はてなキーワード: 大卒とは
夫の学歴が大卒で、妻の学歴が大卒、結婚の同類婚指数は4.16
http://web.archive.org/web/20020407155948/http://www.mirai-city.org/bbs/bourdieu.html
http://web.archive.org/web/20020407155948/http://www.mirai-city.org/bbs/bourdieu.html
さて、最近の俺の生活といえば
正午ごろに起きてニコニコ動画づくしそして寝るのが深夜4時という生活を繰り返しております
もちろん勉強なんてしてませんよ
勉強やろうとしていてもやれないものなんですよ
予告しておきながらやらないということがスタンス化しつつあるのを少しは変えなきゃねw
さて、世の中には同志社に行きながら俺は負け犬だとほざくKYな人がいるのですが
考えてみれば今は大学全入時代だといわれるくらいなのになぜ全員大学に行かないのでしょうか?
そのなぞについて少しばかり調べてみました
この本には学歴格差について親の学歴と子供の学歴の相関関係について書いてある章があるんですね
その中のデータとして書いてあるのが
というデータなんです
これは1995年のデータですから今は違うだろという意見もありますが、実際社会人にしめる大卒の割合が1975年は47.2%、1995年に51.3%2002年に50.3%であって
高度成長期以降、大卒の割合はあまり変化がないということが立証されてるそうです
さらに深く調べていくと上記の2の割合も40%で推移しており3の割合も67%あたりで推移しているそうなんです
大学が増え、少子化で入りやすくなった今でさえそうなのはおかしいと思いませんか?
特に2のパターンの割合が増えてもいいはずです
その謎を解くためにある説が提唱されることになるのです
それが学歴下降回避説だそうです
人はいろいろな事情でまず、自分が大学に進学をするか否か、そしてどこの大学に進学するか否かを決めますよね?
よく2chで言われることは大学の偏差値、自分の学力、そして家庭の経済状況などの個人個人のミクロ的な視点ですが
この本ではそれは学歴の問題を考える上であまり重要ではないと書いています
つまり、人が自分の学歴について選択する時、潜在的に何が強く影響するかというと親の学歴や職業階層なのだそうです(※親だけではなく兄や姉ということもあります)
上のデータから考えると親(兄や姉)が大卒の場合その子供(弟や妹)はそれと同等かそれ以上を求めて大学進学の意欲を高めるそうです
逆に親が高卒の場合子供は高校卒業によって相対的下降が回避され、差し迫った欲求が発動しないそうなんですよね
このようにより高い大学に行きたいという意欲を持つかどうかは親がかなりの影響を与えるそうなのです
また、近年はこの傾向がより顕著であると述べていますね
親の階層が低い生徒ほど脱学校的な要素から自尊心を獲得、つまり学校での競争を降りて自尊心を獲得する
そしてゆとり教育は意欲のない人を無理に勉強させたりしなくなったことからさらにこの影響を拡大したそうなんです
考えてみれば確かにそうかもしれません
俺の親は高卒で母親にいたっては因数分解もできないほどなんですが
そういう環境に育ち、中学までは自分が行きたい大学名すら知りませんでした
塾の講師をしていて驚くのは、今は小学生ですら自分は??大学に行きたいなんて言うんですよ…
そして「何でその大学なの?」と聞くと
大学受験のころ志望校とかを名大とか馬鹿なこと書いていましたが、受験勉強がつらくなってくるとなんでこんなことまでして必死に偏差値の高い大学目指そうとしてんだろう?
って思うようになるんですね
そしてその時に支えになる大きな根拠がないんですよ…
もちろん高い偏差値の大学の方が就職で有利なのはわかっていますが、実態が見えないし、親が高卒で体験談も聞けない状況では「絶対いけるように勉強しなきゃ」という根拠として成り立たないんですよ
そう思うとやはり親が大卒とかだと影響ありますよね
「俺は??大学だからダメだったんだ」という話も聞けるだろうし
俺の場合親は「大学行っても私たちは大学について全然しらないから自分でしっかりやりなさいよ」しか言いませんでしたからね
学歴について話なんてしたことなんて一回としてありません
そのような中で勉学意欲を維持するのは難しいものですよ
よっぽど勉強好きでない限りね
この世の中は格差社会とは言いますが教育面は「意欲格差」ということではないでしょうか?
