2007-11-12

平凡な人間のある悩み事

小さい頃、小学校低学年くらいの頃、俺は天才に憧れていた。

12歳でハーバードに入学だのなんだのそういった類の天才児に憧れていた。

俺は学業の成績は昔から良かったため、ますますそれが拍車をかけた。

俺も天才児としてアメリカ大学に通ってインタビューされてやるぞ!!とか思ってた。

しかしかといって何をすればいいかわからず(この時点でまあ…)

単純に成績の良い優等生として育った。

中学に入る頃には「うーん。どうも俺、天才じゃないかも」と思い始めていた。恥ずかしいけどまだ「かも」のレベルだった。増田だから正直に書く。

中学に入っても俺は相変わらず成績優秀で学年で一位だったりもしたので、あまりプライドは崩れなかったが、しかし「なんか天才じゃないよな……せいぜい秀才だよな」ということに気付き始めた俺は、方向転換を図り始めた(これは今思うと、であって当時は無意識に行っていた)。能力そのもので飛びぬけた者になれないのなら、何か俺自身に「学業優秀」以外の特典をつけねばなるまい、と。それで個性化を図り、「純粋な天才」で特別な人間になるのは無理でも、「個性的な秀才」で特別な人間になろうと考えた。

そのためにはどうすればよいのだろうか。

学業優秀、だけじゃ、全国にザラにいる。しかしまずこの「優秀さ」も、それなりに磨く必要がある。そうだ。東大に入れば、まあまあ箔がつくだろうし、「全国にザラにいる」レベルじゃなくなる。天才ではないだろうが秀才としてはそれなりのレベルを他人に誇れるはずだ……そう考え、志望大学をこの頃から東大に決める。

そして他の特典は……。

「個性的」を演出するには、「ギャップ」と「希少価値」がポイントだろうと考えた。

いかにもこの俺、山田太郎(仮)という人間がしなさそうな事。あるいはそもそもをそれを行うものが少なそうな事。

希少価値については、単純に競技人口が少ない「穴場スポット」を狙うか、それとも敢えてメジャーな道を選択し、練習しある程度のその道の「達人」になる事で他者を引き離すか。あるいは穴場スポットを狙った上で、達人になるか。ざっとそんな事を考えた。

そして俺はその自分で考えたガイドラインに従い、俺・山田太郎(仮)の「趣味」「特技」「性格」を作り始めた。まさに「キャラ作り」だった。

もともと俺は、割りと好奇心が強いほうだったため、興味を持とうと思えば大抵のものは持つことができた。ゆえに反面、「一つの大好きな趣味」というのが特になく、どれも万遍なくそこそこ好き、という状態だったため、このキャラ作りは実行しやすかった。

そして俺は「キャラプロット作り」を大体終え、「キャラ作り」の実行に移った。決めた趣味や特技を本当にモノにするため、知識を得たり練習をする必要があった。

そんなこんなで高校生になった。まだ荒削りだが8割ほど完成していたキャラで俺は新しい環境に降り立った。

まだ途中ではあるが、思惑通り俺は俺の思う通りの「個性的な人間」として迎えられた。

しかし、高校となるとやはり色々な人間が出てくる。中学時代の俺が思っていた以上に、この世には色々な人間がいるのだ。その上、皆成績優秀者だ。とりあえず今の俺でもここでは「個性的な人間」になれているが、俺よりも凄い奴(俺基準でだが)も数人いる事にショックを受けた俺は、「待てよ。これじゃ東大はいったところで、そこじゃここ以上に俺より凄い奴(俺基準で)がいるにちがいない」「ならばこの今の俺ではだめだ。キャラバージョンアップさせる必要がある」そう考え、高校でまた新たに「キャラ作り」を始めた。

甘かった。中学時代のあんなキャラレベルでは、地元人間しか騙せないのだ。

もっと個性的な人になって、もっと特別な人間にならないといけない。

そしてまた「キャラ作り」の実行に移った。

今度は日頃の態度、仕草から徹底する事にした。誰も見ていないところであっても、キャラ相応の態度を心がけた。

苦しくはなかった。寧ろ、キャラどおりに実行するとき、俺の好きなキャラになりきれていることに、近づけていることに、俺は喜びと楽しさを感じていた。しかし「楽」ではなかった。

