はてなキーワード: ノイローゼとは
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そもそも働くのが余計だと、日本人は思うようになる。貯金せずに使おうと思っても欲しい物がそれほどないから、そもそも働くのをやめてしまう。
これは経済学的にはものすごく正しい。使うあてがないのに働くのはおかしい。そんな人はノイローゼのようなものだ。昔の日本人は、そのようなノイローゼで突き動かされてきた。「働け、貯金しろ、そうすれば何かいいことがある」と言われて育ったが、たいしていいことはなかった。
そういう社会観念から、日本の若者は卒業した。これは偉い。わたしたち昔の世代は、日本の若者は怠け者になったと思っているかもしれない。だが、世界の歴史を見れば、世界で一番金持ちになって外国に金を貸すようになった国は、働かなくなるのが当たり前なのだ。
昨年の夏から休学していて今年も休学で、いつか退学するつもりだったけど踏ん切りがつかず先送りにしていた。
大学に戻る予定はないのだけど、やはり退学するということは怖かった。でもずるずる籍を置いていても意味がない気がして、辞めることにした。
大学行かなきゃ、学歴なきゃダメと考えて生きてきただけに、書類を郵送するまで辛かった。でも郵送してみれば気分が楽。
入学したものの学部があわなくて毎日辛かったが我慢して卒業しなきゃいけないと思っていた。
結局ノイローゼになって倒れた。
それが人生を左右すると思えるくらいに大きな出来事だった。
中学から私立に行かせてもらっていたのに中退してごめんなさいと泣いた。
自分のしたいことを見つければ折り合いが付くと思って、小さい頃から本が好きなので日本文学を勉強したいと思った。
通信制だけど、ピッタリの学科を見つけたのでそこに行こうと思った。
しかし薬の加減か分からないけど、本が読めない。パソコンでも文字が読めない。
頭に入ってこなくて混乱する。
本を読むことが楽しみだったのに絶望的な気分になった。
便乗してごめん。
時々「頭がよい」と言われる。主に職場や客先で。単なる社交辞令なんだろうけど、なんだか嫌な気分になる。それは自分の場合、学歴だけを見てそう言われるから。
学歴といっても単に受験のペーパーテストが良かっただけ。むしろ正直、頭は悪いと自覚している。仕事はできないし、臨機応変に物事に対応したりとか理解能力が低い←ここらへんがうまく説明できてないところとろか、まさにそうだろう。
例えば運転免許の試験も、社会人になってから受けたというのに一生懸命勉強しても1回落ちたレベル。
なんとか「そんなことないんですよ」の部分を理論的に説明できても、それが「謙遜」扱いされるのがストレスになる。で、実際なにかのきっかけで頭の悪さが「証明」(というか露呈?)できたりすると、「**卒なのに(そんなこともできない/知らないの?)」となるわけだ。最初から頭良くないって言ってるじゃん。
あまりに計算がひどすぎる。信じてる奴はただのバカ。年収200万で手取りが85万なわけないだろう。
まず、年収200万なら1人暮らしでも手取りは160万程度。(もちろん扶養者がいれば手取りはもっと増える)
年収300万なら、1人暮らしでも手取りは250万程度。(もちろん扶養者がいれば手取りはもっと増える)
その時点でまずはっきり言って「大ウソぶっこいてんじゃねーよ」。
一方、生活保護の1人暮らしは、月に、東京都内で最大13万程度。つまり年に156万円。
高齢者の単身世帯なら、都内でも8万円程度。つまり年に96万円。
それでも生活保護で暮らしたいなら、大けがをするかうつ病にでもなって、そっちを選べばいい。
大けがをしたり、うつ病になって自殺寸前の生活が、そんなに羨ましいか?
