はてなキーワード: 優等生とは
「俺、少女漫画好きだよ」と言う男に、好きな作品や作家を聞いて24年組の名前があがってくるとげんなりする。心底がっかりする。24年組は私も大好きだし、素晴らしい作家さんだと思うけども、臆面も無く萩尾望都・大島弓子の名を挙げる人のほとんどが、それ以外の少女漫画を読んでいないんだもの。それどころか、その24年組作家さんの最近の作品も読んでいない。せめて「バルバラ異界」ぐらい読んでから言ってもらえませんかね。
要するに「少女漫画を理解する心の広い俺」を演出するために、いちばんてっとり早くて優等生な回答なんですよね。萩尾望都・大島弓子は。あと、よしながふみもこのカテゴリに入る。
確かに男性に人気の少女漫画家として鉄板なことは間違いないけど、本当に少女漫画が好きならもっとたくさんの名前が挙がってもいいと思う。もっと読めよ!白泉社以外も!最近のも!「君に届け」「フルバ」「のだめ」「ハチクロ」のコンボはもう飽きました。
1度だけくらもちふさこという回答が返ってきて、土下座せんばかりに感動したことがあります。あ…この人、本当に少女漫画を読んでる人だ…と思ったよ。
細かい突っ込みを入れてあげよう。
cから入ろうかと思っている。いろんな言語の根っこにあるという話を聞くし、俺が社会人になるころにも消えていないだろうし、cで苦労しておくと他の言語を覚えるとき楽だと聞いたので。
正直どうでもいいと思うよ。多分Cから入った人がそう思っているだけじゃないかって気がする。「根っこ」という意味でなら、学校での講義を真剣に受けておくようにしよう(どのくらいのレベルの学校か知らないが)。個人的にはCは学生のころ勉強はしたけど業務でなんて使ったこと無いよ。とはいっても、業務だと言語縛りなんてしてられないこともしばしばだから、そんなことにこだわってても仕方ない。
個人的にはやりたいことに直結している言語をとるべきだと思う。簡単なツールをとにかく早く、ならVB.NETとかでもいいでしょ。いわゆる個人Webサービスを展開したいのなら環境的にもPHPがいいとか、ちょっとGoogleで調べればわかると思う。結局、何であれやってみて結果が出ないと面白くないし、どんな経験でも無駄ではないはずだよ。(Cは結果が出るまでに時間が必要になるんじゃないかと思う)
まあ、安直なプログラマが増えて困るなんて向きもあるけど、C出身ならそうならないわけではないからね。単純に分野ごとの常識があるかないか。
結局モノが出てこないと面白くないよ。君が優等生になっても俺はぜんぜん面白く無いんだ。…という観点で書いてみました。
ある日俺が学校から帰ると、庭先でトマトが血まみれで倒れていた。
トマトは犬で、雑種で、七歳で、去勢されたオスで、もちろん可愛かった。
死骸のかたわらにはうちの兄貴が居て、金槌を左手にぼんやり立ち尽くしていた。
「俺(オイ)が、やった」
こっちが聞いてもいないのに兄貴はそう、言った。俺は気持ちの整理というか混乱というか、何で兄貴が普段可愛がっていたトマトを殴り殺したのか全然理解できなかったし、そうだ、兄貴はいつも猫派犬派の話になると猫派の姉貴をけちょんけちょんに貶めていたぐらいで、何でというかそもそもリア充で常にストレスフリーな笑顔を周囲に撒布しまくってて、こんなわけわからんことをやるぐらいに追い詰められたはずはなく、そんなわけで俺の中で様々な疑問と感情が混ざり合って、
「なんでなん?」
という一言に集約された。
兄貴はそれだけで俺の意味するところを理解するくらいにスマートな人間だった。はずだが、その時は俺の問いには答えず、
「トマト・・・」
「トマト?」
「赤くなってもたな。トマトだけに」
俺の中の何かがキレて、放たれて、その矛先である兄貴に殴りかかった。勝てるわけないのに。
そのあとのことはよく覚えてない。兄貴がトマト殺害を素直に認めたため、家族全員がショックを受けたようだったが、幸い近所の人に目撃者もいなかったので事件が外に漏れることはなかった。トマトは不幸な事故で死に、兄貴は優等生な生徒会会計なままで、日常は続いていった。俺には到底理解の範疇外だったけれど、家族も普段どおり兄貴と接していた。
俺だけがその日から、比較的仲の良かったはずの兄貴とあんまり会話しなくなった。
貸していた映画代1500円も借りていたエロ本も話の種とはなりはしなかった。
それから間もなく兄貴は東京の大学に入るために上京して、卒業して、就職して、そんで、つい最近、会社の同僚の人と結婚した。
結婚する前、うちの家族に紹介するために兄貴が彼女を家に連れて帰ってきた時、成り行きでペットの話になった。
彼女は実家で猫を四匹も飼っていて、兄貴と同棲してたマンションでも捨て猫を拾って育てているとなんとか、そういう感じだったように思う。その場で兄貴が熱烈な犬派はずだっていうことを誰も口にはしなかった。だって、トマトをどうしてもトマトを思い出してしまうだろうから。
今まで会話の輪に参加しつつも、巧みに兄貴との絡みを避けてきた俺はここでようやく兄貴と目を合わせた。
「でもさ」
何が「でも」だったのか、自分でもよくわからない。会話の流れ的にそうだったのだろう。多分。酔っ払ってたし。
俺は笑っていた。笑顔だったと記憶している。鏡見てないのでなんともいえないが、酒が入るといつもそうなる。
姉貴もそうだ。とーちゃんも、かーさんも、おじいちゃんも、いとこのせんたろうにいちゃんも。そういう家系らしい。
兄貴はどうだったのだろうか?