いくら自由になったとはいえ、眼には見えない「意欲」という壁が格差を生み出してるのではないのでしょうか?
あと言いわけかもしれませんが…
2のパターンはFラン含めて40%だから準マーチレベル(学歴ピラミッドの上から7%)の南山だとかなり珍しいのかな?
名市受かるレベルってこの40%の中でもどれくらいだろう?3%くらいなのかな
名大なんて行ってたら奇跡レベルだったかもね、2のパターンでたぶん0.5%くらいだからw
出自から見れば俺は名古屋商科大学くらいが相当レベルだろうから
長文スマソ<(_ _)>
「機能しない成果主義と高卒技術者の失望」では、学歴主義の壁に苦しむ高卒技術者、島田潔氏(仮名)の現状を紹介した。彼の職場は、学歴にかかわらず高卒、大学院卒者も、実質的に同じ内容の仕事でキャリアを始めるホワイトカラー職場だ。けれども昇進を決めるのは学歴主義に依った評価である。大学院卒の後輩が3年後には彼の上司となる現実がある。
「確かに大学院卒の人には、理論立てて物事を考える力はあるかな、と思う。けれどもそれが直接現場で役立つ場面は少ないし、社会人経験6年間の差に値するとは自分には思えないです」。インタビューで島田氏はこう話していた。
大学や大学院で身につける「物の考え方」は業務遂行の上で役に立つ。それを業績の一つとして評価する考え方が学歴主義だ。多くの日本企業はこの考えに則って人材を採用している。
ただし問題は、人事評価においてつける差の大きさが「妥当」であるかどうか。元財閥系メーカー勤務、K.K.氏が寄せた読者コメントでは、企業内部の非妥当性が生々しく明らかにされている。
「実力で部長職までいった製造部長が、大学を出ていないというただその一点で役員にはなれない。部下の査定の際も、よっぽどばかな大卒でないかぎり高卒と成績を逆転してはならない。製造現場にもかかわらず、高卒によい評価をつけないために、英語の検定試験結果やプレゼン能力を査定に入れたり。管理職をやっている本人が自己嫌悪に陥るような暗黙の了解が多々ありました」。
厳然と残る賃金格差
学歴主義は古くて新しい問題だ。身分や世襲を基にした社会では、親の職業からいやでも離れられなかった。けれども学歴の取得は、制度上はだれにでもチャンスが開かれている。学歴主義が評価されるのは、その民主的な側面に目を向けた場合である。
いっぽう、マクロな視点で戦後の数十年を眺めれば、別の構図が浮上する。学歴の取得には父親の職業が影響するという調査結果(例えば農家の子息より企業の管理職の子息の方が大卒である率が高い)からは、学歴取得は制度上平等でも、社会の現実はそう動いていないと分かる。そして就職後は学歴による明らかな賃金格差が待っている。
社会学者が1955年から10年ごとに調査している「社会階層と社会移動全国調査」のデータを見ると、1995年における50代大卒男性と高卒男性の平均年収の格差は約1.5倍。中卒男性との差は2.1倍だ(「社会階層 豊かさの中の不平等」(原純輔・盛山和夫著、東京大学出版会、1999年刊)。
就く仕事にも格差がある。大きく分ければ大卒男子は企業の総合職、高卒男子は製造現場。登場人物・島田氏のような、高卒男子のホワイトカラー職への就職もなくはない。しかし、現実には極めて少ない。「学校基本調査報告書」(文科省)を見ると、1950年代には30%を超えていたホワイトカラー職(事務職、専門・技術職)における高卒男子の割合は、2004年には7%まで落ちた。
このように、就く仕事や賃金、昇進における学歴格差は、戦後数十年のあいだ存在してきた。しかし格差の問題が、「勝ち組」や「負け組」といった流行語を生むほど一般の関心を集め始めたのは、最近の現象だ。それはなぜなのか。
社会階層研究を専門とする盛山和夫・東大教授によると、企業活動が拡大した1960年代??70年代の高度成長期に、学歴による賃金格差や昇進の格差はそれ以前の時代より縮小した。高卒者や、場合によっては中卒者であっても大組織に入り、相対的に出世ができた。ホワイトカラーとブルーカラーの賃金格差も縮まった。
