2009-02-03

教授回診

その年、僕は体を悪くして数週間の入院を余儀なくされていた。

重病ではなかったため気楽な入院生活、とはいえ検査検査で結構忙しい毎日だった。

入院から数日して、教授回診があった。僕はドラマ映画教授回診シーンしか

知らなかったので、いかにも偉そうな教授が大勢の医者を引き連れ、

患者の前で担当医を怒鳴り散らす、みたいなものを想像して少し緊張して待っていた。

おはようございます!」突然の挨拶に驚いた。大声ではないが腹に響く声。腹に響くが爽やかな口調だった。

ここ数日、いや数年聞いたことのない挨拶だった。

決して、沈黙ではないというだけのバイト君が発する小声の「おあようざいまーす」ではない。

決して、でかい声を出すことだけに価値を持っている体育会出身営業さんの「あざーす!!」ではない。

それは病人の弱った体を労る優しさと、病気萎えがちな患者の魂を力強い腕で揺さぶり励ます強さを

兼ね備えた、不思議な声だった。

「第○内科の○○です。よろしくお願いいたします!」

そういって教授は、ドラマと同じようにたくさんの白衣を引き連れて部屋に入ってきた。

初老紳士、と言っても短く借り揃えた髪と少し太り気味の体は生気に満ちていた。一瞬「中尾彬に似てるなぁ」と思った。

教授は僕のベッドに近づくと、まず担当先生とカルテを見ながら会話をしていた。

内容はよくわからなかったが、いくつかの質問が交わされた。概ね担当先生の方針は間違っていないようだった。

僕の方を向いた教授はにこっと笑い、良く通るが低い声で

「この先生は若いけどよくあなたのことを理解しているからね、安心して先生の言うことを聞きなさい」と言った。

そして僕におなかを出すよう指示し、触診を始めた。太くて暖かい指だった。力のいれ具合なのか、姿勢なのか、よくわからなかったが、

とにかく僕の容体を「絶対に間違いの無いように見極めてやろう」という意志をはっきりと感じた。

教授は触診を終えると、僕の手に自分の手をしっかり添えて、顔を少し近づけ、笑いながら、

大丈夫、僕が見たところ問題はありません。」と言った。

その瞬間、オカルトなんかではなく、僕はなぜか、本当に病気が治った気がした。オーバーな表現ではなく、本当に体が楽になった。

教授は同室の患者さんにも同じような事を繰り返し、

「失礼しました。皆さんお大事に。」と、また良く響く声で言うと部屋をでていった。

隣の部屋で、「おはようございます!第○内科の○○です。よろしくお願いいたします!」という声が小さく聞こえてきた。

僕はほっとしてベッドに横になりながら、ぼんやりとその教授の事を考えていた。

その教授と僕は初対面で、しかも対面したのはほんの数分間、一言二言しか会話もしていない。

でも僕はあの瞬間、あのお医者さんに全幅の信頼を置いていたし、実際に体が楽になったのを感じた。

会って数分で、他人にあそこまでの信頼を得ることなどできるのだろうか?

それは僕があの医者を「教授=偉い先生」と見ていただけなんだろうか?

あの挨拶、声、仕草、どこに彼を信頼するに足る医者だと思わせるものがあったんだろう。

退院してしばらくしても、僕はあの教授の事が思い出された。

それ以来、僕は挨拶するときはできるだけ笑顔で、はっきりと挨拶するようにしている。そしてわかったことは、

挨拶は黙っていると失礼だから声をだす、だけじゃない。

僕がここにいて、あなたがここにいて、そしてお互い元気ですね。がんばってますね。存在してますね。

ということを確認するためにするもんなんだと気づいた。

社会に復帰して、周りは病人ばかりじゃないので、お医者さんのように力強く接することだけが良い印象を与える訳じゃないけれど、

でも挨拶だけは、僕が死ぬまでずっと持ち続ける習慣にしたい。

  • 近年稀に見る名文。誰かの代わりにユリイカに寄稿したほうがいい。

  • 大声ではないが腹に響く声→声を張るというのは訓練と気持ちの持ちようで可能 腹に響くが爽やかな口調→誠意を持つことで改善可能 良く通るが低い声→声質は持って生まれたものなの...

  • 書いてくれてありがとう。 昔、海外であいさつの習慣身に付けたけど帰国後のゴタゴタですっかりそれをわすれてた。今思い出したよ。 あいさつ、おれもやろう。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん