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2012-12-14

http://anond.hatelabo.jp/20121214193732

貧富とは、富める者が居るから貧しい者が出る。

貧しくなった所があるならば、裕福になった場所がある。

富める層、確かに企業経営者が富める層ではあるし、

今の日本では、貿易関係が富める部類ではあるが、

その前に、私腹を大きく肥やしているところがある。

共産主義社会だったところにグローバル資本主義経済を受け入れ、

為替安だったメリットを餌に、外国から企業誘致をしている国。

しかも、本来であれば景気が上がれば変動為替外貨の値が変わるべきところを、

あえて実質固定為替相場制度を維持し続けている国。

外国の富をがんがん流入させ、ごく一部の人間だけに私腹が溜まっている国。

欧州経済危機も、リーマンショックも、しばらくすれば復活するかと思いきや、

この国と商いしている限り、回復の見込みは薄いんじゃないかと個人的に思っている。

固定為替制度をしている上に、関税も実質廃止が時代の流れ。

これじゃ、あの国に富は流れる一方で、手の打ちようが無い。

かといって口出しは内政干渉、大幅関税かければWTO違反。八方塞。

いくら日本国内で、インフレだなんだと内政努力しようにも、

貿易立国である以上、だだ漏れ箇所を放置する限りは限界がある。というか、もう限界

その昔、クリントン時代米国で、スーパー301条で国家財政赤字を一気に解消したように、

某国への200%関税で、一気に日本国家財政くらい解消させたいところ。

だが無理な話だろうな。その前に戦争ふっかけられる。

さぁ、困った。

2011-08-10

右翼とか保守は悪じゃないけど、損なんじゃない?

http://anond.hatelabo.jp/20110810041503

自分の国の国益を一番に考えることはいけないことなの?

なんで真っ先に国が出てくるかが分からないんだよねぇ。

普通、まず「益」を考えるべきは国じゃなくて、自分自分のまわりにいる家族、友人じゃないの?

自分自分のまわりが幸せになるその延長上に自らが所属するコミュニティの益が構築されて、そしてさらに何段階か経たその先に所属する国家の益が構築されるものじゃないの?


んで、自分幸せになり、且つ自分のまわりを幸せにするためには、

現在自分がいる社会ルールに従って、そこで「負けない」ことがまず最低限必要になってくる。

幸か不幸か、日本グローバル資本主義の影響を多大に受けてるわけで、

その中で「負けない」ためには、やっぱりある程度の寛容性を持ち合わせた方が何かと都合がいいし、効率的だと思うんだよね。

20年後とか、自分上司中国人みたいなこととか普通になってるかもよ?)


個人が何をどう思おうが自由だし、個人的に思想に善悪なんてないと思うけど、

「損得」はやっぱりあるんじゃないかと思うんだよね。。

ま、あんまり専門じゃないんで、いろいろ突っ込んでもらえると幸いです

2010-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20101031000611

私は前者のようにハードを作る仕事を復活させるべきだと思う。

Railsで行こう、のelm200氏も同じようなことを書いているが、無茶を言うな。

後者ソフト的な仕事は少人数しか携われないから。

おおざっぱにはそういうことでいいんだが、ハード量産品で勝負しようと思ったら、人件費インフラ費用を下げなきゃいけない。

やればいいじゃないか? 確かにやってやれないことはないだろうが、そんなことをしたら産業は栄えても国民生活水準が下がる。

「物作り」ってのは今や原則途上国仕事で、物作りを復活させようとしたら途上国生活水準が必須だ。

確かに、「物作り復活」で雇用の増加は出来るかもしれないが、それで全体の生活水準が落ちたら本末転倒じゃないか?

そもそも日本失業率なんて先進国の中じゃかわいいもの。無理に雇用を増やす必要があるとは思えない。特に先進国共通の病理である

若年層の高失業率については、日本優等生と言っていい低水準。

もはやグローバル資本主義下では、「繁栄・高失業率(=高格差)」と「みんなで貧乏」の2択が基本、という認識をしないと。

しかも日本都市国家を別にした先進国では例外的なくらい、失業率格差の双方が低い方に入る、という国なんだよ。

これからは、その美点は世界水準に近づいていくから段々悪化はしていくだろうけど、「みんな平等貧乏」を目指さない限り、

これを止める手段は存在しないよ。

2010-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20100613054924

ですね。

国際的な合意を持った枠組みがない限り、「反エコ方面で抜け駆けをした方がお得」なのが経済上の現実です。

経済学で言う「共有地の悲劇」の一種ですね。

国内エコに政策的に取りくむのは、それはそれで一つの理念ですが、「未来人類全体のために善いこと」をしたからといってそれに見返りがあるとは限らず、むしろ別の面でハンデになるかもしれない、というのがグローバル資本主義社会現実。その現実が「気に入らない」のは自分もそうですが、「間違っているから現実を変えろ!」というのは国際社会全体の話だけに単なる理想論。訴える力を持たないでしょう。

自分たちが経済面で損しても、エコを掲げて理想の方向に世界が変わるよう訴えていく

現実を変えるのは誰かにまかせて、世界の潮流において行かれない(非難されない)程度のエコ政策に止めて、経済を重視する

の二択の中でどう考えるか(現実にはその中間のどこかが妥当な政策でしょうけど)というのが、理想論でない現実的な議論かと。

エコ重視で新たな経済成長!」には「軍備なき安全保障」的なうさんくささを感じてしまいます。

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