「ユリイカ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ユリイカとは

2009-03-05

おれが現時点で一番嫌いなはてなー

おれが現時点で一番嫌いなはてなーってy_arimかもしれん。

あれほど性根の腐ったやつもそうそういねえといつ見ても思う。

ユリイカアニカン専属ライターとしてネットにでてこないようにしてほしい。

そうすりゃユリイカアニカン読まなきゃすむだけだから。

おまえらの一番嫌いなはてなーは誰?

2009-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20090203153914

近年稀に見る名文。誰かの代わりにユリイカに寄稿したほうがいい。

http://anond.hatelabo.jp/20090203032720

確かに似てるな。ユリイカゴミ原稿書いた奴と一応エリートコース突っ走ってる奴を同列に語るのは心苦しいが。

有村悠とデスノートキラって似てね?

有村悠とデスノートキラって似てね?

共通点

イケメン

・優秀な頭脳

学歴東大

信者が大勢いる

・熱狂的な信者がいる

・容赦ない行動

自演して演出

・先を読んで行動

・父親と敵対

・全ての行動が計画的な演技?(ボーダーライン?)

・「計画通り」とか有村もいいそう

腕時計デスノートの切れ端入れてそう

新世界の神になるとか素でいいそう

・去年第1部完(有村ユリイカへ キラ警察庁へ)

・第2部マダー?

違うところ

・この世界デスノートがない

・この世界はL・ニア・メロがいない

2009-02-02

少し読み返したが

には笑った。次から使おう。

とりあえず有村ユリイカとか言う前にMOSFET理解してこいよ。当然量子力学の基本ぐらいはわかってるよね?

http://anond.hatelabo.jp/20090202180234

有村は一応プロライターだぞ。ユリイカで記事書いてる。

ライターって文章下手でもなれるらしい。コネか。

2009-01-24

有村悠様の心

有村悠様の心 それはユリイカ 私たちを包む 高学歴伝統

有村悠様の心 それは東大 私たちを守る 強い既得権益

有村悠様の心 それは世渡り 出版社と歌う 学閥のさえずり

有村悠様の心 それは知性 私たちも欲しい 生まれつきの天才

有村悠様の心 それは特権 私たちを人文支配層へ導く 光る学歴

http://anond.hatelabo.jp/20090124013328

さわやかな有村悠のガイドライン

さわやかな有村悠のガイドライン

「ありむー」

「ありむー」

さわやかな有村信者挨拶が、澄みきったブクマこだまする。

はてなブックマークのお庭に集う有村信者たちが、今日天使のような無垢な

笑顔で、ありむーのブログブクマを付けまくっていく。

汚れを知らない片手に持つのは、ユリイカ聖典ユリイカ

汚さないように、高尚な青土社歴史を尊重するように、ゆっくり読むのがここでのたしなみ。

もちろん、有村悠は高学歴ブルジョアだからユリイカに連載が持てるなどといった、はしたない発言など存在していようはずもない。

はてなブックマーク

平成十六年創立のこのブックマークは、もとは高学歴ブルジョワジー政治力増強の為につくられたという、

伝統ある新月お茶の会東大分校である。

はてな下。駒場の面影を未だに残している高学歴の多いこのサーバで、東京大学に見守られ、

新入市民から古参市民までの一貫教育が受けられる高学歴ブルジョワジーの園。

時代は移り変わり、元号平成から改まっていない平成今日でさえ、

三年ブクマし続ければ高学歴純粋培養有村信者が箱入りで出荷される、

という仕組みが未だに残っている貴重なブックマークである。

http://anond.hatelabo.jp/20090122120756

2009-01-13

自分語り(了)

DENPA!!!行って来ました。

ここ5,6年で一番いいpartyでした。

掛け値なしに楽しい!!!

昼間っからやってるのも健康的(←こう書いて「おっさんに優しくて」と読む)で◎。

内容、客層、ロケーション、料金すべてに満足できる、レベルの高いイベント

ここまで"熱い"のは昨今ではかなり珍しい。マジおすすめ。ちょっとでも興味のある人は、一刻も早く行くべき。

とまぁ、ここまで書いて小休止。

自分は↓これ書いた人。

自分語り

http://anond.hatelabo.jp/20081223011009

自分語り(補)

http://anond.hatelabo.jp/20081223215937

自分語り(転)

http://anond.hatelabo.jp/20081224054429


「良いイベントだなー。こんな良いイベント久しぶりだー」と強く思ったのですが、

どうも悶々とするものがあり、それをこの2日間考えてました。

んで、marquee ( vol.70「次世代ファンタジー特集」に電刃の特集あり) とかユリイカ増刊号『初音ミク』とか買って

まだわからなくて悶々としてたんですが、主催者の"点と線"さんのブログを見つけてちょっとわかった気になったのでコメントします。

以下はアリバイとして書き残したい文章。もしかしたら読む人によっては不快に感じるかもしれません。

でも、申し訳ないけど気分を害すような文章をアップします。

(なので過去の『自分語り』で不快に思った人は読まないで下さい。)

ユリイカ増刊号『初音ミク』はほとんど読んでないのですが、

冒頭の佐々木渉氏へのインタビュー『生みの親が語る初音ミクアングラカルチャー』が抜群に面白い。

これだけで1,200円出す価値があります。今現在初音ミク関連の資料として最も価値のあるものじゃないでしょうか)

あと、情報量が多いのでメモ書き(コメント)でとどめます。

きちんと書いてる暇がないので。

では先に進みましょう。


//////memo//////

[前提]

テクノウチさんのブログ

自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説

http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html

自分語り134 - 「超ライトオタク」 で何が悪い

http://www.technorch.com/2008/12/134--.html

自分語り135 - 「超ライトオタク」 ゆっくりした結果

http://www.technorch.com/2008/12/135--.html


電刃主催者の点と線さんのブログインタビュー

ライトオタク

http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html

慟哭 (3)

http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/11/post-15.html

点と線インタビュー

http://besidegames.com/feature/024-01


竹熊健太郎大泉実成の「おたく/オタク」に関する対話

第3回 オタク密教オタク顕教竹熊健太郎氏との対話(1)

http://web.soshisha.com/archives/otaku/2006_1019.php

第4回 オタク自意識竹熊健太郎氏との対話(2)

http://web.soshisha.com/archives/otaku/2006_1123.php

第17回 オタクだけが残った〓竹熊健太郎氏との対話(3)

http://web.soshisha.com/archives/otaku/2007_1220.php


栃内新,左巻健男 編『新しい高校生物の教科書講談社ブルーバックス,71頁より

生命】 = 【生きている細胞】 - 【壊された細胞



[目次]

1.「慟哭 (3)」を読んで

2.装置(罠)-学校。その後は?

