はてなキーワード: リクルートスーツとは
人間は生まれ持った才能だけではなく、生まれてから努力して身につけるものもある。だけど美人とブスでは社会から与えられるチャンスが違う。
同じ大学にいる美人と残念な子を見てみよう。美人の子は大学に入ってほどなくして年上の彼氏ができた。もともと美人なのに明るく笑って、服のセンスやメイクもどんどん垢抜けていった。社会人は学生よりお金があるから旅行とかも連れて行ってもらったらしい。どんどん洗練されて眩しくなっていった。
残念な子は大学に入っても高校の頃と同じように女友達数人といつも一緒でつまらない話で盛り上がったり、趣味の同人誌を描くとかしかしてこなかった。男の陰はまったくない4年間だった。
街を歩くと就職活動をしている学生がいる。美人の子はすぐに大手企業から内定をもらった。残念な子は7月になっても内定が出なくて、暑い日にリクルートスーツを着て汗だくになって就職活動をしていた。そして地味な会社の事務職に内定を得た。これは始まりの始まりでしかなかった。
美人の子は仕事を通じて社外の人とも多く接して以前に増して磨かれていった。会社の仕事でおいしい食事をしながら社外の人と会ったり、取引先の社長と会ったと嬉しそうに言ってきたり、活躍の場が広がるにつれてますます綺麗になった。
残念な子は事務職をして家と会社を往復するだけの生活だった。社外の人と会うこともないし、お洒落を工夫する気もなくなっていった。会社から派遣されて国際会議に出ることもないし、社外の偉い人と会うこともない。給与の額だけでなく仕事の内容でも大きく差がついた。
人間は社会からチャンスを与えられると生き生きした顔になるし、ファッションも洗練されていく。大学卒業後10年もすると美人の子は優秀な人として活躍するし、残念な子はただのOLでしかなくなった。
現代の我々は社会から「知性」も「感性」も要求されず、一方で従順・隷属・勤勉を求められます。
「世の中」に疑問を差し挟むことは許されないようです。
本日リクルートスーツの新入社員とおぼしき方々を多数拝見しましたが、髪型・服装・仕草が一様すぎて愕然としました。
最初はある程度同じような格好をするのは分かりますが、あまりにも異様な同調性には辟易します。
こうちょっと個性があっても、誰も怒らないと思うんですが…。
いきなり「当事者として申し訳なく…」「信頼回復に向けお叱りを受け止めて…」ときたものです。
ちょっと前までほとんど関係の無かった会社の、彼らにこれっぽっちも責任のないことについて、
正直言って、ぞっとします。
ひょっとしたら、彼らの見識や知性は、「それはオカシイ」と思っていたのかも知れませんが、
とてもそれを言える雰囲気ではない、ということでしょうか。
うがった見方なのは承知していますが、見識も知性も必要とされない社会を体現しているように感じました。
自分の頭ではなく「会社の頭で」考える人でないと、なかなか会社には入れないですから。
娘22歳。
都立の有名進学高校からいわゆるMARCHの文学部にすんなり入ったのが4年前。
そこそこの成績で順調に単位も取り、文科系のサークルもずっと続けてた普通の女子大生。
まあ一人っ子だからぽやーっとしてるし、気がきかないとこもあり。
親も本人もこの大学なら比較的楽に、早めに内定出るだろうとタカをくくってたのが一昨年の秋ごろ。
さてそろそろ就活でもすっかーって感じでエントリし始めたけど、なんだかすごいとこ希望してる。
おまえ正気かよ?って思ったけど、世間知らずも甚だしい本人はその気満々。
結果なんかこっちから聞いたこともない。
いやおまえみたいなの無理だから。
そう言っても聞く耳持たず。
それから何ヶ月か、彼女は彼女なりにいくつかエントリしたらしい。
もちろん結果は惨敗。
この時点でまだ大学のキャリセンになど足を運んでなかったんじゃないかと思う。
企業説明会や学校での企画もサボってることが多かったように記憶してる。
この時点でもう4年に進学。
同級生で就職先が決まってる子は一人か二人だった。
これはどうも確からしい。
さて4年になってぽつぽつと説明会へ行く日が増えてきた。
夏が近づくと、さすがに色々わかってきたらしく一般職に切り替え。
夏用のリクルートスーツを買わなければならず、しかたなく買ってやる。
「あー、まさか夏用がいるとは思わなかったよー」などと本人は言っている。
そして夏休みが過ぎ、秋風が吹き始めた頃から娘は頻繁に大学のキャリセンに通うようになった。
そもそも履歴書の書き方、エントリシートの書き方さえてきとーだったようだ。
今から思うと冷や汗ものというより噴飯ものだ。
10月に親戚の法事があり、私が親戚中に頭を下げて就職のあっせんを頼んだ。
コネで入るなんてしたくなかったが、背に腹は変えられない。
年が明けても娘は落ち続けた。
筆記が通っても面接で落とされる、または筆記からして落ちる。
いままでの娘の人生は、中学ではトップクラスの成績、高校は有名校、大学もすんなり決まり、挫折なんて一度もなかった。
それが、次から次へダメ出しが届く。
お勉強ができればいいのよ、と私も思ってた部分があったことは認める。
だから落ち続ける娘に「まだ決まらないの?」とはあまり聞けなかった。
要するに娘のプライドはずたずたのはずだ。
それでもふてくされずに就活はしていたから私は見守り続けた。
だって何もしてやれないし。
それが1月の半ばを過ぎたころから少し変わった。
なんだか様子がおかしい。
どこか投げやりというか就活に熱心でなくなった。
恐る恐る問いただしてみると「もしかして留年するかも」と言う。
いとも簡単に「留年」と口にした。
聞いてねーよ!