「ああ」
兄貴はやっぱり微笑みを浮かべて
「そうだったけなぁ・・・」
それ以来、兄貴と話を交わしたことは一度もない。
SSS シエラレオネ(平均寿命世界最低) コンゴ リベリア チベット・東トルキスタン(民族浄化中)
SS スーダン(虐殺) パレスチナ イラク ハイチ 西サハラ
S 北朝鮮 南アフリカ レバノン アフガニスタン 東ティモール
AAA コロンビア(ゲリラと政府軍に怯える日々) ジンバブエ トルクメニスタン(独裁、年金給付停止)
A ボリビア ラオス インドネシア(イスラム過激派) モルドバ 北ソマリア リビア
―――――政情不安の壁―――――
BBB ペルー エクアドル パラグアイ キューバ(貧しいけど、マターリ) フィリピン カンボジア イラン
BB ベネズエラ サウジアラビア インド(エリート層はすごい) モンゴル ベラルーシ エジプト チュニジア
B ウルグアイ アルゼンチン コスタリカ(中米の優等生) ポルトガル
中国沿岸部 タイ ブラジル メキシコ(治安が悪い、貧富の差有り過ぎ)
―――――準先進国の壁―――――
―――――先進国の壁―――――
DD 日本 イギリス(階級社会) バチカン市国 サンマリノ モルジブ(懸念は自然災害)
D+ カナダ オーストラリア スイス UAE カタール バーレーン
―――――楽園の壁―――――
逆にイチローは決して優等生キャラを演出してないと思うんだよな。
インタビューとか見てても素でエグい感じの発言とかけっこうする。
それすら演出かも、と言われたらそれはその通りだけど。
斎藤は現時点で人となりって程の人となりは出てないと思うよ。自信家の側面はけっこう覗かせてるけど基本的に「優等生」で止まっているしスキャンダルも無い。
そういう奴を「本当に品行方正で今時珍しい素晴らしい人間なんだ」って語る人たちはテレビの向こうに人間を見ていずに、ある意味二次元キャラを見ているんだなぁ、ってのが俺のひとつ前のエントリ。
決して斎藤が裏では黒いとか裏では酷い人間なんだと言いたいわけではないからね。
ただ二次元優等生的なキャラクターで止まってるわけないだろう?そんな漫画的優等生像を今の時代にリアルな人間に見出すのっておかしくね?って話。
松井に対しては裏で真っ黒だろって思ってる。
増田にいる女性ってさ、一般女性の平均値より、かなり貞操観念強いよな。そんで気持ち悪いほどクソ真面目。道徳観とか滅茶苦茶強い。
あとなにかというと「妊娠のリスクが」を持ち出してきたり、性犯罪がどうこうを持ち出してきたり。
男が大嫌いなんだろうな。という感じ。もう男が何言っても「ああ、全然あなたたちわかってない。私達にはこんなリスクが(以下略)」って感じだもん。話合う気もなくすわこりゃ。なんかもうさ。男は性犯罪予備軍としか捉えていない感じっつーの?そういうバリケードが文章の端々からビシバシ伝わってくる。こういうエントリが来るともうダメなんだ。何言っても無理。何を言おうが伝家の宝刀「妊娠のリスク」等で私達は苦労している、で終わりだもん。そういう主旨の話じゃないのに、話は何も進まない。
色々嫌な目にあってきたのかもしれないけど、正直こっちだって嫌になるよ。
いや、なんか、それはズレてるような……
別に元増田は、「女性は皆チヤホヤされたい生き物だ」とか言ってるわけじゃないじゃん。
ズレすぎてて何を言ってるのか分からんくらいなんだが……
それに、現にそういうチヤホヤされたい女性は結構いると思うけどね……。別に、それが悪いこととも思わないし。なんか自分の価値基準に合わないからって「そんな女性はいない、いたとしても少数派のブスだ」的切捨てはどうなのよ。ていうか、いいじゃん別に、自分がそうじゃないなら。何をそんなに怒ってるのさ?あくまで「チヤホヤされたい女性」の話であって、女性一般の話じゃないって言ってるじゃん増田は。「チヤホヤなんてされたくない」っていうあなたの気持ちは別にそれはそれでいいし分かるけど、それを女性一般の話にするのってどうなんよ。「私達女性は皆(私のような正しい)考え方をしてるの!」的な押し付けがましさを感じるんですが……。そんであなたの考えから外れるようなアバズレ(笑)は「ブス・年増」かい。なんか……どうなん。なんていうか……女性に夢見すぎじゃね?皆が皆あなたのような真面目優等生じゃないし、女性つったって色々いるよ?同じ女性でも自分と180度違うような種もたくさん存在するわけだからさー。なんかその辺を認められてないんじゃないかっていう気がする。