3.人類知に帰ろう

4.あなたはどう思ってるの?

5.ブクマコメに対する返答

6.参照元

------

1.「慟哭 (3)」を読んで

慟哭 (3)

http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/11/post-15.html


「あー、デュシャンか。理解理解納得納得」って感じです。

こう言ったら失礼(ネタバレ)かもしれないけど、電刃はデュシャン - ウォーホール - 村上隆のラインの音楽ファッションverなのねと。

この流れだとたしかに「○○論」は確かに意味を成さないっす。「意味を成さないように働く機構」という罠・舞台装置だから。

(便器語ってもしょうがないし。まぁ、人類史上もっとも「すごい」便器なんだけどw)

次のエポックメイキングな事象はアキバのホコテン復活の時かもーとか妄想しちゃいました。

(補)

レディ・メイド

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%89

「泉」に関する個人的な解釈は、「心のヒダへの"effect"を芸術とするなら、

便器にサインして展示会に出しても芸術作品として"アリ"なんじゃね?」と提案している作品

デュシャンは「美術を"effect"とするなら、『美しい』でも『怒り』でも『恐怖』でも何でもいいじゃん」と

美術芸術)」を「拡大解釈」できる素地を作っためっちゃ偉大な人。

(それまでは「真善美」を追求するファインアートが主流だった)

ファインアート

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88


ウォーホールは「キャンベル缶も芸術作品じゃね?」と言った人。

(余談ですけど、村上隆美術史的「文脈」をきちんと押さえてるから海外で評価が高い。

作品オタク的である・でないとかは関係ないです。

美術史をちゃんと踏まえ、理論として一貫しており、装置として実際に働くから「海外美術界」では評価されています)

村上隆「これも芸術作品じゃね?」

ガイジン「あー、そうかもそうかも!!」


(電刃は村上隆と違って商売っ気が今のところなさそうに見えるから、反発(というか"やっかみ")も少ないかもしれないですね。)

ニコニコではちょっとあるみたいだけど)

(補の補)

電刃は「オタク等々を拡大解釈させる"装置"である」と言いたいだけ。

電刃を「芸術作品だ」とは言ってない。「芸術作品」という評価は「解釈が拡大する運動性」において無意味


2.装置(罠)-学校。その後は?

ライトオタク

http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より

庵野監督が『気持ち悪い』でEVAを終わらせた心境から遠くはないです。

はてな民に対しては「気持ち悪い」かもしれませんが、

ホントは「パラレルワールド幸せそう?に学校に行くシンジ(を描いた庵野監督)」が正解じゃないですか?

(「気持ち悪い」は悪い意味ではない。↓参照)

映画エヴァンゲリオンの最後、「気持ち悪い」ってどういう意味

http://news4vip.livedoor.biz/archives/50801624.html

俺は電刃行って目の前ですんげぇかわいい長門がぴょこぴょこジャンプしながら踊ってて、

それ見ながらガン踊りできる幸せに絶頂を迎えそうになったけどなー。

現実」を住みやすくする手立ては、陳腐な言葉(≠「仲良く」)の中にすでにあるのになぁと。

アメリカヲチしようぜ!!」でいいような気がする。オバマ的な意味で。

(別にEUヲチでも構わない。もちろん)




3.人類知に帰ろう

ライトオタク

http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より

正直なところ、その違いって、テクノウチ君の考察のように参加者が共通してポジティブかどうかじゃないかなとw

それで終わりじゃ駄目なの?むしろw。

(中略)

僕や参加者がそうだと言ってるんだからそれでいいじゃないと思うんだけども、

それでも解釈知的経験の枠)の媒介を人は要求する社会学囚人なので、

僕なりにそれ用の答を探求してみたんですが、もとよりそんなつもりはないので嘘はつけないなあというどうしようもない始末。

庵野監督が『気持ち悪い』でEVAを終わらせた心境から遠くはないです。

関係ないけど社会学部だった僕の卒論は「社会学永遠に社会そのものを追い越せない」というものでした)

(中略)

これは大変ありがたいことですが、DENPAはアカデミックな言説に幽閉されるよりも、ただ好きなものを好きという幼児的で野蛮で原始的な本能に基づいているのも事実です。それもコンプレックスをいだかず堂々と。

僕らは学論の探求ではなくエンターテインメントの探求をしている。

不恰好でも感動はほんものだ。

そのシンプルな行為がこんなにもやりにくく、珍しがられる時代になってしまったんだなあ

と感慨深くなりました。


marquee(vol.70)「次世代ファンタジー特集」より

文字打ちが大変なので割愛。

アート引用者注:「学問」という意味多分に含まれてる)はどこに行き着くために問い続けてるかわからない」というインタビュアーの質問に対し

点と線さん、「ポジティブエネルギーと、それを循環させる回転運動がコンセプト」と返答

点と線さんが社会学フレームで世の中をすっきり見れるように、

若い子にもその手段をゲットできるような仕組みを作ってあげたいなーと思ってみたり。

年下の子に「学問楽しいよー。いや、むしろキモチイイとすら言える!!」としか俺はまだ言えてないけど。

カウンターカルチャーであるはずの「学問」が、「幽閉」する機構として働く日本の異常性がアレなんだよなぁ)

あと、社会(工)学とかの立脚点がないままのポジティブって、

学生運動とか創価学会とかオウムとかプロザックとかと変わんない気がします。

(「社会工学」について否定する意見もありましょうが、

最近は「死なない程度の失敗ならおk(死なない程度に納めよう)」という考えの人多し)

鶴見済ですら

リタリン規制はやむを得ない

http://tsurumitext.seesaa.net/category/3920016-1.html

と言ってるのだから、たとえ手詰まりでも「ポジティブであればいい」とは言わない方がいいんじゃないかなーと思ってみたり。

まぁ、アメリカとかEUは全然手詰まりに見えないので、「手詰まり」こそが共同幻想な気がしますが。

(個人的にはバンクシーみたいな手法が好き。愛しつつコケにする系。音楽だとBUBBLE-Bさんとか)

バンクシー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC

BUBBLE-B / アムロケット

http://jp.youtube.com/watch?v=54L9vxwpzN8

BUBBLE-B / バブルBのゆく年くる年

http://jp.youtube.com/watch?v=54L9vxwpzN8




4.あなたはどう思ってるの?