なんだよそれ。
ふざけんなよ。
私は思わずそう言った。
あとで少し冷静になって「そんならそうでお父さんに頭を下げてそう頼みなさい」と言った。
娘はこんな展開になると思っていなかったらしくショックだったようだ。
そういえば「お金ないの?」と聞いていた。
そういう問題ではないと答えた。
そして今月になってエントリを出したのが4社ぐらいだと思う。
前半に受けた2社から筆記合格の通知が来た。
ここまでは今までも何度もあった。
更にもう一社、一次面接に行ったら「筆記の国語は最高点だったって言われた」と嬉しそうに帰ってきた。
いい予感がした。
最終的にここの第三次面接まで通り、奇跡的に娘は東証第一部上場企業に就職が内定した。
ほんとにすんなり、で拍子抜けしたほどだ。
後半に受けた2社からも筆記合格が来たが、断った。
「今頃になって東証一部の企業が求人出してくるなんて」とキャリセンの人も言っていたそうだが、娘はラッキーだったと思う。
以上、なんとなく書き残したかったことです。
うちの娘はスポーツセンターの受け付けのバイトを長くしていて、ある程度愛想はあるし仕事もきちんとこなしていました。
それでもやっぱり就職というと苦労するんですね。
でもほんとに、捨てる神あれば拾う神あり。
ただし、この企業に実際に入社してみて、その後どういう展開になるのかはわかりません。
親としては、普通に働いてくれればいいなと願うばかりです。
長文失礼しました。
初めてSEさんにお目にかかった。
来たのは30過ぎでぱっつんな黒のリクルートスーツを着た女性と
60に手が届きそうな目つきの悪いハゲたおっさん。
「XXXでSEをやっておりますAと申します」
おお、システムなんたらかんたら、と書いてある。
おっさんは名刺くれずに名乗った。
後から会話を聞いていたらどうも下請けらしい。
今日の予定は新しいシステムの細かい運用の確認の打ち合わせと、
とりあえずの仮システムが入ったPCに後から届いたプリンタの設置。
俺「プリンタはここにありますので、お願いします」
SE「はい?」
俺「え?」
俺「え?」
面食らってたら、おっさんとSEさんが話し出した。
おっさん「プリンタ設置すんの?聞いてないよ。これ、こっちが入れてるの?」
SE「はい。うちから納品したものです」
おっさん「ふーん。ドライバとか揃ってるの?」
SE「え?なんですか?それ」
おっさんが不機嫌そうに設置しはじめた。
うちの会社貧乏だから、俺ん家にあるような普通のインクジェットなんだけどな~
とか思いながら、聞かれていた今のシステムの話に移った。
俺「…じゃあ…あと、今のシステムのXXの件ですが、実際に見てもらっていいですか?」
SE「はい。お願いします」
俺「これなんですけど、システムで処理できないから、EXCELでやってるんですよ」
SE「はい。EXCELですね。なるほど(一生懸命メモしてた)」
俺「え?」
SE「え?」
俺「あの…システムの確認のメールをもらったAさん…ですよね?」
SE「はい。私がAです。」
俺「EXCELのマクロでどんな処理してるか、って事でしたよね?」
SE「はい。そうです。」
結局おっさんがプリンタ設置するの待って再開。
ほとんどおっさんと話した。
おっさんはEXCELのマクロなんて精度が酷いからちゃんとしたプログラムで作らなきゃナンタラカンタラと言ってた。(そのマクロ俺が作ったんだよ!悪かったな!)
その後、SEさんにおっさんがマクロとは何か、って話をしてた…
はてなとか増田に「SEはプログラム組めなくてもできる」とか書いてあったが
俺には結局SEがなんなのか分からなかった…
SEって、何ができるんだ?