増田が例に挙げている、子供(幼児)2人+母親の母子家庭のケースは支給が東京で月に17万、地方なら14万。つまり年に204万~168万。
幼児2人抱えて育てて、月に14万ないし17万もらえる生活が夢のようだと思うなら、そちらを選べばいい。
どう考えても年収160万ないしは250万で悠々自適の1人暮らしの方が楽だと思うがな。
もしくは、専業主婦の嫁をもらって子供1人産めば、もっと扶養控除は増えて手取りが増えるし、嫁が子供の世話は引き受けてくれるわけだから、少なくとも、幼児2人抱えて育てて、月に14万ないし17万もらえる生活よりは楽だわな。
ちなみに、なぜか、暇で遊び暮らす母子家庭というイメージを植え付けようとしているようだが、日本の母子家庭の85%の母親は就職しており、先進国の中でトップレベルの就職率を誇っているが、それでもなお、母子家庭の平均収入は200万に届く程度で母子家庭の貧困は深刻化している。
もちろん、働けば生活保護は減らされるから、母子家庭においては「働いたら負け」は事実かもな。まあそれでも事実としてくそ真面目な日本人の母子家庭の85%の母親は働いているし、「子供2人抱えて17万(14万)」が厳しいことに変わりはない。
繰り返し言うが、「子供2人を育てれば、月に17万(14万)あげよう」と言われる生活がそんなに羨ましいのか?
子供は犬猫じゃないので、嫌だと思っても、ノイローゼになっても、一生育てる義務がついてくる。
俺はごめんだ。
こういう他人に気を使えるやつがノイローゼになる…
サービス残業も休日出勤も、終電で帰る事も、自分基準で考えれば「何故そんなに自分を犠牲にしなければならないのか」と常々思っていた。
有給休暇は使うなと禁止されるのも飲み、
理不尽な一切合切を飲んだ。
正直それはバカげていると思おうとそんな道理は当然上司には通るはずも無く、
「仕事とは辛いモノ。99%の辛抱がある中で、1%のやりがいを見つける努力をしろ」
なんて言われる始末。
努力て。
マナー、コミュ力、敬語、やる気、根性、空気読み、ストレス耐性・・・
これだけ耐えてるのに、まだ努力が足りないと申しますか。
「いつまでも学生気分でいるな!」という台詞まで飛んできたり。
そういうのが国単位でまかり通っていて、路頭に迷いたくは無いから誰もが文句を言わずに毎日我慢。
そして胃に穴を開ける人、ノイローゼになる人、精神科のお世話になる人、お亡くなりになる人・・・
日本の労働条件はどこもどうもおかしいと思っていた(が口に出せずにイライラしていた)そんな折、こんなサイトを発見。
http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/
今からでも英語を身につけて、
決して遅くないかもと考えさせられた。
自分は間もなく25歳になるが、周りに年の近い人はいなくて愚痴を吐く相手がいない。それがすごく苦しい。
もうひとつの問題は同期の知り合いが一人もいないということ。同期が800人もいるのに、友人と呼べる人が一人もいないんだよね(笑)。ここまで自分がひどいとは思ってなかったのでこの惨状にびっくりしている。
よくある通り仕事内容には全然興味が持てずつまらない、でも忙しい。誰にも軽口をたたけない環境で、一人ただひたすら働く。
でも周りの上司たちは優しい人ばかり。おそらく業務はしやすい環境にあるのだろう。
こんなんで、今の会社を辞めることはもったいないのだろうか。ふんぎりがつかない自分が、これまたいやになる。転職しても人間性が破たんしてるから、状況は好転しない可能性は高い。