オタクって何?

オシャレって何?

大事なものは 何?過去現在未来歴史教養情熱創造破壊

疑問に疑問でお返しします。


----------------------------

5.ブクマコメに対する返答

「面白い」とか「なかなかのもの」とか言ってくれた人ありがとう

レスすると「キモイ」とか言われちゃうので、指摘してくれたコメにのみ応答。

自分語り』のブクマコメ

clonicle 言っていることはまっとうだが、「ジャンクフード」(=人によっては取るに足らない虚像)だと発言することでテクノウチ決断主義者に仕立て上げるのは悪質

決断主義」って言葉意味を調べましたが、よくわからなかったです。

購入厨」みたいな言葉

fuldagap「「ジャンクな物でも『おいしい』と感じる人が大半になったよ』って書いてあるだけだよ?」が微妙に誤読な気も。「化学調味料うめえ」じゃないかなーとか。総じて現役/引退オタク自己正当化合戦に見える

そうです。たしかに「化学調味料うめえ」なのですが、

化調まで抽象化しちゃうとかえって伝わりにくいかなーと思い「ジャンクブート」にしました。

(「化調」に対応するのが「ビート」だけになっちゃうので。音楽的広がりが欲しかったので「ジャンクフード」と表現しました)


自分語り(補)』のブクマコメ

fuldagap 「全員「アツイ」から、濃淡は金・環境時間の差でしかなかった」ってのは「アツ」くない人が見えにくかった時代がゆえの偽史だと思うなあ

「『おたく』とアイデンティファイされるようなファナティックな人々」が母集団ですから。

熱くない人たちは隠れキリシタン的に「おたくではなかった」。

y_arim ぼくの知る限り、昔だってヌルいひとはいた。だけど時間の経過とともに彼らは「卒業」し、一貫して熱かったひとのみが生き残った。すると「昔は誰もが熱かった」という言説が生まれる。「元ヌルオタ」をどう語るか?

(『タイムマシン』のエロイ的な意味で)幸せで「語り」に対してモチベがない人々に無理に語らせなくていいのでは?

ジャンプの発行部数見れば、「いた」ことはわかりますから。

mkd5 オタクおたく」のうち岡田氏の守備範囲が「オタク」となったってことかなあ/「(淡から濃に行かない奴は、そもそも「おたく」と呼ばれていない)」これがヌルオタなのでは

「ヌルおた」は言語矛盾引き起こしますが、「ヌルオタ」は新語なので好きに定義しちゃってください。

kanose 面白い。けど、ぬるオタ的なバッシングが昔はなかったかといえば、そんなことはないと思うなー。

ミーハーという言葉などで批判されていたんじゃないかと

竹熊健太郎氏との対話(1)』での解説が一番しっくり来るのかなぁ。

個人的には「ミーハー」ってバカにする奴を馬鹿にしてたので、

おたく全般」にまで広げちゃっていいのかどうかはまだ自分として決めてないです。

6.参照元

は文字数制限を避けるために↓こっちに移動。

http://anond.hatelabo.jp/20090115000935

おまけ

TRANCEジブリミックス集(修正版)【トランス

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1756156

フック

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%83%E3%82%AF

ギミック

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AE%A5%DF%A5%C3%A5%AF






(追記)

ああ、そうかそうか。書きたいこと書き殴ってたらレポ忘れてた。

"DENPA!!!"に行ってきたよ。

http://d.hatena.ne.jp/inumash/20090113/p1

[音]DENPA!!!には超ライトオタクはいたんでしょうか

http://d.hatena.ne.jp/republic1963/20090111#p2

[オタク]オタク!! DENPA!!! イエ!!!!

http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20090113/1231821064

お三方とそう変わらない印象。

3Fではアニソン流してカラオケノリでオイオイって感じ。2Fと3Fの交流はぼちぼち。曲や3Fの込み具合次第かな。

ロンドンナイトは行ったことないけど、普通ライブとか新宿で昔やってたグルービー・ロックキャラバンとかと相似。

僕は2Fで「普通に」踊って楽しんでました。

テクノウチさんの時間は、3Fのお客さんが大挙していらっしゃいましてまったく踊れなかったので、僕的には一番…w

NHKの方(ETVカメラマンさん)は「アンディー」かなーっとちょびっとヲチしてました。

(こっそり追記)

metamix   きちんとオーガナイズされてる良イベントだっていうのは分かったけど、

その先があるのかどうかをもっと知りたい/クラブピーポーには文化考証なんてどうでもいいんですよ。

要はその現場があるかどうかだから。

「その先」「現場」ってのがどんなものをイメージしてるかにもよるなぁ。

Dir en grey」なのか「RYUKYUDISKO」なのか「初音ミク/ニコニコ」なのか「third summer of love」なのか。

「超ライトオタク」や「越境」云々は主催者も意図してない(?)「バズワードでのプロレス」(@inumashさん)なんで、

どの層がたくさん「ひっかかる/ひっかかってる」かにもよるかと。

(まぁ、お客がみんな「かっこいい/かわいい」と書かれているってことは、

ちょっとキモ目の"いわゆる"「おたく/オタク」はあまりいないってことでもあるような気がするのはきっと気のせい。)

(昔に比べて非寛容な人が減っただけのような気がするのもきっと気のせい。)



(おまけその2。佐々木渉さん、かなりクールです)

佐々木渉】  三年くらいしたら「初音ミク?そんなのもあったね」で良いんですよ。(中略)

まあウチも営利団体なのでもしかしたらヴァージョン・アップ版とか出すかもしれませんけど(笑)

ただ、引くタイミングは考えないといけませんね。初音ミクにまで泥を塗って、

グダグダと退いていくようなやり方は、やっぱり不味いので。

ユーザーさんからも「『ぷよぷよ』を作った会社株式会社コンパイル)が辿った末路を、よく調べておいて下さい」という

有り難いご意見をいただきまして(笑)。良いこと聞いたなぁと。

ユリイカ増刊号『初音ミク青土社、17頁)



(独り言)

ディスコクラブライブハウスイベントホール使用料、全部「ハコ代」って言うよね。

2008-12-25

ありむーってそんなに非コミュ非モテばかりやってるか?