しかし1990年代の低成長期に入ると企業の人事政策は、より強く市場原理を取り入れたものとなった。「賃金格差は拡大する傾向にあり、今後もその流れは続くだろう」と盛山教授は見る。
さらに別の要因が、高卒者の就職状況を悪化させた。「団塊ジュニア」世代の大学入学に備えた大学・学部増設政策による、大学生の急増だ。かつての高卒職場は大卒者に置き換えられた。そしてすでに就職していた高卒者は企業内で「学歴マイノリティー」と化し、働く意欲や動機を持ちにくくなるという問題が浮上した。
「高卒者にとっての、成功のモデルケースがなくなった」と指摘するのは、豊田義博リクルートワークス研究所主任研究員だ。
かつての成功モデルはこうだった。正社員採用で就職して製造現場で働き、安定した職業人生を歩む。あるいは企業の知名度が低くて大卒者が集まらないサービス業種(居酒屋チェーンなど)で、現場経験を積んだ後に店長になる。
ところが製造現場は海外移転し、国内の工場労働者は正社員よりパートやアルバイト、有期雇用者の採用が増えた。店長コースの方は、大学生の増加で新興チェーンにも大卒者が就職するようになり、「店長は大卒、店員はアルバイトという流れになっている」(豊田氏)。
議論すべき社会の仕組み
では学歴マイノリティーと化した高卒者はどうすればよいのか。島田氏の事例に対する読者のコメントには、学歴主義を気にするより努力で克服してはとのアドバイスが目立った。一つは、「闘う土俵を変えよ」というもの。「高卒で悩んでいる方々はぜひ旧態依然とした企業から、しがらみのない若い会社に移るべき」(前出の元財閥系メーカー勤務、K.K.氏)。
もう一つは、「闘う以上は同じ土俵に乗れ」というもの。「夜間の大学に通い、学位を取得するのも、本当に実力で勝負しようと言うのであれば、一つの選択肢」(竹田雅信氏)。
さらに議論を進めれば、学歴格差の問題はもはや高卒者に限ったことではない。盛山教授は「かつては中卒・高卒・大卒の学歴格差が問題だった。今後はそれが高卒・大卒・大学院卒の学歴格差に移行するだろう」と言う。
大卒・大学院卒者の増加による「学歴インフレーション」(高学歴取得者の職業的地位の下落)や、出身大学の偏差値による大卒者内の格差の進行も、すでに調査で明らかになっている。
ただし、盛山教授は、最近の流行である「勝ち組」や「負け組」といった単純な二極化論や、欧米並みの階層化が日本企業で進行し希望を失う若者が増えて社会問題になる、といった「格差恐怖論」のような見方を否定する。
盛山教授はこう話す。
「みんなが収入や地位を上昇させてきた今の50代以上とは違い、20代、30代の大半の人にとって学歴を問わず、収入や地位を向上させるのが難しい時代になったのは事実です。けれども高度成長期以前には、学歴格差は今よりもっと大きかったことを多くの人は忘れている。勝ち組と負け組について実証的に示したデータなどないが…。若い人が高収入を得るにはどうすればいいか、それを可能にするのはどんな産業かといった具体的な議論が必要なのです」。
話ばっかしてねえで、資格の
勉強でもしたほうが良いぞ
せめて(笑)
1 名前:名無しの桃大生 投稿日: 2004/01/28(水) 01:21
■ ぶっちゃけ 版 ■
慶応早稲田 学歴だけで人を惹きつけられるレベル。一生の財産。
- エリートのライン----------------------------
- 支配層のライン ---------------------------
マーチ、関関同立 相手が超一流企業の場合にのみ学歴で不利になるレベル。
- 一流のライン ------------------------------
- 上位大学のライン---------------------------