追記
元増田です。
異動とか、中途とか、そういう内部事情は分からないけど、
他でもそういうSEがいる、って事は
知らなくても、SEにはなれる、って事なんだな。
勉強になった。
スーツが二着しかなくて(しかも安もの)そろそろやばい。しかも痩せてきたみたいでパンツがぶかぶか。これは買わないとまずい。給料出たら買うかと思ってはいたんだけれども予想外に生活費がかかってなくて予算が余ってるので、給料日前だけど買ってしまおうかとか考えている。
会社はスーツ限定なんだけど、女なのでこれから暑くなっていく季節にどういう格好をすればよいものやら悩んでむ。とりあえずスカートが正式らしいのでそれは買うとして…でもどんなスカートを買えばよいものか。マーメイドだけじゃまずいのかね。タイトなのもあった方が良いのか。
シャツは?インナーは?シャツ好きなんだけどかっちりしすぎてるようにも見えるし、アイロンがけも面倒だ。記憶形状買うようにはしてるけどそれでもやっぱりねぇ。
毎日通勤電車の中で観察してるけどどうしたらいいか分かんないしコナカもアオキも全然レディーススーツがねーよ!どこ行けばかえるんだー!リクルートスーツはもう卒業しましょうとか言われてしまったしうーむー。スーツのなかでジャケット、インナー、パンツorスカートの三つに分けるとき、どれか一つは遊んでよいとかアドバイスされたけど遊ぶとかわかりません。オシャレとか一番苦手なのに…。でも一般企業いったらもっと大変なんだよなぁ。
ああああああああああと靴も買わなきゃいけないんだったあああああ死ねる
男の子を拾った。
今部屋の角にいる。
彼はここにいたいのか、
それともここから逃げ出したいのか。
どうともとれるような目でこっちを見ている。
私もこの子の何気ない行動を見て、
『自分を必要としているんじゃないか』と思ってしまって、つい連れてきてしまった。
ちょっと後悔している。
面倒なんてみきれないし、見るつもりもない。
ちょっと、寂しかっただけだ。
年は同じ。リクルートスーツ、黒縁メガネ、ちょっと可愛い顔してる。
肌は毎日化粧している私よりハリがあってとてもキレイだ。
もちろん拾った、って言うのはこちらの主観であって、
彼からしてみれば自分の意思で来たのかもしれないし。
いやいや、勝手につれてきておいてそれはないのかな?
でも、なんとなく、なんとなくなんだけれど
私も、彼も、寂しかったんじゃないかと感じるのだ。
でもそれからうんともすんとも言わないし、
私もどうしたいかよくわからないから、様子を見てみようかな。
彼が必要なら一緒にすんだっていい。
初めて話したその時から、彼は私の心から出ていかない。
2年前の文だけど今の方がなんとなく需要ありそうだから「全文引用」しよう。少なくともこれを読んで救われた(自分を客観視でき、行動に移せた)人間が少なくともここに一人いるからな・・・
樋口 康彦
大学生における準ひきこもり行動に関する考察 ―キャンパスの孤立者について―(富山国際大学・紀要2006年3月号)
http://www.tuins.ac.jp/jm/library/kiyou/2006kokusai-PDF/higuchi2.pdf
http://www13.atwiki.jp/syukatsu_sugoiyatsu/pages/29.html
健康で、大学の成績も優秀であるし、車の免許も持っている。学校と家を往復するだけで夜遊びもしない真面目な子に育った。このままきっと社会人になって安定した人生を歩んでくれると、親は彼(彼女)の将来に希望を抱いてさえいる。しかし卒業を控えた時期になって初めて、親は自分の子のことをわかっていたようで、わかっていなかったことに気がつく。最終的に彼(彼女)は社会に適応することができないのである。一見適応しているかのように見え、期待を抱かせるだけに始末が悪いと言える。
筆者がこの症候群に気づいたのは数年前、ある男子学生との関係からであった。彼は安定した仕事を持つ両親と、同じく正社員として働く兄がいる比較的恵まれた家庭でやや過保護に育てられていた。大学の成績も生活態度も良く、非社交的で孤立ぎみなことを除けば何の問題もない学生であると思っていた。しかし就職活動の時期になり、他の学生がリクルートスーツに着替え、就職活動に汗を流す時期になっても、彼だけは全く活動を行わないのである。
就職活動の進行状況について問うと、決まって「今はインターネットとかで企業の情報を集めています」と答える。
「他の学生はもう続々と内定を取り始めているがそのことについてはどう思う」
「はあ、危機感は感じますね…」
そんな会話を何度となく繰り返した。秋になり就職活動が終盤に入る。「もう、大手の会社は大体内定を出していて、もう小さな会社しか募集活動をしていないけど…」「はあ、危機感は感じますね…」いつもそのような会話の繰り返しであった。しかしこの時点ではさほど心配はしていなかった。「就職活動を何も行わず無職の身として卒業することはないだろう。いつか重い腰をあげるに違いない」と考えていたのである。