http://anond.hatelabo.jp/20081224163509

いつも不思議に思うんだが、何かにつけて「また有村か」だとか、「ごらんの有村だよ」みたいな言い草でありむーの記事を一笑に付す人居るよね。

俺の大学にも一人居たんだが理由を聞いてみると、新月お茶の会の例会で女の子キャッキャウフフしてたのが気に入らなかったらしい。それ以来モテコミュとしてレッテルを貼っているようだ。あの例会は確かに標準的非モテレベルではおかしなことをやってる(たとえばありむーが愛される理由の一つがイケメン自虐語りにある、といった自覚がありむーには無いことがわかる)が、イケメンがあのレベルまで掘り下げて非モテ非コミュ努力をしているのは俺からすれば賞賛に値するし、あんなイケメン合コンに居たら俺は安心して余りのお持ち帰りを努力する(俺のブサメンだと何とも無理だけど)。あのサークルについてここでどうこう言うつもりは無いので置いとくとして、俺が言いたいのは、なぜ人は著名非コミュ非モテの発言だと容赦なく辛口になり、ともすれば重箱の隅をつつくことに尽力するんだろうかということ。

モテコミュエントリを書いたらこれはひどいと評される世界がある一方、非モテ非コミュを100%再現して突っ込みどころの無い非モテ非コミュとしてなきゃ三流だと言われる世界なんだろうか。みんなありむーを超非モテ非コミュか何かと勘違いしてないか。ただのイケメンだぞ。

あめちゃんのCMじゃないけど、彼らにとってありむーはどうやら特別な存在らしい。No.1非コミュ非モテであるべきありむーの、ときどきかいまみせるイケメンコミュモテぶりが許せないんだろうか。ありむーに対する劣等意識根底にあることは間違いないとは思うけど、それにしても何の批評にもなっていない脊髄反射ブコメを見てると情けなくなってくる。威勢よく啖呵切ってる奴がいるかと思うと、そいつのダイアリーは大抵『ユリイカ初音ミク特集』を絶賛中だったりするし、あんな脊髄反射コメを1行書いただけで鬱憤が解消できるのだとしたら随分と人生楽にやっていけるだろうな。反論はできないけど、なんか気に食わないからとりあえず「有村イケメンが気に食わない」だとか適当に本筋とは別のところからダメ出ししときゃ気が晴れるっていうのもお手軽な精神構造だなぁ。羨ましいよ、「また有村か」って5文字書いておくだけで気持ちに折り合いが付くんだもん。俺の場合今年も一人でクリスマスなんだよ悔しくてSparking!

http://anond.hatelabo.jp/20081224082330

-----

まあ、人生イケメンな人の勝ちだと思う。

2008-12-24

今、ここにあるオタクの危機……でも、大丈夫

思うところがあったので書いておく。

オタク文化大勝利!!

http://anond.hatelabo.jp/20081220191940

それなのに最近なんだか様子が変だ。特にオタクを自負する人たちがおかしい。こんな素晴らしい状況に水を差そうと頑張っている人たちがいる。

「そんな奴らはオタクじゃない」「ゆとり」「ニコ厨」「ぬるい」と言ってせっかくやってきた人たちを馬鹿にして排除しようとしている。いったい何を考えているんだろう? さっぱりわからない。


この危機への恐怖を体現しているんじゃないかという発言を見つけた。DJ TECHNORCH氏のブログでのエントリー『自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説』への有村悠氏のコメントだ。

Yuu Arimura | 2008年12月23日 09:46 | 返信

ユリイカ共著者のぼくが申し上げるのもなんですが、どうにもついていけないというか肩身が狭いですね、こういう人々に対しては……。岡田斗司夫ロールモデルとして人生の半分を生きてきたぼくは、滅び去る種族なのかもしれない。


このコメントの「肩身が狭い」に全てが集約されているような気がする。「居心地が悪い」にも言い換えられる。

そしてこのコメントに対してDJ TECHNORCH氏は『もしよければ具体的に「肩身の狭さ」について教えて頂けませんでしょうか。』と返している。

この「肩身の狭さ」の理由を考えることがそのまま現在オタクの危機を炙り出すことになるのではないだろうか。

肩身の狭さは「秘密基地少年」に例えられる。

数人の気の合う仲間だけで作り上げた秘密基地。仲間以外に教えず秘密を共有しながら遊ぶのはそれはそれは楽しいだろう。

しかし、ある日少年秘密基地に遊びに行くと何故か基地を知らないはずのそんなに仲良くないクラスメートたちが基地内で遊んでいるのを目の当たりにしてしまう。

誰が教えたのか発見したのかはわからないが、クラスメートたちに知られてしまったのだ。この時やってきたクラスメートが「ここすごい楽しいな」と言ってきて素直に「うん!」と答えて一緒に遊べないのがオタクなのである。

「僕たちが作った基地なのに……」「僕たちだけの遊び場だったのに……」という思いが湧いてきて「盗られてしまった」と感じるのだ。

素直に一緒に遊ぶことができず、下手したらやってきた人間に対して楽しみを取られたと怨嗟の念を抱いてしまう。

このような反応をしてしまうのは非モテ非コミュ人間です。オタクコミュニティ非モテ非コミュの受け皿としての役割がありました。しかし、今それが崩壊しようとしている。

オシャレな人がやってくることによって「ダサくてもいい」という機能が失われ、きちんと異性と恋愛関係が築けている人がやってくることによって「恋愛できなくてもいい」という機能が失われ、美形な人がやってくることによって「ブサイクでもいい」という機能が失われ、コミュニケーション強者がやってくることで「話すことが苦手でもいい」という機能が失われる。

オタクには「遊び場」と「逃げ場」が同時に失われてしまうという危機がやってきているのです。

そう考えると誰よりも先に危機に瀕していた、いや常に危機状態にあったのは女性オタクの皆さんではないかとも思う。身なりを整えろ、女性らしく振る舞えという圧力は男性のそれの比ではないだろう。そして、実際に現れ始める身なりの綺麗さとオタク趣味を両立させる人間たち……未だにコミケなどに行くと「ださい」「もさい」女性がいるがこの危機をどう乗り越えたのか非常に興味がある(私の周りにも女性オタクはいるが、完全に男性オタクコミュニティに溶け込んでいるか、サブカル系しかいないのでサンプルにならない)。

それが「ボーイズラブ」「ドリーム小説」というジャンル誕生ウェブサイト引きこもり状態化と関連があるのではないだろうか、とも思ったがあまり詳しくないのでやめておく。

さて、タイトルの「でも、大丈夫!」は何の根拠もない希望的観測である。しかし、先人たちが「オタク文化」を発見し作り上げたように、これからの世代が新たなる非モテ非コミュの受け皿を発見してくれると信じている(それは「再発見」かもしれない)。