このままただひたすら耐えて、自分の感情は押し殺して、自分をごまかし続けて、会社に寄生(?)するように生きていくべきなのかな。
僕は専門家になりたい。今の仕事は自分には絶対に向いていない。それだけははっきりしている。消去法的選択ではあるけれど、会計に興味がある。今の会社を辞め、バイトをしながら資格勉強という生活に入りたい。でもものすごく怖い。
最近は、とにかく心が苦しい。特に朝の気分の絶望具合は異常。ノイローゼとか鬱とか、名前がつくとこの苦しみを公的に証明できるように感じるから、一度病院に行ってみようかな。
えーと、つまり。聞きたかったのは、大きな会社に就職して同期が千人近くもいるのに一切友人ができなかった人はいますか?ということです。もしいるならあなたは苦しくないですか?ということ。
あー、頭が回らない。また平日の明日がやってくる。辛い。
女です。
学部は09卒。有効求人倍率が高かった時期にも関わらず、就職活動に失敗。無い内定。
可も無く不可も無いような大学のねーちゃんの私が、身の程知らずと言いますか。
どこか足踏みしていられる場所が欲しかった。
だから大学院に行った。表向きは「やりたいことを見つけたから」。
合格した時、親は喜んだ。一応。名前だけは無駄に有名な大学の院だから。
学費は親の金。ここの時点でもう親不孝。
「絶対いいところに就職するんだ」って
でも現実はどうだろう。
時間を上手くやりくり出来れば色々とやれる事が多いのに
ダラダラする。後回しにする。
その癖に、「認めてもらいたい」欲が強くて、
首を突っ込もうとする。でも何一つ上手くやりくり出来ないから、
結局下っ端の労働で終わる。
タスクが溜まっていく。
体力が無い。1回徹夜すると、その後1週間は体調が悪いまま。
甘いものが大好きで、でも甘いものを食べると
ならない。それにも関わらず飲み会が続いて太って鬱々とする。
インターンの書類も殆ど出せない、
勉強したいとも、遊びたいとも思わない。
院内の付き合いで精一杯。趣味もない。
ただ寝たいだけ。
口癖は「恋愛したい」
する気力もありません。
もう一生好きになる人も現れないと思う。
前の彼氏が一番好きだったから。
でも、自分が男だとして考えた時、私みたいな女は
面倒臭すぎて即対象外。当然でしょう。
だからこんな口癖も無駄の産物なんです。
取りあえず起きて動いて喰って糞して寝るだけの親不孝者。
気に入られないというか、理解してもらえない。
自分のやりたいこと、能力とは懸け離れた別のタスクを振られる。
でも、それを「嫌だ」「他の事をしたい」とは
口に出して言えない。
それを行ったら、もう院内で私の立場はないだろう。
何してんだろうほんと、。何のために生きているのかな。
何も返せないのに、親不孝者だ。両親60超えてるのに。
因みに、表面上は明るくて活発なキャラで通ってます。
そしていい人キャラ。
それに必死に応えようとしている愚かな私。
一貫性の無い文章から読み取れると思うんだけど、
だから大学院生なんて荷が重いんですよ、多分。本当は。
というか、この文章を書いている
この瞬間こそが無駄。というか
親不孝を更に助長している。
そして
私にとって何の生産性も持たない。
この文章を書いている間にも、こなせるタスクは多々あっただろうに。
ああ実家に帰りたい。今からでも帰ろうと思えば帰れるんだけど。
こんな糞女なのに、帰ったら多分
「いつも頑張ってるから、疲れているのよ。」
とか言うんですよ?
