根本的な面ではオタクはマニア・学者と略同一で、年齢的、 一般的基準として外れている物を趣味とする人をオタクと呼ぶだけであり、 明確な差は見受けられない。
が、自身をマニアと呼称して、オタクとの同一視を拒絶する者もいる。「マニア」と認識していても、より限定された対象の「マニア」やそのジャンルに全く興味の無い者から見れば「オタク」として捉えられることもある。近年のオタク概念の汎用から、従来はマニアとされた区分とおたくの同一視(広義のオタク)も発生している。
オタク以前にも、何か特定の物に執着して、生活を省みない人は存在した。これらはマニアと呼ばれている。ただ、マニアがその原義において、ある特定方向にのみ情熱を持って接するのに対し、オタクは「オタク市場向け製品」が様々な分野・ジャンルにまたがりながら、一定の属性によって区分されるように、ある特定範疇にある対象群に慣れ親しむという、やや曖昧な嗜好対象となっていることが多々ある。
学術的な専門家とオタクとの違いは、前者は知識を世のために活かすことを目的とするのに対し、オタクは知的満足・収集的満足・同じ志向のオタクとの交流・共感による寛ぎ・安らぎに留まる点である。強いてあげる学者とマニアとの差は、後者はジャンル全般における体系的知識が欠けていても特に問題としない点である。
オタクであることによる副作用が、世間一般から「不健全」であると誤認される。オーディオマニアや釣り馬鹿(→釣りバカ日誌・釣りキチ三平)などのような既存の「マニア」という区分が、一般にとって文化性の高い・あるいは健全な(ただし行き過ぎた)趣味にもみなされるのに対し、オタク傾向が社会的に拒否感を被りやすいのは否定できない。
勘違いして欲しくないのは、別にWikipediaにこう書かれているからといって、この定義が正しいと主張したいわけではない。
ただ、以下、僕はこの定義で「オタク」と「マニア」について話をするという、表明。
「マニア」自称するなら知識は必要で、「オタ」は姿勢だから知識関係ないとか言っている奴いるけど、何なの。
親切心から言っているのかも知れないけれど、オタとマニアを勘違いしてるでしょ。
マニアは一般的基準の範疇内、オタは範疇外ってだけなのに。
大体、オタクな時点で、一般的基準の範疇外の物に熱狂したはみ出し者なんだから、マナーだの配慮だの初心者への優しさだの言う方がおかしいでしょ。
そういうのもわからないで、オタ名乗ってんじゃねーよ。
それでいて自分の定義で「オタク」と「マニア」を規定して、それに合わない奴を見下して優越感に浸りたいなら、オタなんて向いてないから。
テレビや雑誌に普通の生活なんて出てないと思うから、ごくありふれてメディア取り上げられない普通の生活すればいいと思うよ。
というわけで、自己定義を示した上で語るのは勝手だが、その自己定義を他人に押し付けるのは間違い。
まだ学生さんかな?
たとえば俺が「オタクは人間ではない」と定義したとして、「うわ、あいつオタクのくせに人間名乗ってやがる」なんてのは通用しない。
論理として通用しないのではなく、俺が定義した「オタク」「人間」という意味とは全く別の意味で、「あいつ」は「オタク」「人間」という言葉を使っているから。
同様に、「なんとかオタなら絶対押さえておくべき」と言っている奴が、どういう定義で「オタ」という言葉を使っているのかわからないのであれば、「『なんとかオタなら絶対押さえておくべき』というのは間違い」というのは間違い。
君がどんなに「オタなのに知識を押さえておくとかおかしい」と主張したところで、相手は「オタク」と「マニア」をWikipediaにあるような、同列の者としての意味で使っているのかも知れない。
と、ここまで語ればわかるように、各人が勝手に自己定義をした言葉で語り始めたら、収集がつかなくなる。
そのために、辞書や百科事典があり、我々は日本語教育を受けるわけである。
君がどういう意味で「オタ」という言葉を使おうと勝手だが、使う前に、それが一般的なのかどうか、また相手も自分と同じ意味で使っているのかどうかを、よく考えた方が良いと思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20081113164952 が正しい