今、危機感を感じ肩身の狭い思いをしている人間コミュニケーション能力を磨いて迎合するよりも全力で新天地を探そうではないか。そう提案したい。

それが新たな文化の形成・発展に貢献すると私は強く信じている。

ところで今、一番危機に瀕しているのかは誰なんだろうかと考える。それはおそらく若い世代でありながら新たな潮流に馴染めず、新天地を探すような余裕もなくオタク業界に既に片足を突っ込んでいる人物……そう、有村悠氏(id:y_arim)のような人物になるんだと思う。

有村悠氏の今後の身の振り方は新潮流に馴染めなかったオタクライターがどうサバイブするかの優良なサンプルになるだろう。

有村悠が一番危ない。そのうちテロに走り出すのではないだろうかと見ていてとてもヒヤヒヤする。

2008-12-23

自分語り 

↓これに関して元おたくのおっさんより。

自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説

http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html

言いたい事はすべて

昨今のヤンキーオタクが急接近であるとか、オタク系文化とクラブ系文化の融合だとかいう話は歴史の蓄積なき忘却のなせる錯覚なのである。

●●さん、大恥かいちゃったね。でも無知は罪じゃないよ。学習しないことと、知っていることを人に教えないことが罪なんだ。

ライトオタク誕生していない。ぬるオタ歴史から抹消されている

http://anond.hatelabo.jp/20081222122907


と書かれているけど、ちょっとかいつまんで自分語り

名前消したのは、「歴史を知らない」ということの意味を一般化したかったから)

自分は昔から興味のあることにのめりこむタイプ

人付き合いよりも趣味時間を割くのが大好き。

なもんで、人からは「ネクラ」と言われていた時期があった。

んで、ある時期からは「マニア」と言われ、例の事件後は「おたく」と言われることが多くなった。

ところが、例のエルメスな本の後は不思議と「普通の人」になってしまった。「おたく/オタク」とは誰も呼んでくれなくなったのだ。

(まぁ、自分がいわゆる「萌え」というものにまったく興味がなかったので、呼ばれるチャンスがなくなってしまったという理由もあるんだけど。)

振り返ってみると、こんなニュアンスで言われてたように思う。

・外で遊ばないで家でなんかやってる人→ネクラ

マイナーなことにとっても詳しい人→マニア

コンパとかマスが認めるカルチャーに興味がなくて、漫画とか変な本とか読んでる人→おたく

使われ方

・「あー、君の事もっとネクラな人かと思っていたよ」

・「すごく詳しいね。○○マニアだね」

・「それっておたくが読むものだよね?」

呼ばれたことないけど、使ってるのを聞く感じだと

・「あの人オタクっぽい」

まぁ、以上の「オタ気質の呼ばれかたの歴史」を面白おかしく分析するのも可能なんだろうけど、

今日いいたいこととは別なので、「オタク」という言葉は変遷をたどった「魔法言葉」なんだよという前提で

↓これに関して

自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説

http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html

みんなわかっているはずなんです、語り足りない、語られ足りないのです。私はもっともっとこのジャンルに対する言説が読みたいです。

「足りない」と知っている人はどうかバシバシ書いて、そして出来れば人の目が付くところに載せて下さい。少なくとも私は強烈に読みたいです。

まぁ、ご本人がこう書かれているのであえて毒を。

簡単に言ってしまえば、DENPA!!!を面白いと感じるのは「若さ」という

「不可避の理由」によりバカだから、しょうもないものをありがたがっているだけだと思う。

(「若さ」ってのは、「歴史」を「知れない」からこそ発生する性質。つまりバカであることを避けられない)

(「若さ」は、「生まれてからの日数が少ない」という意味ではない。「青い」と呼んでいた時代もあった)

というわけで

オタク系文化とクラブ系文化の融合だとかいう話は歴史の蓄積なき忘却のなせる錯覚なのである。


----

TECHNORCHさんの大好きな

DENPA!!!というクラブイベント

は、<青年>が<鬼ごっこ>して「たのしー!!!超気持ちいい??!!」とか言ってるだけなんだよね。

そりゃ体動かすと楽しいし気持ちいいし、みんないると寂しくないよ。

でも、それをありがたがったり、高尚なものだと勘違いするのは止めといた方がいいよ。

DENPA!!!なんてクラブで踊ってわーわーきゃーきゃー言ってるだけのイベントなんだよ。

コスプレだとかオシャレとかガチとかぬるとかどうでも良くて、昔からあるただの"event"なんよ。

そう思っていたほうが、人生に失敗しないと思う。これは自分の体験から言えることなんだけど(タメイキ

んで、↓これ。

DENPA!!!のこの現象は東さんの言葉を借りれば「動物化」の典型的フロア進化


はてな」周辺でよくある『動物化するポストモダン』の誤読なんだけど、

あの本って単に「ジャンクな物でも『おいしい』と感じる人が大半になったよ』って書いてあるだけだよ?

例えていうと、「王将関西人ソウルフード」とか「二郎はもはや二郎という食べ物」とか

マックまじでうまい」とか真顔で言っちゃう人が増えたねぇ、って書いてあるだけ。

いっけんかっこよく聞こえるし、「データベース」とか確かに新しい概念もあるから良書なんだけど、

「消費する側」が自己肯定に使っちゃうとアウアウだよ。

まぁ、言論な人に触ってもらえて嬉しい気持ちはわかるけど、ほどほどにねって。

東浩紀さんはユリイカ紙面上で


以下は東氏に対して。

東氏は「保守論壇ネットを気にするから下らないと思って離れた」とかどっかで言ってたような気がするけど、

それはそのままユリイカ(笑)に当てはまることなんだよね。

大人なんだから、発注されても「くだらない」ものはちゃんと「くだらない」と言わないと。

----

その感想は「楽しすぎる!もう普通クラブイベントなんて行けない!」なんだこの現象は、

私は回を増せば増すほどDENPA!!!という現象が面白くなってきました。


まぁ、クラブ楽しいと思えるような若い年齢の人が勘違いしちゃうのもしょうがないちゃしょうがないか。

「新しい何か」が生まれる時期には確かに「何か」がある/あったからね。

ココ・シャネルとかパンクスとかレイヴとかさ。

んでも、その「何か」つまり「萌芽」は、「余波」になっちゃうと、それは単に「消費の対象」でしかなくなる。

「数」が増えると「質」が変わるんだよ。「普通」になっちゃうの。

たとえば、

バーニングマン

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3

で裸になることは確かに意味はあるよ。

でも、「みんな」が実際にフェスティバル外(社会生活)ででも裸になっちゃったら、

それは単に「服を着るより裸の方が気持ちがいいから」でしょ?

