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はてなキーワード: 暁の寺とは

2024-01-17

社内ニートの1日

9:30 出勤、メールチェックは秒で終わる

10:30 TOEIC用の英単語勉強 300語

12:30 読書 今日小説(暁の寺)

〜13:30 昼休憩

〜14:30 眠すぎて目を開けて気絶

〜15:30 ふたたび読書

17:00 社内研修の録画(任意受講)を見る

17:30 デスク周りやスケジュールの整理など

17:30 退勤

今日はまじで暇だった 病むわ

2023-08-05

春の雪ホモ

奔馬神風連に憧れる僕は自刃したくて仕方ない」

暁の寺「僕はなにがなんでもあの娘がエッチしてるとこ覗きたい」

天人五衰「口が臭い男って最低」

2020-12-26

鬼滅の刃と三島由紀夫

 はっきり言ってこの文脈において鬼滅の刃はそこまで重要じゃないんだけど、要は生まれ変わりの話である

 鬼滅の刃は最終巻を除いて全て読んでいるし、一年上前からジャンプ本誌を購読していて大体の展開は知っている。三島に関してはこれまで十冊くらい読んだ。仮面の告白金閣寺豊饒の海。そういうやつだ。

 要するに生まれ変わりの話である三島由紀夫は東大卒業して官僚になった後で小説家に転身した。諸々の経緯を省くと最終的に自衛隊基地で生涯を終えることになる。この事件には様々な思惑が見られるのだけれど、それはそれとして三島由紀夫は生前まれ変わりというものへの執着を小説において大いに語っていた。勿論、それはポーズだったのかもしれない。荒唐無稽ナイーヴ小説家としてのポーズを取ることで、あるいは自分目的を推測されまいとしたのかもしれない。

 いずれにしても、豊饒の海シリーズを読んでいる限りで彼はかなり真剣に生まれ変わりというものを信望していたように思われる。三島事件だってそうだ。彼が事件を起こしたのは彼の誕生日である一月十四日の四十九日前だった。つまり事件から数えること四十九日後に、彼は改めてこの世に生を享けようとしたのである。少なくとも三島由紀夫の研究においてはそれが定説だ。


 鬼滅の話どこ行ったねんというツッコミが聞こえてきそうなので言及しておくと、鬼滅は正直面白いと思っている。下弦連中の粛清とか柱合会議あたりから特に面白くなったよね。俺はかなり好きだ。上限の六の兄妹鬼のエピソードラスト辺りとかも特に好きだ。

 鬼滅の刃においては、人と人との因縁因果、あるいは、極言すれば生まれ変わりについて表現散見される。生まれ変わり、そんなものが本当に存在するのかどうかは確かめようがない。だから、この議論は率直に言ってナンセンスだ。そんなものは分からないのだ。このテの命題そもそも述語を接続しようとすること自体間違っているのだ。そんなことは我々には分からないし、発言余地はない。生まれ変わりについてはそれで話が即座に終わる。オーヴァ。本来なら。

 とは言え三島由紀夫は明晰な頭脳を持ちながらに生まれ変わりをラディカルな部分で信じていたように思われる。少なくとも、自分小説でそのようにアピールしている。生まれ変わりを自分は信じているのだと。どうやら、彼は周囲に口にしなかった個人的体験によって生まれ変わりを信じるようになったのではないかと思われる。彼の遺作である豊饒の海』の最終巻『天人五衰』が脱稿されたのは三島事件の二日前で、つまり、彼は事件の後で『天人五衰』が出版されるように計らったのであり、『豊饒の海シリーズにおいて「生まれ変わり」が大体的なテーマとして描かれていたこからも、彼が自身存在を「生まれ変わり」の信望者として印象付けようとしたことは明らかであった。遺作のテーマは生まれ変わり――そして事件を起こしたのは誕生日四十九日前であり、これまた生まれ変わりを示唆しているのだ。当然この二つの事象リンクしている。

 『豊饒の海シリーズにおいて、主人公は松枝清顕と本多繁邦であり、本多は松枝と死別するが、生前松枝の身体に刻まれていた脇の下の三つの黒子を巡って彼は様々な生まれ変わりの事実に直面する。三巻『暁の寺』において登場する東南アジア某国の姫君ジン・ジャンは、本来知り得ようもはずもない前世の詳細な記憶本多に向かって詳細に語ることで、少なくとも作中において生まれ変わりの事実が明確にされることとなる。

 脇の下にある三つの黒子、というのがキーになっているこの連綿とした転生は、恐らくは三島本人の人生においても見られたのではなかろうか。三つの黒子とまでは言わずとも、身体的特徴の極度なまでの類似、そして死者と当事者しか知らぬはずの記憶が語られること。それらによって三島は生まれ変わりの事実を、自身人生においても確認したのではないか――? 無論こんなことを考えるのはナンセンスだ。そんなことは三島当人しか知る由はないし、重ねて、生まれ変わりに何らかの述語を接続してはならないのだから

 でもあったら面白いよね、生まれ変わり。


 因みに、彼の遺作のタイトルである豊饒の海』はミスリードを誘うもので、本来このタイトルは、ヨーロッパにおける月のクレータの異称を指している。

 古来よりヨーロッパにおいては月に存在する巨大なクレーターのことを「豊饒の海」と呼ばうのだ。

 それは、月に存在する一滴の水も存在しない茫漠とした荒野のことである。「豊穣」という言葉とは裏腹な、無益と徒労を象徴する荒野存在が、彼の作品には浮かび上がっている。

 
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