2018-11-09

なぜ暗い物語が求められるのか

https://webnovel.jp/n/1541741088988

世界は踊り、取り残されて」

先日、Web小説投稿サイトに載せられた同人小説である

大学四年生女の子単位を落とし、すべてがいやになって海を見に行く。自分を包み込んではくれない海に中指を立てて、そして自分中指を立てるシーンでこの作品は終わる。自分が許せないから、日常風景が許せなくなる、そんな話だ。恐らく、実際に単位を落とした作者が、自己投影しながら書いた作品なのだろう。

世界は踊り、取り残されて」には、浅野いにお花沢健吾青年漫画、あるいはハードカバー一般小説によくみられる、都会の鬱屈した日常が感じられる。僕はこういった雰囲気が好きだ。

ではなぜ、人々は陰鬱物語を愛するのか。暗い物語の担う役割とはなにか。一つ目は「啓蒙」だ。

厨二病まっさかりの中高生は、血なまぐさいファンタジー社会の闇など、アンダーグラウンドものに惹かれていく。

なぜ少年少女が一様に残酷物語を求めるのか。僕は、いずれ来たる残酷現実に備え、苦しみを知るための本能的な衝動だと思う。

ほとんどの子供は親の庇護の中では無敵だ。苦しみや痛みや面倒事は親が振り払ってくれる。

しかし、大人になるとそうはいかない。痛みを知らないまま大人になってしまい、社会に出て初めて、人間関係生活不条理さ、世界残酷さを覚えてもまともに戦えないのだ。だから、苦しみと戦えるだけの体力や精神力のある若いうちに、陰鬱物語を求める。

物語必要としない人間は、現実世界理不尽さを経験することで成長していく。

残酷さや苦しみは確かに人を傷つけるが、人間の魂はそういったものを克服しなければ成長できない。

暗い物語は、僕達が傷つかない程度に、傷の痛みを教えてくれる。

そして暗い物語のもうひとつ役割は「癒し」だ。

明るさだけが人の救いになるわけではない。小説家になろうなどでは、鬱屈した生活を送る主人公異世界転移し、自分いじめていたクラスメイト復讐するという作品がある。こういった作品は「今の自分から抜け出したい」「惨めさを払拭したい、強くなりたい」という読者の、魂の叫び癒してくれる。

また、僕の友人は、暗い物語を読むことで、「ダメなままでも生きてていいんだ」と肯定感を得られると話していた。その時、彼女らは陰惨さに救われている。

また、僕はイラスト趣味で、その繋がりからインターネット小説書き手交流させてもらうことがある。そこでわかるのは、陰鬱物語書き手は、陰険と言うよりはむしろ人間の営みの醜い部分を分析し、受け入れていけるだけの強さがあることだ。そんな作者から与えられる陰惨さは、苦しみを抱えた読者にとって、ある意味で慈愛だろう。

慈愛は「小説を読む読者」ではなく「小説を書く作者」に向かうこともある。防衛機制でいうところの「昇華」だ。

この場合は、作者の苦悩が物語リアルに反映される。誰もが知る有名どころだと、太宰治の「人間失格」がこれにあたる。

世界は踊り、取り残されて」では、単位を落として内定を逃し、堕落した生活を送る主人公は、海に向かって中指を立て、そして今度は自分に向かって中指を立てる。

これは象徴的なシーンだ。

癒し」として生み出された作品において、作中の苦しみや悲しみは主人公ではなく、作者に課せられる。中指は海――作品対象ではなく、自分――作者自身に向けられているのだ。

もちろん、この二つにあてはまらない暗い物語もある。だが、根本人間の醜さへの受容のない陰惨さは、読者の野次馬根性を煽って購買意欲を掻き立てたい・閲覧数を稼ぎたいだけだ。それはエンターテインメントであっても物語ではない。

陰鬱物語において、中指は誰に向くのか。その中指は同時に、救いの手となるべきである

世界は踊り、取り残されて」:https://webnovel.jp/n/1541741088988

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