まあまともえると、なんつーか、昔「女はチヤホヤされたいんだろ?モテたいんだろ?」ってどっかの男に言われた怨念を今(関係ないのに)ここでぶちまけてるようにしか見えないんだよな。別に自分が「チヤホヤされたい女」じゃないんなら反応する意味ないじゃん。「ああ、私とは違う女性たちの話ね」で済むことじゃん。なんでそんなヒスってんのかよくわからない。「私とは違う女性」を認めたくないん?って見えてしまうよ。
中二病って概念は知ってるし、2chのスレ紹介してるブログとかで「中二の頃こんな痛々しいことしてた」みたいなのを見て笑ったり、いわゆる邪気眼みたいなのを笑ったりしてるけど、
でもある日ふと思った。
自分って中学生の時、こう言う経験なかったんだよなあと。
邪気眼はまあ大げさにしても、そういういわゆる「イタい事をした経験」ってのが、実はないんだよなと。
でも、笑ってる。さも「あるあるw自分も昔こういうしてたw」的笑いで笑ってる。でも、したことないんだよな。
反抗期も、思えば特に無かった。親に「うるさいんだよ!」とか理不尽に切れるとか、一切無かった。
普通に学校行って、まあちょっとだけ「授業めんどいw」とか言ったりして。した悪いことといえば本当はダメなのに学校にのど飴を持っていったこととか、掃除を適当に切り上げたとか、宿題を一日遅れで出したとか、そんなもんだった。
で、なんでかっていうと、そもそも中学の時点で既に、「イタい」っていう概念が皆に広まってたから(じゃないかと思う)。
ハジける前に、「そーゆーのイタい」って感覚が、何となく既に身についてしまっていたから。
だからなんか恥ずかしいこととかする前に、自然と「マンガキャラクターのまねとかしたら恥ずかしいしな…」的な感じで、自粛というと変だけど、自然と「そういうのはイタいからやめよう」って気になってた。今思うと。
でかといって大人しく完璧な優等生かっていうとまあそういうわけでもなく、ちょびっとハジけるくらいはした。運動会でバカやったりとかそのレベルならしたけど、ある種それも「皆にドン引きされない程度のバカ」を演じてた、というような感じで、皆がガチに引かないことを分かっていてやっていたんだよな。
高二病ではあったかもしれない。「こんなことやってるのってイタいよなw」「ちょっと流石に引くわw」みたいな、クール気取ってるような、どこか「分かった大人ぶってる」ようなところはあった。今思うと、それはそれで痛いのだが、なんにせよ中二病ではなくて高二病的だった。
そんで高校生になったらどうしたかっていうと、中二病については、ちょっと前の学年の事だというのに「まあ、若い頃は皆やるから、ある意味仕方ないんじゃないかな?」「はしかみたいなものでさ。そういう時ってあるよ」みたいに更に「分かった大人ぶってるモード」が変に進化してしまった。バカにするんじゃなくて、「まぁ、あるよあるよ。俺らもあったよ」的上から目線。本当は別になかったのに。この頃になると痛い人を見てもバカにするんじゃなく、「まぁ…彼もいつかはイタさに気付くさ」とか「まあ、ああいう人もいるわな」的な視線になっていった。中学校のときは心の中でバカにしていた。
そんでそう気付いてから、そうやって反抗期も特に無く、他人に対して特別「イタい」行動をとったわけでもない、いわゆる暗黒時代があるわけでもなく、まあそれなりにそつなくやってきて、かといって超モテたとか、超リア充ってわけでもクラスの中心ってわけでもなくて、どっちかというとインドア派で、だけれどもイジめられたとかキモいとか言われたわけでもない……
そんな自分が、急激に恥ずかしくなった。
過去を思い出すと、そんな「そつなくやってきてしまった自分」が恥ずかしくなった。
終始分かった大人ぶってたことが、なぜか今、とてつもなく恥ずかしいと同時に、もう少しくらい、年相応にイタイタしくしていればよかった、とすら思う。そして今になってそれを後悔するのだ。「あぁ、なんで自分はあんなイタいことを。邪気眼なんて恥ずかしいぃいいい」とか思いたかった。なんていうか、変な話、「それをして自分は成長するはずだったんじゃないのか」という、「手落ち感」があるのだ。思春期に受けるべきだった洗礼を、自分は変に知恵をつけ、ネットを見て、回避してここまできてしまった。思春期に、その年相応にハジけることをせず、既に20代の如き落ち着きを(振りだが)見せ、「まぁ…こんなものだろ」とある種の諦めを早々に得て、…………単純に言えば、自分は思春期にして「老けてしまった」。そんなような恥ずかしさ、手落ち感がある。「老ける」なんてのは、それ相応の人生経験があるからこそできるのであって、自分みたいな若造がしていいものじゃなかったんだと気付いた。思春期に外面だけ「これをしたらイタい」「あれをしたらイタい」という情報だけ汲み取って、それを回避し、分かっている大人ぶって……
それは、逃げてただけじゃないのか。