それから非常にショックな出来事があった。就職課からセミナー、合同会社説明会等の連絡が教員にあり、それらは全てコピーした上で彼に手渡し、参加を促していた。多分その数は10 以上であったと思う。彼は受け取る時に「この会場は家の近くです。だから参加しやすいですね」とか「こんな大規模な説明会がT県でもあるんですね」などと言っていたので、筆者はてっきり参加しているものと思い込んでいた。しかし、後で問いただすと、ただ案内書を受け取っただけでひとつも参加していなかったということがわかったのである。
とにかく、どんなに励まそうと、焚きつけようと絶対に就職活動を行おうとはしなかった。それは極めて強い拒絶であった。筆者がそれ以上強く言わなかったのは、基本的に就職は本人の問題であることと、彼はとても繊細で傷つきやすく、また無業者としての卒業を前にして神経質になっていたからである。
また心配した両親が一度、筆者と大学の就職課を訪ねて来たこともあった。確かに、性格的に就職活動やその後に続く職場生活は苦手だろうとは思っていたが、このように全く就職活動をしないという方法で対処するとは思ってもみないことであった。就職活動から、就職・自立というのは誰もが避けて通れない道だと考えていたからである。当然彼も、苦しみつつ自分なりに取り組むものと考えていた。
しかしある時、突然次のことを閃いたのである。「就職活動などできるわけがない。実は彼はひきこもりなのだ」大学にはきちんと来ており、単位もしっかり取れているので適応していると思い込んでいたのであるが、大学という誰とも関わらずに過ごして行ける環境の中で、偽りの適応を示していただけのことで、ライフスタイルの本質はひきこもりと何ら変わりはない。中学や高校のようにクラスが固定されている場では、仲間の輪に加われないことがプレッシャーになったり、いじめにあったりするが、大学ではそれがない。彼にとって大学への登校とは、毎回講演会や映画に行くようなものであり、気軽にできていたのである。
ひきこもりの人でもコンビニには行けるという話をよく聞くが、そのように密で複雑な人間関係に巻き込まれる恐れのない場所になら出かけられるという点で、大学には来ることができているに過ぎない。夜遊び等せず真面目に大学に出てくるのも、遊びを知らず、また一緒に出歩く友人もいないことからそうせざるを得ないのである。つまり夜遊びさえできない。結局、強い非社会性・非社交性を持っているにもかかわらず大学という、学級もなく複雑な人間関係に煩わされることがない環境であるがゆえに、見せかけの適応をしていたに過ぎないのである。社会に出ていくことへのレディネスの不足は特殊な環境の中で隠されているだけなのだ。つまり社会と本格的に関わるには、あまりにも未熟だったのである。
ただ、真面目に大学に通い、単位もきちんと取れていることから、両親や、担当教員、そして本人も問題点に気づいていなかったのである。問題点とはすなわち、圧倒的な社会経験の不足の中で、人と関わることが苦手であるという欠点が矯正されたわけではないことである。就職活動、職場生活を送るに必要な社会的スキル等のレディネスが全く形成されておらず、その後の生活に適応できないということである。大学時代の彼は社会に参加しているようで参加していなかった。一応、家の外には出て行くものの、誰とも深い関わりを持つことはなくただ自分の世界の中で生きていただけである。病気かというとそうとまでは言えず、また表面上は今の環境に適応しているかのように見え、大学生活の後半頃になってから問題が暴露されるという点で実に厄介である。こういった現象は純粋なひきこもりではないが実質はひきこもりに近いという点で準ひきこもり行動と言えると思う。
準ひきこもりは現代病の一種と言えるが、社会進出を控えた大事な4年間を、極めて自閉的かつ無為に過ごすのだから、社会性がほとんど身につかず、卒業しても会社での激務など到底できない。立ち直るのは難しくそのまま人生自体を無駄にしかねない。現代の大学生における、フリーター問題、ニート問題、離職率の高さの問題はマスコミ等で連日指摘されているが、その背景にある一つの大きな要因に、準ひきこもり症候群が隠されていることに気づいている人は少ないと思われる。一般に、非社会的行動は反社会的行動とは異なり、目立たないため見過ごされがちである。
大学教員なら誰もがその存在を知っているし、彼らがどのようなコースを辿るのかについても大体知っている。彼らは孤独な大学生活を真面目に過ごし、結局は社会で活躍することができない。しかし大学時代、表面上は適応しているかのように見えることからその問題点について理論的に考察した研究は見当たらない。そこで、本論では大学生の準ひきこもり行動について基本的な考察を進めて行くことにする。