んで、DENPA!!!の話に戻るけど、TECHNORCHさんらがやってることは「もはや」単に「クラブ」というありふれた場所で

オタクっぽい」とすでに了解された格好で、「ビート」に乗せて乱痴気騒ぎしてるだけだよ。

まぁ、無理にでも意味を見出そうとすれば、いろんな解釈は可能なんだろうけどね。

(「言葉遊び」に関して、大塚英志氏とかは「シャレがマジになった」って後悔してたけどね)

(「ロフトプラスワン鳥肌とか雨宮とかをヲチするのが楽しい」と友人に語ったところ、「変な人」と言われた。もう僕は「おたく」ではない)

2008-12-22

ライトオタク誕生していない。ぬるオタ歴史から抹消されている

思うところがあったので書いておく。

ライトオタク誕生

http://d.hatena.ne.jp/tokigawa/20081215/p3

僕の実感としては、本格的にオタクライト化というか、オタクじゃなかったオサレ人達がいっぱいオタク文化に参入して来ているんだなと本当に思うようになってきた。


記事では『ユリイカ』の初音ミク特集の記事から濱野智史id:shamano)やテクノウチの発言を引用し、今までオタク文化に見向きもしなかった「オサレ」な人間たちがライトオタク文化を消費し始めていると書いてある。この記事だけでなく色々な場所で言われ始めた言説だ。

このように言われていることに一抹の危機感を感じたので本記事を書くことにする。

タイトルで「ぬるオタ」と書いたのは正確には間違っている。要するに「オタク文化も消費するサブカル系の人間」のことだ。しかし、オタク文化にどっぷり浸かっているガチ人間からはそういう人間が「ぬるい」と捉えられるのは事実である。

まず、オタク文化ライトに消費する「オサレ」な層がいきなり現れたかというのは間違っている。急に出現したかのように感じるのは錯覚だ。

このように横断的に消費していく層というのはずっと以前からいる。急に出現したかのように感じるのはやっとそのような層の声がインターネットなどによってオタクにも届くようになっただけであり、または可視化しただけだ。これは「オタクはやめることができない」という勘違いにも言えることだが、今までオタク歴史を紡いできたのがガチオタクだけだったために、ライトに見える横断的な層というのが無視されてきたのだ。それによって近年、急に現れたかのように見える。だけど、ずっとずっと前からいたのだ。

例えば、クラブイベントを消費する層がオタク文化に流入してきたという風に書かれているが、テクノというのはかねてからオタク文化親和性が高かった。

それはテクノポップの始祖・YMO細野晴臣ゼビウスサンプリングして『ビデオゲームミュージック』を製作したように、特に日本においてはゲームミュージックが源流にある。あの中田ヤスタカだって渋谷系音楽からの影響は否定するがゲームミュージックは素直にリスペクトする。それほど大きな存在であり、ピコピコに魅入られて音楽キャリアゲームミュージックから始まっている人間は多い。

それゆえ、オタク文化への親和性は高く、90年代初期においてもアニソンアイドル歌謡テクノリミックスして遊ぶことは当然のようにあった。

そうでなくてもテクノ界隈の人間宅録という手法がオタク気質に合っているなどと言われりしてオタク的な人間が多い。日本最大のクラブイベントWIRE』を主催する石野卓球根本敬を語りガンダムネタにしキャシャーンOPカバーした。テクノ音楽の輸入に貢献した人間からしてこうなのだから後に続くものは推して知るべしである。

イベントだけをとってもDENPAの前にはコスパ存在するし、ナードコアだって存在した。ニコニコ動画界隈で吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』をリミックスして遊ぶのが流行ったが、その十年も前に『レオパルドン』というアーティストサンプリングネタとして使用し『NO DISCO CITY』という楽曲発表している。クラブでは既に吉幾三を聞いて踊り狂っていたのだ。

ここら辺の歴史が忘れられかけているのもすべて「語る人間の不足」が原因である。

もっと言おう。同じように言われるオタクDQNが急接近しているというのも間違いである。今でこそまったく違う存在として認識されいてるがその原風景では学校内で異端視されるものとして同じであったし、ずっと親和性は高かった。

ゲーセンは不良が行くところ」という言葉が参照される際、カツアゲなどがエピソードとして語られることが多いが不良がアーケードゲームに昂じていたことを忘れてはならない。それにオタクと同じように漫画を読み続けていたのも不良だったし、マイナー洋楽に聞きほれてバンドを始めてしまうのも不良だった。不良はずっとサブカル的なものを消費してきたしオタクとは身体性は違っても嗜好性は近かった。

バンドマンには特撮オタクアニメオタクが多く甲本ヒロト大学生になっても特撮を見続けていたし、YBO2は『太陽王子 ホルスの大冒険』をカバーした。

特にヤンキーというのは語る人間が不足しているので歴史はおろかその生態すら満足に語られていない。現役のヤンキー言葉を丹念に聞き続けている岩橋健一郎という人間もいるが彼の活動がまともに耳を傾けられたことはない。

漫画だってずっとずっと広い層から読まれ続けていたんだ。大友克洋を代表とする漫画郡が「ニューウェーブ系」と言われてサブカル系の人間も消費していたし、ヤンキーには上條淳士がいたし、ギャルには岡崎京子がいた。

「超ライトオタク誕生」などと書いてしまうのは早計だ。

昨今のヤンキーオタクが急接近であるとか、オタク系文化とクラブ系文化の融合だとかいう話は歴史の蓄積なき忘却のなせる錯覚なのである。

2008-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20081215112527

アリムラ!アリムラ!アリムラ!アリムラぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!

あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!アリムラアリムラアリムラぅううぁわぁああああ!!!

あぁブクマブクマブクマブクマスーハスーハー!スーハスーハー!いい自意識だなぁ…くんくん

んはぁっ!有村悠たんのよくわからんタイトルでそれをp_shirokumaにつっこまれあまりにもそれがドツボだったので変更しようとしたけど自分をかっこよく見せたい見せたがる見せることしかできないから

普通タイトル日記を考えられなくてとりあえずそれができないなら2chオタネタに迎合or性欲という言い逃れを選んびその場しのぎのタイトルとして「らめぇ」に直したけど

やっぱり自分をかっこよく見せたい見せたがる見せるのをやめられないから誰もがその話題を忘れたころにタイトルをそっと変更したダイアリー

投稿された流行ネタにとりあえず迎合してみましたー的な記事タイトルブクマブクマしたいお!ブクマブクマ!あぁあ!!