就職先は超一流を除く広範囲に分布。
- 実力次第で上も可ライン---------------------------
- 人に大学名を話して恥ずかしくないライン------
桃山、大阪経済 大卒として社会で扱われる限界レベル。時には外食・流通の就職もあり。
摂神追 大東亜帝国 大卒としての就職には困難を感じるレベル。
- 一生奴隷の可能性があるライン--------------------
まあいいじゃん。
逆に高卒で同じことやれてるなら「すげえ」と思うけどね。
「大卒でこれしかやれてないオレって…」とも思うし。
ちなみにオレは仕事で出身校を聞かれたことはほとんどない。
増田には、もっと「世間的に聞こえの良い学校」に行って、「世間的に聞こえの良い大学」に行って何かしたかった、という気持ちがあったの?あるいは勉強したいことがあったのに、大学をあきらめたの?
あるんだったら、通信制でもなんでも大卒の資格は取れるんだから自分の中の学歴コンプにはどっかで決着つけた方がいいと思う。
けど別に、自分に大学なんて不要だ、と信じてここまで歩んできたこと自体に間違いがないと思うなら、堂々としてればいいと思う。
自分が何に恐れ何を回避してきたのか、気づかないふりをして蓋してきたのはなんなのか、その根源にあるのは何か、そういうことを洗い直すチャンスでもあると思うよ。やたらに卑下したり開き直りすぎたり(それはほとんど同じことだし、増田の書き込みにはそういう気配が無いからすごく好感度が高かったんだけどさ)するのは無意味だから、今はそういう「自分を見つめ直す」キッカケだと思って、色々考えてみるのも良いと思う。
残念ながら、おれは元増田のターゲット(低学歴モテ)にあらず。モテるとは言わないけどそこそこ女の子とお付き合いするし、帝大レベルの大卒なんで。ただ、そんなにもてるほうじゃないし、メンタリティ以外のリソースは、どっちかっていうと増田に近いんじゃないかなあ。
でも、勉強も恋愛も高望みしなきゃ、先天的によっぽどのハンデを背負わない限りは成就するよ。五体満足で日本語の読み書きができる程度の頭があれば何の問題もない(先天的に目がひとつしかないとかなら、容姿の上でそれはハンデだろうし、読み書きができなきゃ、自分で本を読んで考えて方法を練ることができないからハンデだ)。
恋愛も勉強もやり方は一緒。目標立てて、現状と目標のギャップを埋めるプランを立てて、実行する。失敗したら失敗した原因を探して、原因はつぶしつつ目標とプランを変えてまたやり直す。ただそれだけ。
そういうやり方をする限り、以下の2つは両立可能だとおれは思ってる。
・モテ男のことなんか頭から追い出して、ただ普通に女の子の仕草や言動を観察して、そこから相手の気持ち、してほしいことを想像して、それをかなえるように接してあげれば彼女はできます。
【動画】 格差広がる韓国社会 大卒の就職率は66% (2006/06/04)
http://jp.youtube.com/watch?v=1wLErk-Jpzc
【動画】 韓国、若者の失業率がものすごく、大卒の5割が就職できない (2007/12/17)
http://jp.youtube.com/watch?v=nLAOv_TmgvE
【記事】 「韓国は日本の『失われた10年』を追いかけている」
http://www.chosunonline.com/article/20061116000023
やっぱり学歴社会
この日のために、お財布を軽くして、待ち構えておりましたわ
しかし…悲しい出来事が…
めめ……………入社五年
仲良しの男性…入社四年
めめ……………高卒
そして彼と見せあいっこ……w(゜o゜)w…(*_*)…(T□T)………
え??え??どーせ、世の中、学歴ですよ
所詮高卒のめめが、いくら頑張っても大卒の彼にはかなわないですよ
結局、学歴だぜっ
アホらしい??