一部の大学生が取る非社会的行動の一種である。大学には真面目に登校し、学業成績にも問題はない。また目立った問題行動はない。しかし、家族を除く他者との交流がほとんどなく、従って対人的な社会経験が不足している状態のこと。しかし本人や周囲の者は問題の存在にさほど気づいていない。就職活動や社会人生活へのレディネスが形成されていないため、就職活動期もしくは卒業後に社会不適応を起こす状態のこと。
通常のひきこもりとの違いを、以下にまとめる。
■準ひきこもりのルーツはかなり昔にまで遡ることができる。小学・中学・高校時代から人付き合いが苦手であり、不登校を経験していることが多い。その時期における社会経験の不足が準ひきこもりを作る基盤になっている。
■大学に入学し、真面目に登校して単位もしっかり修得している。しかし、友人はほとんどおらず、ただ自宅と学校を往復しているだけである。従って対人関係の技術は未熟なままに置かれる。孤立していることを除けば、自分の妄想と現実との間を行き来しつつ、割合に快適な大学生活を送る。自分の弱点である非社交性がつまびらかになることもなく、人格はないが相手をしてくれるもの(テレビ、パソコン、コンピュータゲーム、漫画やアニメなど)を延々と楽しみ、自閉傾向を強めつつも幸せな4年間を過ごす。ただし大学には登校していることから、やるべきことはやっているという気になり、純粋なひきこもりのように追い詰められ絶望的な気持ちになることは少ないし、危険な状態にいるということもない。キャンパスの孤立者として静かに暮らしていることが多い。特に4年生になり、卒業に必要な授業がゼミ程度になるとひきこもり傾向は一層強くなる。一般の水準からすると、かなり問題のある無為な大学生活を送っているが、本人はそのことに気づいていないことが多い。
■就職活動をうまく行えない。知らない会社に電話でアプローチしたり、OB・OG訪問をしたり、初対面の人に自分を売りこんだりといったことは一番苦手である。
■就職活動を途中でやめ大学卒業と同時にひきこもりに近い生活に陥る。もしくは就職できたとしても、回りの人とうまくやっていけないため早期退職に至り、ひきこもり生活に陥る。結局、大学生活とそれに続く長い歳月を社会にとっても自分にとっても無為に過ごし、健全な社会人になることはほとんどできない。ただし、準ひきこもりの大学生の全てが社会に適応できなず、このコースを辿ると断言はできない。社会に出た後で、自分の世界と、社会一般との認識のずれに気づき、徐々に自分を変えて社会適応を果たす者も存在する。
ひきこもり学生は性格や行動パターンに共通性が多い。そこで(1)性格・行動的側面(2)知的(学習の)側面(3)社会的側面の3つに焦点を当ててそれぞれ見ていきたい。
■自分の力で自分の人生を切り拓いていくというたくましさに欠ける。準ひきこもりは男子学生の方が多いように感じるが、社会で期待されている男性役割を身につけておらず、性役割の取得において葛藤が見られる。
■社会経験の不足から、極めて自己中心的で視野の狭い考え方をする。
■精神病ではない。現実との接点はある程度残っているし、善悪の区別はつくので犯罪を犯すようなこともない。むしろ他の学生よりも大人しくて真面目な部類に入る。
■孤独に静かに大学生活を送っているケースが多いが、少し親しくなると甘えた非常識な言動、わがままの押し付けなど自己中心的言動を取ることがある。学生の間ではストーキングやセクハラの常習者としてマークされていることもある。これは、本人にはそんなつもりはなくても、社会の標準がわかっていないことから、つい不適切な言動を取ってしまうことによる。
■謙虚で常識をわきまえており、周囲を悩ませないこともある。一口に準ひきこもりと言っても、異常性には違いがある。
■真面目で大学での成績も良い。どの授業にも真面目に出席している。
■レポートや卒論を書くというのは基本的に自分一人の世界での作業であるため、比較的得意である。
■無気力で、実際には人恋しいものの他者との関わりを避けようとする傾向が強い。クラブ活動やアルバイトの類はしていないし、体育大会や大学祭など学校行事にも参加しない。また、お祭りなどの地域行事にも参加しない。それから下宿をしている場合には、家族とのコミュニケーションさえ少ないため、準ひきこもり傾向を加速度的に強めて行くことがある。
■アルバイトに関しては、過去にやったことはあったとしても現在はしていないことが多い。結局自分にとって居心地の良い世界(社会と関わらない自分だけの世界)に落ち着くことになる。つまりアルバイトでさえもできないというのが実情である。アルバイトに精を出す大学生というと否定的に見られがちだが、準ひきこもりの大学生よりはましである。
■人間関係をうまく行うことが苦手である。例えば、質問をしたり会話を続ける努力が少ない。ある意味で、孤立するのは必然と言える。
■友人が極めて少なく、いつも一人でいることが多い。他の学生から受け入れられず孤立しているという共通の境涯を絆にして同じ準ひきこもりの学生(キャンパスの孤立者)と一緒にいることがある。また、恋人はいない。
