2021-07-25

五輪代表選手容姿を褒めるツイートに何万もいいねがついていた

昨今、容姿が本職じゃない人の容姿に強く焦点を当てる言説(ルッキズム言葉定義ぶれるのでできれば使いたくない)はそのニュアンスの正負を問わず批判対象となっている。はてなでもそうなのでこの前提は共有してもらえると思う。

で、私も素朴にそう思ってたんだけど、今日ちょっと疑問が生じて色々考えてみた。

タイトルツイートはこんな感じ↓

「xx(競技名)のyy選手めっちゃ可愛い……(画像4枚)」みたいな。今日のTLにはこんな感じで色々な競技の色々な選手のものが流れてきた。

念のため言っておくと私はそれらの意見肯定否定もしていません

本題

容姿に着目することは人格や本職を無視することを必ずしも意味しない。

これ系の話題でよく見るのが「人格無視した性的消費」みたいな非難

しかし、例えば私が実際に見たツイートなんかは「名前」「競技名」がきちんと記されていて、選手本人を容姿から置き去りにしていない。(理想を言えば「世界ランクヤバイ」「zz技術ヤバイ」なんかの情報感想があるのが一番いいのかもしれませんが。)

この場合もやっぱり不適切なんだろうか?

②「jobとabilityはどのような関係にあるのか?」

例えばあるプロスポーツ選手が良い環境トレーニングに専念したり家計を成り立たせるためには、単にその競技の実力・実績があればよいというわけではない。賞金や年俸ヤバイ一部の競技トップ選手を除けば、多くの選手企業勤めをしたりスポンサーを獲得して仕事支援を受けたりグッズ収入を得たりする必要がある。これらの収入金メダルの賞金500万円と異なり、競技の実力によってのみ得られるわけではない。

このとき選手競技能力以外の要素を肯定的に拡散することは不正義となるのか。スポーツ選手に限らず一般企業社員アーティストやは?容姿に限らず知性や人格や逆?

③「スポーツ選手」は常に「スポーツ選手」でしかないのか?

上でも軽く触れたが、選手人生競技に限らない。競技者を容姿(など競技関係ない部分)で称揚することが悪であるとした場合、その人間が「選手」でない瞬間であれば容姿に触れても良いのか?ある人が職業である瞬間とそうでない(あるいは別の職業である)瞬間はどのようにして区別されるのか?

例えばスポーツ選手の中にはモデル業を兼任している人がいる。モデル仕事スポーツと同様に全身が商売道具なわけで、体のメンテナンスには多くのコストをかけるという。「本番」「トレーニング」「コンディション調整」の時間必要でありそれは食事睡眠まで含めた24時間の大部分にわたる……となるとそれはもうそれぞれの状態が一人の人間の中に同居していることにはならないだろうか。

わからんなんもわからん

他者評価する際相手属性によって触れることが適切な項目とそうでない項目が変化するというなら、どの項目がどの属性と結びつくのか、どの瞬間にどの属性を有する状態となるのか、その辺の議論ってどこかで体系化されてたりするんですかね

あと私の頭がパンクしたので今回触れませんでしたが、そもそもいついかなるときでも他者容姿言及すること自体不正であるという主張も当然あると思います。(それはそれで能力主義等との検証必要になるとは思いますが……)

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