大学へ入り、なるべく多くの種類の経験をといろいろな所へ出向いたり所属したりした。そのたび世界が開いていく事に俺は感動したが、したと同時に、張り詰めた空気が俺を支配する事に気がついた。俺の知らない世界が開くごとに、「またキャラを強化しなければならない」と俺は考えてしまうのだ。別に今のままでも十分「個性的な人間」として俺は認められている。しかし、それだけじゃ満足できないようになっていた。もっと。もっともっと強化しなければならない。いつなんどき俺とかぶるキャラが出てくるか分からない。幼い頃憧れた「純粋な天才」と肩を並べるほどの個性を持つには、こんなレベルじゃ足りないんだ。もっともっともっと個性的にならねばならない。こんなんじゃ足りない。

そんな事を思いながら、自分作りを繰り返していたある日

また新たな世界の扉を開けて、俺はふっと、なぜだかふっと糸が切れたようになった。

「ていうか俺、なんでここまで必死になってるんだ?」

それから学校ヘ行く以外何もしない日々が半月ほど続いた。

糸が切れた操り人形が動かなくぺしゃんこになったように俺は何をする気にもなれず生きていた。

体は完全に停止していたが、頭の中では色んな想いが渦巻いていた。

「もしかしてあんなに必死になる必要はなかったのでは?」

「別に、普通の人でもいい、そう思えたら、もしかして凄く楽なんじゃ?」

「いや……でも楽してもいいのか?普通の人でもいいのか?」

「それは諦めるって事じゃないのか?」

「諦めていいのか?」

「いや、ていうか、俺は、諦めて、生きていけるのか?」

「別にいいじゃん。普通で。キャラ作らなくったっていいじゃん。

俺が好きなものがたとえ普通に皆好きなもので全然珍しくなくて普通であっても、それでいいじゃん。

俺が頑張らなくても好きになれるものだけ好きになって

俺がやりたいことだけやればいいじゃん」

実験的にそういう思考をしてみた。

……物凄く楽になってしまった。

そうだ。もともと俺は、自己顕示欲に裏打ちされていないただ純粋に「好きな物」「好きな事」というのは、持っていなかった。

俺の行動のモチベーションはほとんど全て強い自己顕示欲からなるものだった、つまりその支えを外してしまえば、その欲を取り除いてしまえば、もう俺は、欲がほとんどなくなってしまうんだ。

だからこんなに楽になる。

「しかしいいのか、こんなに楽で」

「確かに楽だが、それでいいのか」

「いや逆に、なぜ「それでいいのか」なんだ、別にいいだろ、楽でも」

色々な考えが渦巻く。

分かっているのは、ここでこの欲を外して楽になれば、俺の行動の根源もなくなるということだ。モチベーションがほとんど無になる。今のように、糸が切れたように何もする気がなくなるのだ。

今ならどっちにも倒れられる(気がする)。

楽な生き方も魅力があったが、かといって今からこの先欲もモチベーションも皆無な淡白な生活になるのも嫌な気がした。

かといってまた、際限ないキャラ作りに追われるのか。なんだかそれも違う気がする。いやしかし。やはりそもそも俺はそういう生き方しか出来ないのかもしれない。永遠に理想の自分を求めそれに向かって走る。そういった生き方しか。

俺は一体どうするべきなのだろう。俺は一体何をやっているのだろう。

つくづく、不器用な性格だと、思う。

  • よう、俺。

  • なんでどっちかなの? と訊いてもいいですか? 意外と併存可能じゃないかなあ、と思うのだけど。 まあもちろん、それもそれなりには大変な道、というか、 ある程度の能力は必要だと...

    • 「自己顕示欲を捨てて楽になる」 と 「自己顕示欲に従いこれからも進み続ける」 って相反してるから両立不可能ではないかと思ったのですが そういう意味じゃなくてですか?

      • 心情を読み違えてたらごめんなさい。 なんて思いつつ、 ちゃんと理解できてる、なんて慢心しているつもりもありませんが。 いままで、自己顕示欲を燃料にしていろいろな世界を見て...

  • 中二病を肯定しつつ思い悩むと言うキャラは高二病ではないよな。 メタ中二病と名付けようかと思うがどうだろうか?

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