正面から何かにぶつかることを。
そして思春期ってのは本当は、イタくても構わないから、後でイタかったことに気付いてもいいから、未熟でもいいから、とにかく何かに、真正面からぶつかってみる時期だったんじゃないのか。
例えば劣等感。例えば自尊心。例えば自己愛。などなど、そういったもろもろの、ある意味いくつになっても存在する人間の「イタイタしいポイント」に、いっぺんぶつかってみるべきだったんじゃないのか。
自分はそれから逃げた。無理矢理にそれらのイタイタしい精神部分にふたをしたり、「まあ、そういうもんだよ」と言う呪文をかけたり「自分には才能ないって知ってるし」というポーズを決めて、それらを封じ込めてきた。眼を背けてきた。一度も、真正面からそういう心に向き合ってこなかった。とことんまで追求することもなかった。
確かにそつなく人生送ることはできた。でもそれでいいのか?で、それで、そつなく人生送って、自分はどうするんだよ、どうしたいんだよ。そういった疑問が今頃になってふつふつと浮かび上がってきた。本来はこうしたものは思春期に終えていないといけないのかもしれない。いまさら浮かび上がる。いまさら自分は「イタく」なる。
こういう「熱さ」みたいなのを、恥ずかしいと思っていた。「それで自分はどうしたいんだよ!?」そうやって自分に叫んだり、無我夢中であがいてみたり、自分の可能性を信じてみたり、それに向かって頑張ってみたり、そういう「熱さ」は、自分の世代じゃちょうど「寒い」ことになってて、マジに「自分のやりたいことで悩む」とかはなんとなく恥ずかしい感じがしていた。「自分探し」とか言い出す前に、そもそも「自分探しなんていう若者が最近多いけど、本当の自分なんてのは海外に落ちてるもんじゃねえよ」的な言葉を既に知ってしまっていて、それを見て、「そうだよな。自分探しなんてなあ(笑)」的にまた、深く考えることなく「分かってるポーズ」を自分は決めていた。何でもかんでも、「イタイタしいワード」が出てくるより先に、「そのイタイタしい行動についてのオトナの一般論」みたいなのを見てしまっている。その「イタイタしいワード」について自分で深く考える事も無く、「そうだよな(笑)」と「分かってる」振りをし続けてきた。
それが今になって、混乱している。それでいいのか。それでよかったのか。いや、過去をぐちぐちいっていてもしかたがない。でどうすればいいのか。自分はどうしたいのか?どう人生を生きたい?
そんなこと、今更考える事じゃないだろうといわれるかもしれない。
自分は、今更思春期が来たのかもしれない。
それでも、「分かっていた振り」を決めていた頃より、こうして真剣にぶつかる方が、なんというか、楽しい気がするのだ。
いや勿論、自分の嫌な所にぶつかるのだから、苦しさもある。けれど今まではただ封をして諦めていたところに、「希望を持ってもいいのかもしれない」というような希望が現れつつある。「イタいから、イタいからって今まで封印してたけど、いいのかもしれない」そんな希望みたいなものが生まれつつある。「枯れてる自分」を演出するのはもうやめる。イタくても寒くても熱いほうがいい。「枯れてる自分」を装っていると、確かにあまり傷つかないけれど、それは、最初から自分が水底に沈んでいるからってだけの話なんだ。傷つくのを恐れるのはもう……やめよう。
まー気持ちは分からんでもないし世間的にはそれが「正しい」「良い子の見本」なんだろうけど
ぶっちゃけどんなものにたいしてもそんないちいちいちいち感謝なんか感じてられんよなぁ、現実問題。
なんかこういう事言う奴って変に優等生的で、自分が世間的には正しいいい子と認められるのを知っていてそれを武器にやけに強固に主張し出す(感じ)のが嫌だ。
大体感謝が感じられないのはって、それ単なるお前の主観やんっていう。
お前の「感謝感じられる基準」にひっかからんとアウトかい、っていう。
感謝感じてるのかもしれないじゃん。その人はその人なりに。
なんで自分の基準で他人をそう簡単に罵倒できるんかね。「飯をネタにした動画」が「感謝が感じられない」のはあくまでこの人の個人的な特に根拠のない基準であって、そういう動画を作った人は「飯をネタに動画を作る」ことが「感謝の表れ」なのかもしれないじゃん。大体感謝をするっつってもせいぜい心の中で「感謝します」とか思ってるだけだろ?動画を作るなんて結構面倒くさいし難しい事だよ、そんな事をやれてるほうがよっぽど飯に対して感謝してるという見方だってある。
こうやってなんつーか、所謂世間的な正義を盾にしてただ自分の気に食わない奴を罵倒してるだけの奴ってすげえ気持ち悪い。最近よくいるタイプだけどさ。昨日の野球について韓国を凄い勢いで罵ってる奴らと同じ匂いがする。正しけりゃどれだけ叩いたっていい、俺らは正義だから、みたいな、どうせ俺らは正しいからどれだけ叩いても非難されることはないから、みたいな、そういういやらしさに吐き気がするわ。当人もそんな自分に気がつかずに、正義の名の下に悪を叩く(笑)自分に酔いしれちゃってるから余計タチ悪い。
たまたま検索でひっかかったブログに「なぜ人を殺してはいけないのか」というエントリーがあった。
http://thinkdeep.livedoor.biz/archives/13491218.html
ブログの題名は「考える力をつける」、内容は「考える力をつけて、物事の本質を見抜けるようになりましょう!」というもの。
しかし、僕はこの文章に「物事の本質」はないと思うのだ。
ただ、優等生的な「大人の答え」を書いているだけ。
これが「物事の本質」だというのなら、僕は「本質」なんてただのまやかしだと思う。
この文章を書いたブロガーは、質問に対してこのように書いている。
ある意味とっても正直な質問ですが、こういった質問をする人には、致命的な3つの欠如があります。
これが、僕が人を殺さない理由です。
(1)コミュニケーション能力の欠如。
嫌なことを自分がされたらどうなるかという視点が全くありません。普通、我々は幼少期から大人になるにかけて、友人関係の中で『他人の嫌がることはしない』という、社会で生きるうえで基本的な考え方を身に付けていきます。そういったコミュニケーション能力が決定的に欠如しているのですね。
(2)社会性の欠如。
人が人を殺しあうことが、公に認められる社会になったらどうなるかという、社会的に物事を考える視点が欠如しています。自分の視点しかなく、社会の一員という視点が全く無いわけです。
3番目として、イメージ力の欠如です。上記2つをイメージする能力もそうですし、人が人を殺しあったらどうなるか、どれだけ痛い思いをするとか、自分も危険な目に遭うとか、そういった自分以外のことについてのイメージ力が全くありません。
ブロガー自身が書いていることだが、これは非常に正直な質問だ。
「人を殺してはいけない」これは、世の中に規定された基本的なルールの一つだ。
そして、その理由はあまりはっきりと示されることがない。
だから、「なぜ人を殺してはいけないのか」なんてベーシックな疑問が出てくる。
このブロガーのような答えを返す識者は多い。
ただ、彼らの答えには、巧妙な言い逃れがあると思うのだ。
それは、「人が人を殺さない理由」と「人が人を殺してはいけない理由」を意図的に、または無意識に混同していること。
これは、卑怯な手だ。
そう、人は法律がなくったって、罰則がなかったって、そう簡単に人を殺さない。
僕だって、たぶん一生、人を殺すことはないだろう。
その理由は、上に書いてあるブロガーの答えと一致する。
ただ、それはこの「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いには、何の答えも示さない。
もう一度書くが、「人が人を殺さない理由」と「人が人を殺してはいけない理由」は同一ではないから。
僕の考える「物事の本質」はここにある。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに対し、それを問うた人間の資質を探っても、ただの逃げでしかない。
限られた時代の中で成立する一つの思想である社会や道徳を、この問いにぶつけても何の意味もない。
いや、「人が人を殺してはいけない」というルールそのものが、限られた時代の中で成立する、小さなルールでしかないという事を露呈するだけ。
本当に考える力を養いたいのなら、道徳や社会に惑わされず、その問いに正面からしっかりと向き合うことが大事なのではないかと思う。
小さい頃、小学校低学年くらいの頃、俺は天才に憧れていた。
12歳でハーバードに入学だのなんだのそういった類の天才児に憧れていた。
俺は学業の成績は昔から良かったため、ますますそれが拍車をかけた。
俺も天才児としてアメリカの大学に通ってインタビューされてやるぞ!!とか思ってた。
しかしかといって何をすればいいかわからず(この時点でまあ…)
単純に成績の良い優等生として育った。
中学に入る頃には「うーん。どうも俺、天才じゃないかも」と思い始めていた。恥ずかしいけどまだ「かも」のレベルだった。増田だから正直に書く。
中学に入っても俺は相変わらず成績優秀で学年で一位だったりもしたので、あまりプライドは崩れなかったが、しかし「なんか天才じゃないよな……せいぜい秀才だよな」ということに気付き始めた俺は、方向転換を図り始めた(これは今思うと、であって当時は無意識に行っていた)。能力そのもので飛びぬけた者になれないのなら、何か俺自身に「学業優秀」以外の特典をつけねばなるまい、と。それで個性化を図り、「純粋な天才」で特別な人間になるのは無理でも、「個性的な秀才」で特別な人間になろうと考えた。
そのためにはどうすればよいのだろうか。
学業優秀、だけじゃ、全国にザラにいる。しかしまずこの「優秀さ」も、それなりに磨く必要がある。そうだ。東大に入れば、まあまあ箔がつくだろうし、「全国にザラにいる」レベルじゃなくなる。天才ではないだろうが秀才としてはそれなりのレベルを他人に誇れるはずだ……そう考え、志望大学をこの頃から東大に決める。
そして他の特典は……。
「個性的」を演出するには、「ギャップ」と「希少価値」がポイントだろうと考えた。
いかにもこの俺、山田太郎(仮)という人間がしなさそうな事。あるいはそもそもをそれを行うものが少なそうな事。
希少価値については、単純に競技人口が少ない「穴場スポット」を狙うか、それとも敢えてメジャーな道を選択し、練習しある程度のその道の「達人」になる事で他者を引き離すか。あるいは穴場スポットを狙った上で、達人になるか。ざっとそんな事を考えた。
そして俺はその自分で考えたガイドラインに従い、俺・山田太郎(仮)の「趣味」「特技」「性格」を作り始めた。まさに「キャラ作り」だった。
もともと俺は、割りと好奇心が強いほうだったため、興味を持とうと思えば大抵のものは持つことができた。ゆえに反面、「一つの大好きな趣味」というのが特になく、どれも万遍なくそこそこ好き、という状態だったため、このキャラ作りは実行しやすかった。
そして俺は「キャラのプロット作り」を大体終え、「キャラ作り」の実行に移った。決めた趣味や特技を本当にモノにするため、知識を得たり練習をする必要があった。
そんなこんなで高校生になった。まだ荒削りだが8割ほど完成していたキャラで俺は新しい環境に降り立った。
まだ途中ではあるが、思惑通り俺は俺の思う通りの「個性的な人間」として迎えられた。
しかし、高校となるとやはり色々な人間が出てくる。中学時代の俺が思っていた以上に、この世には色々な人間がいるのだ。その上、皆成績優秀者だ。とりあえず今の俺でもここでは「個性的な人間」になれているが、俺よりも凄い奴(俺基準でだが)も数人いる事にショックを受けた俺は、「待てよ。これじゃ東大はいったところで、そこじゃここ以上に俺より凄い奴(俺基準で)がいるにちがいない」「ならばこの今の俺ではだめだ。キャラをバージョンアップさせる必要がある」そう考え、高校でまた新たに「キャラ作り」を始めた。
甘かった。中学時代のあんなキャラレベルでは、地元の人間しか騙せないのだ。
もっと個性的な人になって、もっと特別な人間にならないといけない。
そしてまた「キャラ作り」の実行に移った。
今度は日頃の態度、仕草から徹底する事にした。誰も見ていないところであっても、キャラ相応の態度を心がけた。
苦しくはなかった。寧ろ、キャラどおりに実行するとき、俺の好きなキャラになりきれていることに、近づけていることに、俺は喜びと楽しさを感じていた。しかし「楽」ではなかった。
大学へ入り、なるべく多くの種類の経験をといろいろな所へ出向いたり所属したりした。そのたび世界が開いていく事に俺は感動したが、したと同時に、張り詰めた空気が俺を支配する事に気がついた。俺の知らない世界が開くごとに、「またキャラを強化しなければならない」と俺は考えてしまうのだ。別に今のままでも十分「個性的な人間」として俺は認められている。しかし、それだけじゃ満足できないようになっていた。もっと。もっともっと強化しなければならない。いつなんどき俺とかぶるキャラが出てくるか分からない。幼い頃憧れた「純粋な天才」と肩を並べるほどの個性を持つには、こんなレベルじゃ足りないんだ。もっともっともっと個性的にならねばならない。こんなんじゃ足りない。
そんな事を思いながら、自分作りを繰り返していたある日
また新たな世界の扉を開けて、俺はふっと、なぜだかふっと糸が切れたようになった。
「ていうか俺、なんでここまで必死になってるんだ?」
糸が切れた操り人形が動かなくぺしゃんこになったように俺は何をする気にもなれず生きていた。
体は完全に停止していたが、頭の中では色んな想いが渦巻いていた。
「もしかしてあんなに必死になる必要はなかったのでは?」
「別に、普通の人でもいい、そう思えたら、もしかして凄く楽なんじゃ?」
「いや……でも楽してもいいのか?普通の人でもいいのか?」
「それは諦めるって事じゃないのか?」
「諦めていいのか?」
「いや、ていうか、俺は、諦めて、生きていけるのか?」
「別にいいじゃん。普通で。キャラ作らなくったっていいじゃん。
俺が好きなものがたとえ普通に皆好きなもので全然珍しくなくて普通であっても、それでいいじゃん。
俺が頑張らなくても好きになれるものだけ好きになって
俺がやりたいことだけやればいいじゃん」
実験的にそういう思考をしてみた。
……物凄く楽になってしまった。
そうだ。もともと俺は、自己顕示欲に裏打ちされていないただ純粋に「好きな物」「好きな事」というのは、持っていなかった。
俺の行動のモチベーションはほとんど全て強い自己顕示欲からなるものだった、つまりその支えを外してしまえば、その欲を取り除いてしまえば、もう俺は、欲がほとんどなくなってしまうんだ。
だからこんなに楽になる。
「しかしいいのか、こんなに楽で」
「確かに楽だが、それでいいのか」
「いや逆に、なぜ「それでいいのか」なんだ、別にいいだろ、楽でも」
色々な考えが渦巻く。
分かっているのは、ここでこの欲を外して楽になれば、俺の行動の根源もなくなるということだ。モチベーションがほとんど無になる。今のように、糸が切れたように何もする気がなくなるのだ。
今ならどっちにも倒れられる(気がする)。
楽な生き方も魅力があったが、かといって今からこの先欲もモチベーションも皆無な淡白な生活になるのも嫌な気がした。
かといってまた、際限ないキャラ作りに追われるのか。なんだかそれも違う気がする。いやしかし。やはりそもそも俺はそういう生き方しか出来ないのかもしれない。永遠に理想の自分を求めそれに向かって走る。そういった生き方しか。
俺は一体どうするべきなのだろう。俺は一体何をやっているのだろう。
つくづく、不器用な性格だと、思う。
腐女子凄すぎ。
あんなに濃いオタクのくせして普段普通の女子みたいに振舞ってるのがまた凄すぎ。
男オタの三歩前を行ってる。モテないとか脱オタとかそういうレベルじゃない。凄すぎ。
まあ話には聞いてたけどさ、やっぱ凄いね。
テニミュ行った日なんか凄いハイテンションだし。俺テニスの王子様とか全然読んだこと無いのに跡部様とか忍足とか覚えちゃったからね。
「あの漫画よんだー?」って聞くと返ってくるのが「読んだよー。やっぱり○○×◇◇だよね」
もう早速カップリング作ってる。
「あぁー。じゃあこのシーンとか萌え?」って聞くと
「それは◇◇×○○の人は萌えるだろうけど私はちょっと」
とか細かい。すげえ細かい。
「同じじゃないの?それ」
「違うよ!全然違うよ!!!寧ろ一番違う!!!」
熱弁だよ。拳ふるって熱弁だよ。
「カップリングは誰となの?」
「や、これはそういうの無しで」
「えっ?!」
超拘ってる。なにその「ないわ」の基準。先生、僕分かりません。
「はぁ…そう…」
「なんか学生っぽくていい。真面目で挫折したことなくていい子ちゃんな感じ。真っ白なの。あ、でも逆に、真っ白な優等生に見えて黒ってのもあり。いやっていうかそっちのほうがいい!!そんでめがねで大人タイプの(以下長くなるので省略)」
「そう…」
「あぁー!もう○○がいれば生きていけるぅー!」
……俺は?
「○○と結婚したい!!!」
……俺……
「跡部様ーーーーーーー!!」
うん……跡部様にはかなわんわ……
つかさー、なんで選択肢が
「優等生的振る舞い」と「hasigotan的振る舞い(関係ない人の幸せを妬み噛み付く)」の2択になってんのかね。
幸せな人に対して妬ましい気持ちが沸いたとして、それをただ押し殺して優等生的振る舞いに徹するのでも、
hasigotan的に相手を呪ったり罵倒したり攻撃したりするのではなく、
静かに理性的に
「これこれこういう背景を持つ自分の中には、これこれこういう人に対する妬みの気持ちが確かに存在するのだ」
とだけ認めるような、そういう振る舞いもあると思んだが。
『「優等生的振る舞い」をすべきだという圧力』、というのは、全人類に要請されているんじゃないのか。どうしてそこで「障害者、何らかの不幸な過去がある人」に話を限るのかさっぱり分からんね。
小学校で言われなかったか、横見てないでちゃんと前をみなさい、とか。
そうね、みんなバフェットみたいにできないなら死んだほうがいいんじゃねえの
シヌナ、イキロ カッコワライ。
優等生を指してお前もそうしろってか
優等生の真似はしたほうがいいぞ。屑の真似よりずっといい。
メンドクセーなー
お前も同類だよ
世の中なんか足りない奴で圧倒的に埋め尽くされてんだよ
優等生を指してお前もそうしろってか
そうね、みんなバフェットみたいにできないなら死んだほうがいいんじゃねえの
怖い世の中やーとか思うけど
自分の中学生の時を思い返してみると(さして前じゃないが)
そういや、いじめ、あったなあ…
いや、いじめというか、不良がいた。