見なかったことにしたいけど、見てしまったものは仕方ない今度おわびにご飯ご馳走してもらうことになりましたわ
なんのおわびじゃ
話が及ぶことがよくある。そこで、建前や公式論ではなく、
てもらえて、ついでに自分を高く売り込むことが出来る。
といっても、自分を知性や学歴で売り込むためには、
もちろん自分が高い学歴を持っていなければ話にもなんにもならない
のだが。さて、日本の学歴システムは非常に簡単な構造をしている。
現代日本に生きている限り、ある程度の知能が
に参加したはずだ。その競争の様々な段階でほとんどの人
が敗れ去り、その他の大学に入って(あるいは入らず)、
苛まれながら、日々を飽食やSEXや権力への闘争にあけ
くれている。
敗北感は、なにをもってしても決して癒されるものではない。
日本人全員参加の競争で、「キミはダメな人」と一生消えない烙印を押
されてしまったのだから、なにをどうしようとも、絶対に逃げられないのだ
を東大を出て言ってるのかい?」と話しかけられるのではないかと、
して逮捕され、「一流大卒エリートサラリーマンのあきれた犯罪」と週刊
誌で報道されても、実は逮捕されたことよりも、読者から「おいおい、こ
の大学が一流大かい?ふざけるんじゃないよ。チカンするなら東大を出て
からやれよなー」と突っ込まれることがもっと恐ろしい。このように、
東大以外は意味のある学歴とは言えない。すると、小さいときから有名
私立大学の付属小学校に入れたりする親の努力(お受験)はどういう意
味を持つのだろうか?子供を慶応幼稚舎に入れて、エスカレーター式に
慶応大学に入って無事卒業したとしても、まともな人は誰も学歴として
は評価しないのだが。これも、東大を補助線として考えるとよく理解でき
る。東大に合格することは人生の勝利を意味する、しかし敗北するのは
恐い。自分が東大に入れないレベルの、日本人としては駄目な人間だと
の、明白な敗北を認めるのは耐えられない。しかし、まともな人は東大
をめざして努力し、東大入試に失敗したら、その敗北を堂々と(あるい
は不承不承)受け入れて、日本社会の片隅で細々と生きてゆく。東大に
入れなかったら日本人としての人生は完全に終わったわけだが、それで
も死ぬわけには行かないのだから。東大卒の一流の学歴がなくても、
人生もそれなりに(あくまでも「それなり」だが)、庶民としてのささ
やかでちっぽけな楽しみが得られることもあるのだからね。もちろん東大
に落ちてしまったら、日本人である以上、人生の本当の喜びは絶対に持て
ないわけだが…。
ついでに言うと旧帝とそれ以外という差を感じる業界ってのがどういう所か気になるなあ。ITっぽいのかな。
大府、名市、神戸…もうここら辺になると高専卒が太刀打ちできてる相手じゃないような、このレベルだと院卒のほうが多く見るけどね。
機械設計ですね(厳密に言うとちょっとずれてきますし難しいんですが一言で言うと)。
旧帝なら大卒の二年分を思い知らされる、というのは体感で、旧帝とはいいましたが神大↑なら同等レベルではありますね。しかし基本的にこのあたりの大学の人は院卒ばっかりで、学部卒と比べたことがあまりないのではっきりとは分からないです。逆に言うと、院卒との差ははっきり分かるのに、学部卒だとそこまで差は感じないなあ、とか思ったりも。
まあ給料に差があるのは理屈として理解できてるんですよ。でもやっぱ数字で見てしまうと激しくショックを受けるのでした。あほなところばっかり見ている後輩の方が自分より給料を高いんだよなあ、とふと考えた瞬間とかも。くそーお前ら働け!