間違えた!はてブはてブしたいお!はてブはてブ!記事記事はてブ!めたブめたブ…きゅんきゅんきゅい!!

ユリイカ初音ミク記事の有村たんのはしゃぎっぷりかわいかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!

自分パンチラ絵も掲載されて良かったね有村たん!あぁあああああ!かわいい!有村たん!かわいい!あっああぁああ!

ブクマ毎日更新で嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!!

ぐあああああああああああ!!!ブクマなんて現実じゃない!!!!あ…ダイアリーはてなハイクもよく考えたら…

ア リ ム ラ ち ゃ ん は 現実 じ ゃ な い?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!!

そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!株式会社はてなーぁああああ!!

この!ちきしょー!やめてやる!!現実なんかやめ…て…え!?見…てる?プロフィール有村ちゃんの写真が僕を見てる?

プロフィール有村ちゃんの写真が僕を見てるぞ!有村ちゃんが僕を見てるぞ!やたらと頻繁に更新される色補正かかりまくりプロフィール有村ちゃんの写真が僕を見てるぞ!!

はてブ有村ちゃんが僕にidコールで話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!

いやっほぉおおおおおおお!!!僕には有村ちゃんがいる!!やったよdankogai!!ひとりでできるもん!!!

あ、はてなハイク有村ちゃああああああああああああああん!!いやぁあああああああああああああああ!!!!

あっあんああっああんあヒナギク様ぁあ!!ク、クギミヤー!!(適当に誰か)ぁああああああ!!!(適当に誰か)ァぁあああ!!

ううっうぅうう!!俺の想いよアリムラへ届け!!東大新月お茶の会有村悠へ届け!

2008-08-30

誰も知らない

是枝の「誰も知らない」青山真治の「ユリイカ」は、当時としてはあまりに時代を狙ってるセンセーショナルな感じがしたけど、今思うとその場限りでない問題をきちんと提示してたんだな。

さっきwikipediaで調べたら、主演男優賞しかカンヌではとってないらしい。タランティーノ柳楽優弥の表情にやられてしまったせいだとはいうのだけど、結局は是枝の撮り方がうまかった。役的に彼は表情を捉えられやすいポジションではあるけど、あの作品はお話としては悲しいというかビミョーなはなしなのに、映像にするととってもきれいっていう、撮り手のやりきれないディレンマに意義があると思うんだよな。あの現場はうちの近所だったから具体的にわかるんだが、あの桜をあんなに印象的に撮るなんてすごい。(しかも近場にもっと桜の名所っぽい公園があるのに、都道沿いの街路樹を大写しにするなんて。)

ちなみにあの姉妹が遊んでる公園は、2,3年前の大雨で浸水してしまった。都内なのにね。

ユリイカもそういうディレンマをもってると思う。だからこそ3時間もあるのだと。

ビミョーな気持ちにさせられるけど、美しすぎて何度も見たくなる。だからこそ泣けるのだな。

そういえば、北野HANABIもそうか。「アキレスと亀」はたぶん、北野の中では営業よりも賞取りにかけてる映画だろうし、期待していいのかな。期待したいなあ。興行成績なんて悪くってもいいじゃん。どうせDVD化して、著作権保持期間で子供たちに富が行き渡るんだろうし。それがくやしいなら、ファンド作って、NPVを先に回収してもいいしさ。そういうロングタームで見れば、マニア層に指示され続ける作品は必ずしも商業ベースに乗らないわけじゃない。著作権ってのを認めれば。