■優しくしてくれる誰かに、甘え、強く寄りかかろうとし、その結果厳しく拒絶されて傷つくことがある。これは長年にわたる実質的なひきこもり生活のため、人との距離を適切に取るということができないために起きる。また学生からは相手にされないため、教師に対し辟易させるほどしつこく付きまとうことがある。
■孤独感から他者(特に教師)の関心を引こうとする行動を取ることがある。教師にしつこくつきまとい悩ませていることも多い。一方、教師の側からすれば指導上の難しさがあってもなかなか周囲の理解を得られないということになる。ゼミなどを通じて深い付き合いをすると、明らかに他の学生とは違うとわかるのだが、付き合いのない教師には少々非社交的な感じではあるものの普通の大学生に見えるためである。
■若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。外見には自信のなさが滲み出ている。気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。長年孤立していると、こうまでいびつになってしまうのかと驚嘆するほどである。
■自らの非社会性に対し、他者と触れ合うことで矯正を目指すのではなく、問題から逃げ出して、隠してしまっていることである。
■青年期の発達課題を達成しておらず、場合によっては青年期以前の発達課題も達成していない。社会性の健全な発達のためには同世代の者との親密な交わりが不可欠である。しかし、準ひきこもりは、人付き合いをつらいこと苦しいこと、と捉えてしまっており、なるべく避けようとする。準ひきこもりの学生は、親以外ではお店の店員などとの非人格的な接触をするのみであり、対人関係能力の発達には役に立たない。青年期の発達課題である(a)職業生活、結婚生活の準備、(b)親からの自立の準備、という観点から見ると極めて問題の多い環境に住んでいると言わざるを得ない。
■他の問題を併発しやすい。潔癖症など神経症的傾向を持っていることがある。
■過保護で、親が甘い。子どもに不登校歴がある場合、親は厳しく接するのではなく腫れ物に触るように接する。一方準ひきこもりは、親が自分を見捨てないことを見抜いている。不登校歴がある場合、そのことは証明済みである。親が厳しいことを言わないので、居心地の良い方に流されてしまうのである。
■比較的裕福な家庭が多い。お金のことで苦労した経験はないし、今後も切実な心配はない。
■親は大学に真面目に登校していることで安心している。不登校歴がある場合、毎日登校する姿を見てやっと立ち直ってくれたと一安心していることもある。あるいは、親は自分の子が非社交的であることに薄々気がつき、心のどこかでは卒業後に不安を抱いているものの何の対策も取っていないことが多い。
今後、準ひきこもりに関する様々なことを調べて対策を講じていかなければならない。まず最初に出現率について調べなければならないだろう。筆者の印象では、10 人に1人というほど高率ではないが20 人に1人というほど低率でもないといったところである。また女子学生より男子学生に多い。それから最近特に多く出現しているのはなぜなのかについても考察して行かなければならない。準ひきこもりに不登校経験者が多いことは既に述べたが、不登校者は一般に学力の低いことが多い。しかし、大学全入時代を迎えたことにより低学力者でも大学生になれることが原因のひとつになっているのかもしれない。現在の多くの大学が、高校卒業時点で社会に通用せず、従って就職さえできない者の受け皿になっているという現実がある。
それから準ひきこもりになってしまう原因を探ることも重要である。おそらく家庭における問題と、大学生活以前にそうなりやすい性格的傾向を形成していたと考えられる。いずれにせよ社会経験の不足、社会的スキルの不足、孤立、それにともなう悪循環に原因を明らかにする鍵があるように思われる。
最後にもし準ひきこもりになってしまった場合、どう対策を取るのかについても今後考えて行かなければならないだろう。アルバイト、ボランティア活動、クラブ活動(サークル活動)、大学内の各種委員会などを通じて、仲間付き合い、参加意識、チームワークなどを体験することが防止策・対応策として有効であろう。もちろんこれらの活動は、強制するのではなく本人が自発的に取り組み、周囲の者がサポートするといった枠組で行われることが望ましい。しかし本人や周囲が問題に気づくのは大抵、卒業間近か卒業後であり、こういったことをして社会性を育てている時間的余裕がないことが多い。
