2018-11-09

2002年卒 新卒就職失敗した俺の年表

2000年夏】 就活開始 合同説明会業界研究などなんとなく嫌で参加せず

2001年】 2社+教職に応募するも、もともと無理筋であえなく全敗。数名のモラトリアム組と一緒に社会人になっていく友人を祝う。

2002年春】 大学卒業実家ぐらしのフリーター生活スタートバイト先は大学時代から続けていた飲食店フリーターのくせに4月から2ヶ月ほど東南アジアバックパッカー

2002年秋】 就職。 東京資本ブラック営業職。月収25万程度、ボーナスなし

2003年秋】 一人暮らし開始。月収25万円と変わらず、ボーナスなし、家賃6万程度(県下最大の繁華街直ぐ側だったため、毎日飲み歩き貯金ゼロ二日酔い仕事に行き職場トイレ嘔吐すること月に何度も)

2004年春】 最初職場退職。単純に仕事が楽しくなかった。残業もせず営業成績はノルマギリギリアウト、給料はしっかりもらってたので風当たりも強かった。

移行失業保険3ヶ月分で食いつなぐ、というか飲みつなぐ。

2004年初秋】 失業保険切れて家賃払えなくなったので肉体労働バイトを始める。日給8000円。と同時に就職活動を始める。時代ライブドア・ショック前夜、時代ITだなとWEBマーケティングWEB制作系の本を図書館で借りて読み漁る日々。ホントは半分以上小説借りて読んでた。

2004年初冬】 地場零細IT企業就職。月収19万円程度、ボーナスなし。職種地場工務店廻りのルート営業

2005年初頭】 東京営業所開設に伴い転勤(もともと東京勤務条件で就職家賃は半額補助だったけどまたたくまに困窮する

2005年秋】 勤め先破綻、自費で地元に戻る。当然すっからかん実家に逃げ込む。幸運にもWEBマーケティング担当として勤め先の顧客であった食品流通企業就職月収20万程度、ボーナス年間3ヶ月程度移行心を入れ替えて勉強しつつ学びつつ、ちょうど地域ブランディングブート相まって2008年ころまで県下の業界ではちょっとした有名人に。ただし昇進もせず給与もあまり上がらない。

2006年春】 再び実家を出て同棲開始

2010年春】俺を招いてくれた社長勇退。反りが合わなかった重役が社長に。広告予算を掌握していた俺がじゃまになりあからさまに社内の風当たりが強くなる。恩義もあったが転職を考え始める 同棲解消、独り身に

2010年秋】地元広告代理店に転職。前職でコネクションが作れており、仕事評価も広がっていたので苦労しなかった。月収30万円、ボーナス2.5ヶ月程度。色んな会社ブランド開発、広告運用担当する楽しい日々。

2015年春頃】クライアントに対して某グローバル営業支援システムの導入をコンサルする新設部署責任者に 。 年収550万円ボーナス込。 結婚

2016年春】 住宅購入(3500万円 うち2500万円35年ローン)

2018年春】 38歳 クライアント企業転職地場中堅流通業。経営企画責任者 年収700万円査定ボーナス 第1子誕生幸せ

  • 別に新卒で失敗してもなんとかなるよね。 だからこれから新卒就活する人達、してる人達、もう終わった人達も失敗しても死んだりしないでほしい。 とりあえず増田はお幸せに

  • ロスジェネ?

  • だから何?としか言いようがない あんたは幸運かもしれないけど1000万人近いロスジェネ世代の多くはいまなお泥水をすすっている

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