2008-02-24

「4ヶ月、3週と2日」で超憂鬱になりました。

タイトル映画を見ました。

一番新しいカンヌ最高賞のやつ。

まだ公開されてない(3/1から渋谷で見られる)。試写で見た。

ネタバレになるかもしれないので、内容などに触れた部分は消します。

本題は後半、20代前半女の自分語りです。


なんていうか…登場人物全員にイラっとして落ち込むいい映画でした。

知人はカメラワークを褒めていた。めっちゃ褒めていた。

私もそうだけど、素晴らしい日本映画カメラワークと似たような

意匠を込められていた気がしてそこまで斬新とは思わず…


ユリイカとか、小津映画とか、そっちのほうが個人的には好きなカメラの運び。

なんというか、日本映画カメラワークには呪いがかけられてる。

この映画カメラワークには、魔術がかけられてる。

でも、私がいう「優れた日本映画」のカメラの視点ってなんか「見守ってる」感じがするけど、

この映画カメラワークは「見張ってる」感じがしました。ジトッとした視線というか。

そこが、チャウシェスク政権下のルーマニア云々…をリアルに再現していて云々…で、評価されているんだろう。わかるよ。

お話自体もすごい悶々としてて、どれだけ問題をクリアしても目の前のモヤが晴れて来ない感じの話でした。


これで良かったのか?悪かったのか?ジャッジしてくれる人もいないし、人に話すべきことでもない。

自分の責任引き起こして自分だけで解決すべき、なのに、愛すべき人を悪い形で巻き込んでしまう。

でもこの背負っている「現状」は、巻き込んだ人たちについて後悔したりリカバリーしたりする余裕も与えてくれない。

どんどん追いつめられていく…

現状打破のために少しずつ世間や法から脱線していく…

戻れない所まで来てまわりを見渡したらひとりぼっちだった…

なんというか、映画版プチ「闇金ウシジマ君」を見ているような…

この映画は闇金の話でも、主人公に何の問題もないんだけど…

ちょっとした判断ミスで何かが変わるあたりがなんかそっくり。

気になった人はぜひ見てください。


加えて、私の今の状況にもすごく似ていてすごくイヤな感じでした。

取り繕っているわけでもない、とりあえずなるべくいい手段をとっているつもりが、どんどん悪くなっていくような…


私は、あまり自分が何をしたいかわかってない。

先日、職場の直属の上司に「あなたが何をやりたいと思ってここにいるのか、わかんない。

ただ『ここにいるだけ』のように見える」と言われた。

全くその通りだと思う…。

やれる範囲のことをやってお金を稼いでいるだけと言われればそうですとしか言いようがない。

私はただ軽作業をしてお金をもらって食いつぶしているだけです。

すみません。

でも私は今は出来ることをやるしかない。借金が150万ぐらいある。

それは家庭の事情でどうしても家を出なくてはいけなく、一人暮らしするにあたり背負ったものが焦げ付いたのだ。

ここでの仕事は当面、あと1年弱はやらなくてはいけないだろう。

貯金もしたかったらもっといなくてはいけないかも。

要するにお金のために働いているので、やりたい仕事だろうがやりたくなかろうがとにかくやらなくてはいけない。

幸い、私の仕事は割がいい。風俗関係では全くないが、マトモな感じではない。説明しづらい感じ。

まぁまぁ華やか。華やかで楽で割がいい。周囲から見たらさぞムカつくと思う。

実際「うらやましすぎるから」という理由でマイミク切られたこともある。何じゃそりゃって思ったけど。

その仕事をもう数年続けている。


「あーそーだよ!じゃあ私がやりたいことはここにないのでさようなら!」と言えない私もいる。情けない。

ついでに言うと仕事なくなるのやだから言うつもりもない。情けない。

その目的があれば、それに向かって一直線に進める自信はあるけど、進みたい道がない…

どうやって道を探せばいいのかもわからない…

ただ、今わたしは出来ることをやっていって、そこで得た何かを自分が好きなことにこつこつとつなげて、

同時進行でやっている勉強といつかリンクする日が来るかもと思っているぐらいだ…

上司(厳密には上司ではないのかも、クライアントだ)には

「じゃあどうしろと言うんですか、やめればいいんですか、ここにいてはいけないんですか!?

私は今やりたいことをおおっぴらに流行っていないけど、公言せずに自宅で勉強をしています。

借金もあって自宅で勉強するぐらいしか出来ないけど、したいことに向けて頑張ってます。

こういうことを四六時中言って回らないと納得しませんか?」と言ってしまった。大人げない。

上司は困っている時はアドバイスが欲しいタイプで、私は「困ってもコトはなるようにしかならない」ので、

応援してほしいタイプ。要は、基本的にわかりあえないタイプ


でも実際私には全くどうしていいのかわからない。

「どうか今は見逃してください」って言うぐらいしか出来ない。

(↑それも結局は言わなかった。かっこわる。)

ここ2年ぐらい、こんな感じでずっと五里霧中だ。

「ここにいる人は、みんなやりたいことを見つけてここにいるから、

そうじゃないあなたみたいな人は、人として下に見られ続けるよ」とも言われた。

そうだろう。そうじゃないって言う人もいるだろう。

でもこの人はずっとずっと私がやめるまで心の中でひっそりとそう思うんだろうなって思った。

一番近くの人にそう思われているのは辛いね。

仕事さぼってるわけでもなんでもないのに、人として見下されるのはキツいです。


私には自信のある能力とか、才能とか、そういうのは全くないと思う。

全般において全く自信がない。何かにぶつかる勇気もそんなにない。

出来るのは何かに感動するのと人に少し心を配って優しくするぐらい…。

でもそれでご飯が食べられるわけでもない。

だから、運良くもらえた今の仕事をこなしているだけなのだ。

頼む世界よ。もう少し待ってくれ。

150万を返せばもう少しは動ける。それまで勉強もちゃんとするから。許してください。

お願いします。仕事の割に稼いでるとか言われても困ります。クライアントに言ってください。

ただ単に、その値段で振ってきただけなんです。

最近出来たクライアントはたまたまそのポストに穴が空いたときに、私の顔見て気に入ったから振ってきただけなんです。

採用なんです。ほんとすみません。でも仕方ないんです。

ちょうどその時たまたま余裕あったから仕事受けたんです。それだけなんです…。

私が誰かわかった人、居ないと思うけど、わかっても知らないふりをしてください…

2008-02-11

われ発見せり

われ発見せり

社会システム論と物象化論

金田智之

 かつて真木悠介が『現代社会の存立構造』においてサルトル廣松渉を踏まえて指摘していたように、疎外と物象化は労働の出来事なのではない。一般的等価物としての貨幣への物象化とは、貨幣経済としての資本主義、そしてその下で生じる労働疎外という現象の別の名なのだ。この両者の根底には、紙幣への物心的崇拝が潜んでいる。

 ところで、二クラス・ルーマンによれば、近代社会とは社会的機能の機能分化が徹底して行われた社会なのだという。この徹底した機能分化により、教育政治経済、法、宗教などなどといった機能システムはそれぞれ他の機能システムとは無関連に自律的に作動するようになった。また、こうした特徴を持つ近代社会にとって、「社会を維持すること」とは「コミュニケーションを維持すること」を意味するようになる。そして、このコミュニケーション接続にとって重要な鍵を握るのが、コミュニケーションメディアと呼ばれる特殊なメディアなのであった(主なものとしては、経済システムにおける貨幣や、家族システムにおける愛などなどがある)。もしルーマンの言うように、現代社会が機能分化した諸機能システムと、その内部におけるコミュニケーションによって特徴付けられるとするなら、私たちはもはや物象化と疎外についても、それを経済領域だけに留めておくことはできない(また、当然ながら、経済領域は「土台」なのではない)。したがって、疎外/物象化論はその他の機能システムへも敷衍される必要があり、それぞれの機能システムにおけるコミュニケーションメディアにおいて疎外/物象化が論じられなければならない。たとえば、「愛」をめぐっては、そこからの疎外として「非モテ」が論じられているが、しかしこれは「愛」というメディアへと関係性の価値を物象化、物神化しているがゆえに生じる議論なのだ。多極化/疎外状況を捉え、象徴的メディアへ批判を加えること。それが今なお可能な「唯物論」だろう。

編集後記 今回の徹底議論のタイトルにある「スカラベ」は『マルドロールの歌』に由来すると同時に、等しく『中島らも列伝』に依拠する。太陽をころがして地平線に消えたスカラベは、暗闇のトンネルを抜けて、今はまたここにいる。永遠の不断製。生者と死者は分かたれず、反転されたパースペクティブにおいて過去はそのままで未来だ。※中島らもという作家は他者を知らない。彼に語りかけられる言葉は彼の言葉であり、またそれは私の言葉として偶然に開かれるページに飛来する。だからこう言おう――「私はスカラベは知らない。そして知っている。」※特集にあたって多大なご協力を頂きました中島美代子氏に感謝します。(Y.S)

ユリイカ 2月号 第40巻第2号(通巻547号)

2008年2月1日発行

編集人・山本

発行人・清水一人

発行所・青土社

101??0051東京都千代田区神田神保町1??29市瀬ビル4階

電話編集03??3291??2806/営業03??3294??7829

印刷所・ディグ/方英社 製本所・中條製本

ISSNS 1342??5641

定価・1300円(本体1238円)

2007-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20070622010035

そのうち「ユリイカ!」って叫んで全裸で走り出すんだろうな。

いい話だなぁ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん