はてなキーワード: 社会的認知とは
それは非常に重要な所で、注意して考える必要があると思うんだが、
まず社会的認知を求めるのは当然の事と思う。
ただ、そこで「結婚」という形を求めるのは、勢い余って脱線してるんじゃないかと俺には思える。
愛し合う二人が社会に何恥じることなく人前でイチャイチャするのは、まあ性マイノリティとは別次元の問題で舌打ちしたくなるが、認められて良い事だ。
男と女の関係だと、惚れた腫れただけじゃ済まない厄介な問題が付きまとうから結婚という一つの「型」に嵌めて諸々処理してるってだけの話だ。
それなのになぜ、男女間の諸々の厄介事と縁のない同性愛者が結婚したがるのか。
それが、「二人が愛し合う事への認知が欲しい」だけの話だったら、残念な事だと思う。
上手いたとえが思いつかないが、
制服が必要な学校に行った兄に対して、私服OKな学校に行った弟が「自分も制服が欲しい」と言ってるようなものだ。
それは彼には必要ない物なのに。
両親が兄弟を差別しているなら、その差別の是正を要求するのはいいだろう。ただ、兄と同じ制服を求めるのは間違っている。
働きます。
さっき謎の計算をしながら「働かない筈だ!」と喚いていたけれど
現存する一夫多妻の国(日本も昔はそうだったが)の家族を見てみればいいが
第○夫人までみんな子供を持ってる。
愛人が妻より子供出来にくいとすれば、社会的に容認されていないせいで妊娠に消極的だから。
そう、雇用の創出。
バカがさっき現状を完全雇用状態みたいな前提で語りながら「悪くなる」と喚いていたけど
無い無いと喚く根拠がさっきから無い。
あくまで喚きたいなら貧乏人がガンガン種付けしてガンガンガキを作るインセンティブも無い。
子供が労働力になって親を助けてくれる、と言う時代でも社会でもなく養育費ばかり高いのだから。
とすればこの施策で何かが悪化すると言うことは無いわけだ。
わかりきってることだがわざわざ補足説明をありがとう。
既存のその関係に法的社会的認知を与えよう。そうすれば少しは子供が増える。
あとさっき言ったことをバカにはもう一回繰り返さなきゃいけないようだけど
「有限のパイを奪う」とかいう言い回しはパイが不足してる状態で言うこと。
男も女も買い手がいなくて市場にダブついているのが今の状態。3回は言わせんなよ。
それを更に公的に認めるということは、女の一極集中を是認して、「ガキを作る」のに適した年齢の男にシェアを与えないことに直結する。
さっきの文をよく読んで理解してりゃこんなバカ丸出しなことをもう一回書いたりしないですんだ。
失われるガキは平均値で考えて15人くらい。(まぁ、全ての老人が溢れる性欲で種付けしまくりさ!と考えてるのかもわからんが)
現状で老人に囲われてる女は、法が認めなくとも老人に買われているパイなわけだ。既に!
現状で市場から失われているパイについて、「新しい施策を打つと失われる」と喚く低能が居るんだけど
どうやると彼に日本語が通じるのかな?w
(どうでもいいが20人も囲う老人て想定には笑った。精力も資金もぶっとんでるなー。
そこまですごい人物は想定しなかったけど、そんな絶倫老人なら法が認めれば子供いっぱい作ってくれるだろう。)
俺はもうちょっとまともなオツムの人の反論が欲しかった。
そういう人と反論再反論のやり取りをすれば論のブラッシュアップになったが
3度は言いたくないから重ねて言うけど
君はこの施策に反論する時に
現状を完璧に成功した市場、男女が完全にマッチングし誰も余ってない状態であるような前提で反論をしている。
そんな状態であればそもそも少子化対策は必要ない。
ていうかな、バカは100回ぐらい推敲してから人に反論してくれ。
ついでにその「結婚できるけどしない女~」ていう本は前どこかで見たから知ってるけど
作者の白川桃子さんと言う人は昨今流行の「婚活」という言葉を作った人だし
「結婚できるけどしない女~」の時期から日経にコラムを書いてるほどの社会的認知を得た人で
あなたが言う「珍獣扱いで登場してる」っていうのも根拠のない主観の発言じゃないかと思う
まとめ
1・白川桃子先生は決して「珍獣」扱いではなく、シリアスな存在として信頼性の高いメディアに長年登場してきた
2・上記1の事実を無視し、申し立て通り白河先生が「無根拠発言を繰り返す珍獣」としてメディアに登場してきたと仮定した場合
「無根拠な侮辱や中傷には怒ってはいけない」という主張は全体的に意味不明
なんかもう男女論というよりあなた個人の知能が問われていると思う…
されど進まず。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090226mog00m010043000c.html
少子化対策PT:小渕担当相「ピンポイント支援ではダメ」認識改めた
少子化問題に取り組む「ゼロから考える少子化対策プロジェクトチーム(PT)」(主宰・小渕優子少子化対策担当相)の第2回会合が24日、内閣府で開かれた。結婚や出産をためらう理由の一つには、就職難や自立した生活が送れない経済事情が関係しているのではないか、という仮説を検証した。
国内・海外の若者のライフスタイルに詳しい宮本みち子放送大学教授と、青少年就労支援NPO「育て上げ」ネットの工藤啓理事長から、現状の課題と将来施策への提言をヒアリングした。
宮本さんは、主に北欧の政策と比較したうえで4点を提言。(1)若年ワーキングプアの防止=いかなる雇用状態になっても最低限の生活は守られる所得水準や制度の構築(2)職業訓練を受ける権利の確立=失業者中心ではなく、就学と就職の間を取り持つような普遍的な施策(3)共働きが可能な環境条件の整備=だれもがたやすく妊娠・出産・育児を乗り切れるような施策や社会的認知(4)若者総合政策=ピンポイント支援ではなく、ライフステージの中で長く広く安定したサポート--が必要だとした。
工藤さんは、家庭環境や病気など複合的な事情がある若者や児童福祉法で保護されている年齢を超えた若者への支援が難しい▽若者を支援している者への支援も必要--などの課題を挙げたうえで、人的・金銭的・制度的なサポートが必要だが、きめ細かな視点や見直しをいとわない思い切りのよさも不可欠だとした。
小渕担当相は、(1)少子化対策はどちらかというと妊娠・出産が中心だったがそうでもないのではないか(2)若者支援は点ではなくライフステージのうえでとらえていく必要があるのではないか(3)若者支援は若者対象だけでなく支援者も対象に含めた包括的な支援が必要なのではないか(4)若者の実態を正確にとらえる必要があるのではないか--と述べ、「これまでの認識を改めないといけないことがわかった」と率直に語った。
素っ頓狂な認識のまま迷走するよりは数百億倍はマシとはいえ、これに気づくの遅すぎじゃねえの?