筆者は調査を始めたばかりであり、彼らが今後どうなるのかについてはデータ不足のため正確には知らないが、いずれにせよ早期発見、早期対応が何より重要であろう。ちなみに、社会性を育てている時間的余裕がない時の就職先として、例えば、工場の生産現場、農業、造園業関係の仕事が考えられるのではないだろうか。彼らに関わる人たちからは少々変人と見なされるかもしれないが、なんとかやっていけるかもしれない。それらの職場では弁舌の巧みさよりもまじめに取り組む粘り強さが評価されるからである。本来の能力からすると、ホワイトカラー関係の仕事が十分可能であるが、社会性の方に大きな問題を抱えており、何らかの理由で急激に社会性・社交性が上昇しない限り、到底勤まらないであろう。本論の冒頭で紹介した学生に関しても、仮にもし就職活動または親のコネにより、何らかの企業に就職できていたとしても結局は早期退職に至っていたと思われる。かなりレベルの進んだ準ひきこもりであり、民間企業での複雑な人間関係、営業活動などの激務には到底耐えられないからである。いずれにせよ新卒での就職を逃してしまった上、新たな就職活動、職場での適応など、今後大変な苦労が予想される。
将来、社会に適応するために、また人間としての尊厳を守り現実感を維持するためには大学生のうちに人と交わっておくことが大切である。社会に適応するための力を身に付けることが不可欠であり、それをしない限り、根本的な解決には到らない。人生自体を台無しにしてしまうことも有り得るだろう。
私たちの主な仕事は2ちゃんねる等のニート、フリーター達が集まる掲示板やブログの監視とコメントの書き込み。1書き込みは100円だ。上限はない。書けば書くだけ金が転がり込んでくる寸法だ(もちろん、会社の意向に沿わない書き込みは対象外だが)。給料は国民の血税から出ているから、私たちは会社の屋台骨を気にすることなく毎日大量の書き込みができる。
書き込みの内容は、主に反日、嫌韓、嫌われ者作り。「チョンは氏ね」「こいつのどこが美人なんだ?ブサだろ」「空気嫁」と、対立や書き込みを煽る発言が大半だ。「釣り」と言われようが気にせず続けることがポイント。釣ろうが釣られようがそいつはそのスレッドに来たことになり、盛り上がりの一端を担ってくれるからだ。他にも「日本は私が変える!」といきまく人間のブログに賞賛の書き込みを大量に投下し、ブログに縛り付け外に出なくさせる作戦も行っている。こうすることにより、ストレスのはけ口をネットに集中させ、現実世界に出させないようにしているのだ。
「中央集権国家プロジェクト」に引き抜かれたのは1年ほど前のことだ。当時私は日雇い労働者として、毎日死んだ目をした人を大量に乗せたバスに揺られ、波止場の工場でコンビニへ運ぶ商品の仕分けをしていた。
そこに希望はなかった。毎日のように重い荷物を運んではカゴに乗せる作業を繰り返し、日々筋肉痛に悩まされた。仕事が遅いと、中国人の上司にわけのわからない日本語でダメ出しをされた。抜け出したくとも1日7000円の薄給では家賃を払うことが精一杯で、リクルートスーツを買って就職活動をする余裕はなかった。
そんな時に、高校時代の友人にこのプロジェクトへの誘いを受けた。パソコンをいじるだけで月100万は堅い。やり方は俺たちが教える。友人としてお前を今の生活から脱出させてやりたいんだ・・・。余裕がある時ならばそんなマルチ商法のような誘いなど断っていただろうが、当時の私にとって他に選択肢がなかったことは、ある意味幸運だったのかもしれない。
今、私は麻布の高級住宅街に家を借り、毎日タクシーで通勤し、仕事が終わったら六本木で遊びまわる天国のような生活を送っている。金が金を生み、人脈は果てしなく膨らんでいく。日本という国がある限り、私たちは一生生きていけるのだ。
最近では成金を悟られないように色々な勉強会に積極的に参加するようにしている。そこでわかってきたことは、現在の日本の統治システムがどれだけずさんであるかということと、それに気づいていない国民がいかに多いかということだった。いや、私たちが気づかないように仕向けているのかもしれないが。
石原が歌舞伎町浄化の後、クラブの営業も規制し始めたことはあまり知られていないが、なかなかの好判断だったと思われる。夜の街には自治政府ができやすい。それを法で規制するのは独裁者の常套手段だ。おそらく石原は若い時分に夜遊びを繰り返し、闇取引の多さを目の当たりにしてきたのだろう。
最近ではひろゆきの賠償金問題が話題になっているが、私はひろゆきの言っていることにはおおむね賛成だ。借金を踏み倒しても捕まらないのなら踏み倒せばいいのだ。もしかしたら、踏み倒したら捕まるような法がこの国では永遠に整備されることがないことを知っての発言かもしれないが。
なぜなら、その法を成立させてしまうと、踏み倒すことで生計を立ててきた在日団体、企業が黙ってはいないからだ。彼らを怒らせれば、在日とべったりの日本政府の要人達のスキャンダルはすべて明るみに出るだろう。だから、提出されたとしても、彼らは全力でそれを阻止することになるだろう。
救いようのない構図だが、これを打破しようとする人間は今はブログで自分の意見をこれ見よがしに披露し、私たちの書き込みによって悦に浸ってしまっているから、この国で目立った革命が起きることはまずないだろう。