学年に一人もうどっからどうみても不良ですと言わんばかりの不良がいた。
髪金髪。逆立ててる。服はもう上はほとんど私服。派手なTシャツを着て、ぶかぶかにはきこなしてる?学ラン。ゴテゴテのベルト。兄が暴走族だとか、ホンモノのそっち系だとか色々噂があって、皆怖がってた。
それでもまぁ、多分こんなのは今思うと全然ヌルい方の不良だったんだと思う。
授業中は結構教室にいたし(一番後ろでふんぞり返ってたり、バイク雑誌読んでたりはしてたが、特にうるさくもなかった)まあでないこともいっぱいあったしギャーギャー騒いでる時もあったんだけども。校内にバイクで乗り込んだ事が一度だけあってちょっとした騒ぎになった。でも特に乗り込んで何をしたわけでもなく一周して帰っていった。とはいえ先生にきめえよといったり叫んだり反抗はものすごいしていたが。男子達はそんな不良に皆おべっかをつかってヘコヘコしていた。2人ほど、いかにも弱い、めがねをかけたのび太君のような感じの男子は、時折廊下で蹴られていた。準不良組みたいな男子が10人ほどいたが、彼らもその不良の前では尊敬してますよーな顔しておいて、裏では「あいつ何様だよ」「マジ氏ねよ」「兄がいなかったら俺らでボコボコにしてやるのに」とか言っていた。準不良は学ランは一応着てるものの中に真っ赤なTシャツとかをきて、前を空けてそれを見せてたりくらいの着崩しはしていた。その不良は学校にそもそもこないことも多々あったため、そんなときは彼らが大きい顔をして、他の普通、あるいは弱い男子をからかったり、例ののび太君みたいな2人に対してはやはりまた蹴ったりしていた。廊下ですれ違うときに、意味もなく何故か蹴るのだ。ただそのままボコボコにするとか、そういう事は特になく、蹴ることがあっても一度一人だれかが蹴るだけだった。そういう意味で今に比べればまだヌルいんだろうけどそれでも意味もなく蹴られたり殴られたりからかわれたりする彼らは可哀想で仕方が無かった。しかし男子達の(それも不良の)イジメに女子が一人入っていけるわけもなく私は何も出来なかった。
その不良(と準不良)たちのイジメは時折一部の女子にもとんだ。言葉の攻撃だった。「お前今日もキモいねーw」とか、そういう類のイジメだった。友達もそれでからかわれた事があったがまたしても何も出来なかった。しかし彼女は強く、給食中「相変わらずキモいね○○さん」と言われても「ハイハイ」などと言っていたのだが(それでも彼らはそれにすら反応して「ハイハイだってぇーw分かってるんだw自覚してるんだw」とか言ってたわけだが)
まだボコボコにし続けているとかなら「先生を呼びに行く」という助けが私にも出来たが、彼らのイジメは全て目撃した瞬間に終わってるタチのものばかりだったため、何も出来なかった。優等生ぶって「蹴るのはよくないよ!」なんて言ったところで彼らは聞くわけもない。笑われるだけだ。
結局色々不満があるからそれを周りにぶつけていたんだと思う。準不良は不良に媚びるストレスを弱者に発散していたし、不良は何をどうすればいいのか自分でも分からないがゆえにそれを先生や物や何もかもに当たっているといった感じだった。
ある一人の先生は、その不良の悪事を見るたびに叱っていた。小さい先生(A先生とする)だったが見る度に叱っていた。キモいんだよと何度言われても叱っていた。他の先生はといえば、ある程度は見逃し、酷くなれば、黙って数人で職員室へ連行、そんな感じだった。
ある時A先生が怒っていると、他の先生の一人が呆れたように「先生、そんな、まともにいちいち怒らなくてもいいでしょう」と言っていたのを、私は見た。「何言ったって反抗するんですから、まともに相手したってだめです」と。A先生は、「悪いことをしたら叱るのは当たり前の事でしょうが」と怒っていた。他の先生はやれやれといったように不良を黙って連行していった。
正直、それまで私も「そんなこんな反抗期真っ最中の不良にまともに何か言ったってダメだって」とか思っていた。そいつに叱ってるせいで授業が遅れるし、そんなのどうでもいいから授業してくれ、と思っていた。でもA先生は多分、唯一不良をまともに相手してくれる人だったんだと今は思う。A先生に対してだけは、不良はやけに真剣に怒っていた。怒鳴っていた。A先生も負けじと言い返していた。不良は、他の先生に対しては、どこかなめたような冷めたような感じだった。「どうせこいつらに言っても無駄だ」的な、そんな目だった。他の先生は不良を単なる「頭を抱えたくなる問題要素」としてしか見ていなく、A先生だけは彼を生徒としてみていたのかなと月並みだがそんな事を今なら思う。とにかく生徒に対して全力投球な人だった。
特に何もなかったと思ったけど、きちんと思い返してみれば中学が一番荒れていたように思う