのおもちゃにされている。
直近で最も酷い一例を挙げると、「Wikipediaの外(Twitterや2ちゃんねる)での振る舞いをWikiepdiaの中で追及してはいけない」という慣例を逆手に取って
2ちゃんねるで(それもわざわざトリップを付けて)現在進行中の議論について挑発的な暴言を吐いたベテランユーザ。
当然議論相手は憤慨したものの、別のベテランユーザが「Wikipediaの外での発言を持ち出さないで下さい」と横槍を入れ、結局議論相手の方が折れてしまった。
なお、自分は別に管理者でもユーザでもありません。Wikipediaに書き込んでいないからIPユーザですらない。Wikipedia観察が趣味のただの増田です。