小学校の終わり頃に患った精神障害(かなり特殊な神経症のひとつ)に人生を狂わされた。あまりにも早すぎて、まだ碌に人生など始まっていない時期の発症だったから、狂わされたというのは少し妙な言い方かもしれない。ともかく、あるきっかけから発症し、その後の生活は全てその障害に支配されることになってしまった。対人恐怖症に似たもので、自分の内面を知られることや、人と会話することが恐ろしくて、何もできなくなった。たくさんいた友達を全て失って、親や兄弟との会話も難しくなった。なんとか学校には行っていたけど、ずっと一人だった。昼休みは図書館の一番奥の席で誰にも見つからないように時間を過ごし、授業が終わると真っ先に教室を出て、近所の公園に向かった。そこのベンチに座って何時間が過ごして、6時くらいになったら家に戻るという毎日だった。いちおう部活に籍を置いていたから、家にはあまりはやく帰れなかった。傍から見たら、完全な狂人のような生活を送っていた。
これほど苦しいのに、自分の精神に起こっている異常を誰かに打ち明ける勇気がなかった。臆病さに関しては僕の右に出る人はいないだろう。とにかく自分が情けなかった。他人とまともに顔を合わせて話せないほどの重症だったんだ。そんな風に、誰の助けを求めることもできないまま一人で悩み続け、中学・高校の6年間を過ごした。
高校の卒業間際になっても病気が治る見込みなんてまるでなかったから、将来どうしていいのか全くわからなかった。大学へ行ったところでうまくやっていけるわけはない。かといって就職できるわけでもない。結局、センター試験でわざと低い点数を取った。そうすれば親に何も説明せずに、浪人というモラトリアム生活を送れると思ったんだ。一悶着があったのだけど、どうしても大学に行きたいからと親に言って、なんとか浪人生活を送ることになった。
数ヶ月間、何もしない時期が続いた。金がかかるからと言って、予備校には行かなかった。図書館で勉強してくると言っては、誰もいない山道をぶらぶらと歩いたり、本屋で時間をつぶしたりしていた。でも、秋頃からはさすがにまずいと思って勉強を始めて、なんとか入試には合格した。とにかく実家から離れたかったからわざと遠い大学を受けて、親にはどうしてもここに行きたいからといって認めてもらい、一人暮らしをすることになった。
大学へ入っても相変わらず、他人との一切の接触を絶った生活を続けた。でも、ほんの僅かな救いは、中学・高校の頃に比べれば病気が少しだけ楽になってきたことだった。少なくとも一人で部屋にいるときは落ち着いて本を読んだり、ネットをしたりできるようになった。掲示板やチャットから、数少ない他人との繋がりが生まれるようになった。
やはり学校にあまり行けなかったから一留してしまったけど、それでもやがて3年の冬になり、就職活動をしなければいけなくなった。たんまりとたまった奨学金、そして今後の生活のために、働かなければならない。そうしなければ生きていけない。今までの学費で親の貯金は全て消えてしまったのだから。
似合わないリクルートスーツを着て、面接を適当に愛想笑いで誤魔化しながら、なんとか一つの会社の内定を貰うことはできた。今の僕は、その内定を貰った後、4月の正式な入社を控えている状態だ。2年遅れているから、24歳の大学4年生だ。
就職はしなければならない。そうしなければやっていけないのだから。でも、とにかく孤独過ぎて、どう言っていいのかわからないほど苦しい。自分を理解してくれる人なんて今後も現れるわけはない。ただの失恋の悩みや、人間関係の悩みとはわけが違う。自分は精神科医ですらほとんど知らないほどの特殊な症例なのだから。こんな自分の内面を理解できるのは、インターネットの掲示板でときおり出会う、かけがえのない同病の人達だけだ。顔も知らず、匿名で言葉を交わすだけの薄い繋がりではあるけど・・。
あまりにも世間知らずで、対人接触の経験の無い異質な人間が、健常者にすら過酷なサラリーマン社会に出ていこうとしている。障害者枠で働いていくことも考えたけど、それは自分のプライドが許せなかった。今まで読んでくれた人は気付いているかもしれないけど、精神障害を抱えながらでもやってこれたのは、ひとえにプライドが高いからだ。周りの人間になめられたくない、負けたくないとう動機だけでここまでやってきたのだと思う。
でも、本当はいまさらどんな努力をしたことろで、健常者とまともに戦えるわけはないこともよくわかっている。身体障害者にはパラリンピックという晴れ舞台が用意されているけど、健常者に混ざって生きる精神障害者には何もない。理解者もいなければ、助けてくれる人もいない。全ての困難を、何の賞賛も無いままに、自分自身の力だけで乗り切っていかなければならない。
これからも何度も何度も悩むだろう。絶望するだろう。その度に酒を力を借りて誤魔化し、一人でじっと夜明けが来るを待つんだろう・・。