ところで仕事の場において出身大学で「太刀打ちできない」ボーダーなんてないと思いますよー。いや出世の話ならそうかもしれませんが。「学歴の差が能力の決定的な差ではないことを教えてやる」ですよ。
まあぶっちゃけ大卒の同期よりも給料低いんです。当たり前の話ですが。
12月はボーナスの季節ですね。
先日、喫煙室で一服していると高専卒の後輩がものすごく凹んだ顔をしているので、どうした、と私は問いました。彼はぼそりといいました。
「ボーナスの明細もらったんですけど……」
私には瞬時に理解できました。それは私が二年前に通った道です。比べたんだなおぬし、と私はいいました。そう。同期の大卒と冬のボーナスを比べてはいけないのです。夏は額自体がそこまで大きくないためはっきりとしなかった差が、冬になると残酷なまでに現れるのです。同じ研修を受け、同じ仕事をする同期ですが、しかしそこには明確な差があったのです……!額にして20万ほど。まあ、凹むには十分な額ですよね。
罠にかかったな??まあ諦めるんだ。私はいいました。私だって、一年目は純真な心で同期と明細を見せ合って、「お前なんでそんなに少ないん?」などと言われたのだぞ、と慰めました。仕方がないのです。大卒は二年余分に勉強しているのです。ぶっちゃけその二年分の差を感じるのは旧帝卒以上を相手にしたときからですが、しかしそう思うしかありません。まあ安いのだって高専卒の武器のひとつなわけです。
「まあ二歳違いますもんね。でもやっぱこの違いは凹みますわ」
「でも二年後入ってきた大卒新入社員より少ないってことはないから安心しな。ひどいとこは二年後新入社員より給料低かったりするねんから」私は言いました。そうなのです。傾きから大卒と高専卒に格差を設けている企業って結構多いのです。同期に追いつくどころか離されっぱなし。まあ凹みますわな。うちは全く同一の仕事内容ですし、給料も現役生換算で同じになれば一緒になるのが標準とされているのでその点安心なのですが。
というか。
「というか私と、あんたの同期の大卒はきっとボーナス変わらんのよ。いっこ下の大卒は私よりも多いんよ?私のが凹みたいわ!」
「……やめて、それ俺の将来です」
そんな、後輩との会話。
まあ高専楽しかったし、わざわざ二年大学通う意味も、院までいく意欲もなかったので今の選択を後悔してはいないのですけれど、しかし大学いってたならどうなってたかなあ、とはたまに考えたりする今日この頃です。うちのクラスは上位10人の内二人しか進学しなかった近年稀に見る就職指向なクラスでした。そういえば。
当方大学の教員。そろそろ卒論シーズンですが、社会が大学卒業に求めている水準って何なのかなとすこし考えることがある。
何にも社会が期待していないのだとすれば、適当にハンコついて卒業させればよいので楽ですけど。
最近話題の食品業界の偽装が、ほとんどの場合食中毒などの実害が出ていないのにもかかわらず、社会的に非難されている。それを考えると、卒論を課している以上満足に卒論を書く能力を持たない学生をむりやり大卒として卒業させるのも実は同罪かなと言う気がする。
でも大学の現場では(就職が決まってしまえば)多少単位が足りなくても何とか卒業させるケースが散見されるのであって。ましてや卒論の実質的な質が問われることなどほとんどないと言って良い。(うちでは)
いつか問題にならなければよいけど。杞憂とは思いますが。
というのは言い訳で、まともに論文書く気もなく、卒業がかかっているという緊張感のない学生と、それを支える空疎な大学環境で指導をする自分がいやなのです。実のところ。貴重な税金を使って時間の無駄をしているというか。
ま、そんな環境にいる自分が悪いのでしょうが。