通常であれば、出産適齢期の妻がいる夫婦の所得分布とか、一人の子どもが高校・大学卒業するまでにかかるコストとか、そういった分析から始まるような気がするんだが。
根本的な面ではオタクはマニア・学者と略同一で、年齢的、 一般的基準として外れている物を趣味とする人をオタクと呼ぶだけであり、 明確な差は見受けられない。
が、自身をマニアと呼称して、オタクとの同一視を拒絶する者もいる。「マニア」と認識していても、より限定された対象の「マニア」やそのジャンルに全く興味の無い者から見れば「オタク」として捉えられることもある。近年のオタク概念の汎用から、従来はマニアとされた区分とおたくの同一視(広義のオタク)も発生している。
オタク以前にも、何か特定の物に執着して、生活を省みない人は存在した。これらはマニアと呼ばれている。ただ、マニアがその原義において、ある特定方向にのみ情熱を持って接するのに対し、オタクは「オタク市場向け製品」が様々な分野・ジャンルにまたがりながら、一定の属性によって区分されるように、ある特定範疇にある対象群に慣れ親しむという、やや曖昧な嗜好対象となっていることが多々ある。
学術的な専門家とオタクとの違いは、前者は知識を世のために活かすことを目的とするのに対し、オタクは知的満足・収集的満足・同じ志向のオタクとの交流・共感による寛ぎ・安らぎに留まる点である。強いてあげる学者とマニアとの差は、後者はジャンル全般における体系的知識が欠けていても特に問題としない点である。
オタクであることによる副作用が、世間一般から「不健全」であると誤認される。オーディオマニアや釣り馬鹿(→釣りバカ日誌・釣りキチ三平)などのような既存の「マニア」という区分が、一般にとって文化性の高い・あるいは健全な(ただし行き過ぎた)趣味にもみなされるのに対し、オタク傾向が社会的に拒否感を被りやすいのは否定できない。
勘違いして欲しくないのは、別にWikipediaにこう書かれているからといって、この定義が正しいと主張したいわけではない。
ただ、以下、僕はこの定義で「オタク」と「マニア」について話をするという、表明。
「マニア」自称するなら知識は必要で、「オタ」は姿勢だから知識関係ないとか言っている奴いるけど、何なの。
親切心から言っているのかも知れないけれど、オタとマニアを勘違いしてるでしょ。
マニアは一般的基準の範疇内、オタは範疇外ってだけなのに。
大体、オタクな時点で、一般的基準の範疇外の物に熱狂したはみ出し者なんだから、マナーだの配慮だの初心者への優しさだの言う方がおかしいでしょ。
そういうのもわからないで、オタ名乗ってんじゃねーよ。
それでいて自分の定義で「オタク」と「マニア」を規定して、それに合わない奴を見下して優越感に浸りたいなら、オタなんて向いてないから。
テレビや雑誌に普通の生活なんて出てないと思うから、ごくありふれてメディア取り上げられない普通の生活すればいいと思うよ。
というわけで、自己定義を示した上で語るのは勝手だが、その自己定義を他人に押し付けるのは間違い。
まだ学生さんかな?
たとえば俺が「オタクは人間ではない」と定義したとして、「うわ、あいつオタクのくせに人間名乗ってやがる」なんてのは通用しない。
論理として通用しないのではなく、俺が定義した「オタク」「人間」という意味とは全く別の意味で、「あいつ」は「オタク」「人間」という言葉を使っているから。
同様に、「なんとかオタなら絶対押さえておくべき」と言っている奴が、どういう定義で「オタ」という言葉を使っているのかわからないのであれば、「『なんとかオタなら絶対押さえておくべき』というのは間違い」というのは間違い。
君がどんなに「オタなのに知識を押さえておくとかおかしい」と主張したところで、相手は「オタク」と「マニア」をWikipediaにあるような、同列の者としての意味で使っているのかも知れない。
と、ここまで語ればわかるように、各人が勝手に自己定義をした言葉で語り始めたら、収集がつかなくなる。
そのために、辞書や百科事典があり、我々は日本語教育を受けるわけである。
君がどういう意味で「オタ」という言葉を使おうと勝手だが、使う前に、それが一般的なのかどうか、また相手も自分と同じ意味で使っているのかどうかを、よく考えた方が良いと思うよ。
「打ち込みなのに、まるでその人に歌ってもらっているかのように自然な感じで歌って(演奏して)くれる」
と言うのは確かに技術的にすごい。ゲームミュージックに、VJのプロモーションに、色々活用法が浮かぶし夢も膨らむ。
でも、作る事を趣味とする人や評価する事が趣味の人以外には、そんな事全く関係ないわけで。
それを、あえてそういった層の人にリーチさせるには、一般の歌手として同等、もしくはそれを超える必要があると言う事だろう。
平たく言えばCDに焼きこんでそれが1万枚なり売れてしまう事態になって初めて認められるのかなと
だとすると玄人跣の作詞家と作曲家が、今みたいな遊びの延長ではなく、これで飯を食うための足がかりにするぞ位の覚悟をもった瞬間がヴォーカロイドの社会的認知への始まりなのかな
…なんて事を思った。