2015-06-28

閉塞的なコミュニティに居るきみへ

母親新興宗教にはまるわ、祖父は神主だしで、思春期結構暗黒時代だった。父はずっと見ないふりをしていた。宗教戦争ってこんな感じでおこるんだなぁって。ここ日本なのになんでこんな思いしなきゃいけないんだろうって、悩んでは落ち込んでいた。勉強は好きだったけれど、理数科目が全くできない落ちこぼれで、学校もなじめず、お金もどんどんなくなっていって、もちろん塾とかには行かせてもらえず、住んでいるところも小さな町で、皆私のことを知っていて、閉塞的で苦しかった。母は非常に勉強ができた人で、「あなた馬鹿からきっと国立大学には行けない。だから、県内の大学専門学校へ行きなさい」って言い続けた。それでも、結局何とか母の希望にあうような大学(県外)に滑り込んで、それを口実に家を出た。今思うと、すごく無理をしていたんだと思う。卒業写真の私はすごくやつれていて、目に光はなく、むっつりとした爬虫類みたいな顔をしている。それを見ると、なんだかいたたまれない気持ちになる。

大学に入って、私はものすごく自由になった。世界がぱぁっと広がって、沢山のコミュニティに属することができた。友達も増えて、部活に入ったり、海外に行ったり、色々なことにチャレンジした。あと、反動でとんでもなくオタクになった。それから教授たちやチャンスに恵まれて、勉強があれほど楽しいと思った時期はない。成績が良かったことが評価されて奨学金をもらい、留学もできた。高校生の時は人見知りだったけれど、大学に入ってたくさんの人と接していたら自然と治った。家族からプレッシャーがなくなると、思ったより自分が色々なことができる人間だと気付いた。自分に自信がついて、たびたび私をむしばんできた卑屈さや劣等感もそのうちおさまった。人生ってこんなに楽しいものなのだ、とすこぶる感動した。高校の時と、今の顔を比べたら驚くほど違う。顔のパーツは同じだけど、もちろん今の方が断然良い。あと、やっぱり化粧は偉大。

大学生活中、お金が常になかったので、色々なバイトもやった。結婚式のウェイター、携帯の営業、居酒屋の皿洗い、ひたすらダンボールを作る仕事倉庫で冷たい箱をおろしたり載せたりする仕事、採点、テスト監督に、祭り警備員等々…。色々勉強になった。社会人の今もめっちゃ役にたっている。数あるバイトの中で、一番好きだったのが某大手塾チェーンでのバイトだった。子供が好きで、教えるのも世話するのも好きだから全然苦にならなかった。給料はまあ、残業代つかないし、勉強結構時間とられたし、あんまり良い方じゃなかったな。

塾のバイトで、狭いコミュニティの中で悩む子供たちがたくさんいた。それはすごく不思議な体験だった。皆、過去の私の片りんを持っているように見えた。「◎◎ってお母さんがいうから、嫌なの」とか「なんとなく、クラスになじめなくて…」とか、そういう話をたくさん聞いた。この子たちの世界は、今は家族学校しかないから、苦しいんだろうと思った。私は、ずっと「大丈夫大丈夫から。独り立ちすれば、いずれきっと良くなる」と言ってはげましていた。それは、過去の私に声をかけているような不思議な体験だった。エゴかもしれないけれど、そうせずにはいられなかった。少しでも私の言葉が、彼らに届けば嬉しい。

高校生が自らの命を断ってしまったという報道を見るたびに悲しい気持ちになる。彼らは多分、閉塞的なコミュニティにいて、それで疲れてしまって、将来がわかんなくなっちゃったんだと思う。そういう子たちの耳元に、今いるコミュニティがすべてではなくて、いつか抜け出せるチャンスがあるんだよ、抜け出すチャンスを見つけたら一目散に逃げろ、と私は囁きたい。無責任なことを言われて、ムッとするかもしれない。だけど、信じて欲しい。人生は本当にいとも簡単に変わる。明けない夜はないのだ。人生は始まったばかりで、時間は意外とあっという間に進む。

悩みすぎるな、若者よ。常に明るい希望を持ち、チャンスを待つのだ。大丈夫きっと大丈夫人生は、本当に楽しいものから

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