2011-08-10

幼少期の環境決定性

いや別に真面目な話がしたいとかではないんだけどね。硬いタイトルにしたけども要するに「今って幼少期の環境自分人生大きく左右されちゃう時代だよなあ」っていうのを最近強く思ったんだ。


要するに今って「高度情報社会」じゃなんですよね。こういう書き方するとほんと胡散臭く見えてははは、ってかんじなんだけれども。でもそれはどうしようもないほど真理なわけであって。ドラッカーなんか引くまでもなく、現代は知識労働者が引っ張っていく時代になっていくし、それはもう始まっている。そしてそれらに乗れている人間とそうでない人間の差は顕在化し始めていて、僕らはそれに対して「デジタル・ディバイド」という名前が付いているのを教科書で目の当たりにした。


田舎からきたんですよ。それもすごい田舎から。親は中小企業を営んでて、某大手の下請けやってたんだけども、不況煽り受けて受注減ってどうしようもなくなったみたいで仕事を畳むことになった。

初めて東京にきたとき地元との彼我の差にしばし佇んで、なんともいわれぬ感情に微睡んだ。人も、金も、そして情報も何もがこの都市において集積して、そしてすごい速さで回っているのを感じた。

こっちの人間と付き合うようになって最初に驚いたのはネットスラングの氾濫だったかもしれない。主ににちゃん発のワードが並んでいる中で、wwwが沢山並んでいたんだけども全く自分のなかで意味を為さなかったのを鮮明に覚えている。中高時代にコンピュータなんて殆ど触らなかった。オタクの持ち物だと思われていたし。その距離が遠ければ遠いほど、リアルで権勢を誇ったカーストの上位層とは仲良く出来るような気がした。

こっちにきて育ちがいいような、毛並みのいい連中と話してて思ったのは、そういう奴らって親からしっかりと人生訓みたいなものを受け取りながら、親の書庫を眺めて好きな本を手にとってはそれを自分の書庫にもしまっているんだなあというのを感じた。教育格差再生産として論壇でしばしば指摘される実情が、それはもう如実にこの先進国日本で広がっていて、波に乗った人間とそうでない人達の生活様式、行動様式が全く異なったものになろうとしている。自分の親なんて家に書庫も無ければ、インターネットなんて普段使わないから、なんて言って最近契約を切ってしまった始末だ。



あの時、そのことを知り得たら、その情報に触れられたら、自分の行動を変えられたかもしれないのに。




そういった環境に生まれ育つ中で、インフラとしてのブックオフみたいなものって田畑に囲まれた自分の街には無かったし、再販価格制に守られた書籍価格結構に高くて、当時子供だった自分が手を伸ばしても届きそうには無いくらい高いところに陳列されていたように思えた。どんなにそれが目の前に平積みにされていても。自分には手を伸ばしても届くことはなかった。


インターネットは時代性も多少合ったけれども、家族内で共有されているその利便性というものは終に自覚されることもなく、単なる断線した箱になって、今はひっそりと部屋の隅に隠れている。

今さら怨嗟の赴くままに自分の歩んだ轍を見て、その不備を詰ってみるなんてあまり非生産的なんだろうと思う。ただ、ここまで20余年生きてきた中で大きく社会は変わろうとしつつあるし、それに対する適応の可否によって自分の今後見ることになる風景というものが大きく変わることになるのは火を見るより明らかなんだ。




もし自分子供ができたときは、めいっぱいの書庫に、パソコンだとかの情報環境を、これ以上不可能なほどに整備して、この情報の海を自由に泳げるような環境を準備していあげたいと心から思う。


現実に制約された社会なんかよりこのウェブで広がった世界は遙か遠く、見渡すほどに透き通るのだから

  • そういうこと。 現代はもう最初から勝ってないとほぼ確実に勝てない社会。 だから少子化するし(最初から勝ってる奴以外子供産む意味無い)、経済もしぼむ(最初から負けてる奴は将...

  • 学習環境としてのネットと、ハクを付けるための教育制度があればなんとかなると思う。 将棋の里見女流三冠も島根出身ながらトップになったよね。 都会とか金持ちとか有利になりやす...

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