開口一番に。うちの親は。
私という親不孝者のために。
HIV感染ノイローゼになってしまいしばらく苦しんだのでレポート。
・HIVには1型と2型があります。日本国内では2型はほとんど症例なし。
・感染からウイルス検出可能になるまで時間がかかります(ウィンドウピリオド)
1型→NAT検査(高い・実施施設少ない)で11日(検査は11日目で可能だが結果出るまで1週間)
抗体抗原検査(保健所で無料が多い)の場合、8週間(東京の場合。地方で古い検査してる所は12週らしい)
2型→12週間
5月下旬:不安行為をしてしまう。ぶっちゃけ風俗です。その時点では特にHIVのことは考えなかった。
3日目:何となく不安を覚えてHIVについて調べてみる。感染初期症状として発熱や発疹、下痢が起こりうることを知る。
ちょうどそのときにお腹に謎の発疹が出来ており、完全にパニックに。すぐにでも検査を受けに行きたかったが
ウィンドウピリオドのため11日目まで検査を受けられない。この精神状況で1週間耐えるなんてと絶望的な気持ちに。
4-7日目:精神状態最悪期。感染していたら家族にどう話せばいいのか分からない。家族の笑顔を見るだけで胸が苦しくなる。
同時にWEBでHIVについて調べまくる。仕事なんて全然手に付かない。
8-11日目:調べていくうちに自分の行為では感染のリスクはかなり低いことが分かって、かなり気持ちが落ち着いてくる。
NAT検査は高いし(15,000円くらい)、2ヵ月後に保健所で検査受ければいいかなーと思い始める
12日目:原因不明の下痢と発熱。パニック再発動。今思い返すと感染ノイローゼのストレスで腸がやられたんだと思うが、
13日目:NAT検査を受ける。5ccの採血だけで5分で終了。結果は1週間後。
14-19日目:家に居るとどうしてもHIVのことを考えてしまう。捗りはしなかったけどなるべく遅くまで仕事をして
帰ったら即効寝て、少しでも一日が短く感じるよう、少しでも早く結果日が来るよう、それだけを考えていた。
下痢は止まらず。
20日目:結果が出るのは夜20時。電話で結果を聞くことになっていたが、もし陽性だった場合一人で耐え切れる自身が無かったので
病院の前で電話した。陽性だったらすぐ駆け込んで今後の治療について質問しようと思っていた。
病院に着くまでの電車の中での僕は、本当にひどい顔をしていたと思う。10分前から緊張で吐き気が襲ってきた。
結果は陰性。身体から力が抜けて座り込んでしまった。一応来院して医者から話を聞く。
「この検査結果は1型についてはほぼ間違いない。最後に仕上げとして12週後の検査を受けて下さい」と言われる。
今(23日目):2型の症例は本当に少ないようなので、とりあえず精神は落ち着いている。
これはキツイ。今までの人生でもっとも精神的にタフな3週間だった。仕事のプレッシャーなんてこれに比べたらうんこだ。
http://www.so-net.ne.jp/news/cgi-bin/article.cgi?gid=soc&aid=20090525-570-OYT1T00876
上のリンクは、インスパイヤされただけであんまり関係ないんだけど。
親の収入により受けられる教育の格差が生まれ、格差が固定化されるとか、
わけのわからん親の願望を押し付けられるとか、
子どもは親を選べないというのはまさにそのとおりで、親によりあまりにも後の人生が制約されてしまうわけで、これ以上の不公平は人生にそうそうないよ。
もう、子どもが生まれたら公共の施設に預けることを義務化してしまったほうがいいんじゃないだろうか。
これで、少なくともスタートラインは公平になる。税負担はむちゃくちゃ増えそうだけど、なに子どもを育てて教育を受けさせる負担さえ負わなくてよいのならそれこそ金なんか必要あるまい。
なぜ「義務化」でなければならないかといえば、単に赤ちゃんポストがあるだけだと、そこに子どもを持っていくことが倫理的にとてつもなく悪いことである、という社会的圧力が消えないから。
理想的には、みんな献精、献卵だけして人工子宮で子どもが作れたらいいと思うんだけど、今の科学はそこまで行っていないようで残念。
もちろん、そうなったらたくさん保育士さんが必要だけど、現在みたくモンスターペアレントに悩まされる必要もないわけだし。せいいっぱい気をつけてもたまにはうっかり死んでしまう子もいると思うが、現在そうなったら訴訟沙汰だけどそもそも親がいなければ訴えられることもないわけで。
http://anond.hatelabo.jp/20090505102502
皆さん、そんなに自分を殺してまで、価値観の合わない人と接してらっしゃるんですかね?
同期なんてこの後配属が決まれば近況報告位程度しか仕事では関わらないのでは?
少なからず友人が居れば良いと思うのですが・・・と、言うのはまだ青い?
価値観が同じ人と付き合える場面は、友人と会う場面だけです。友人は好みで選べるけれど、ほかの関係はたまたま偶然「クラスメイト」や「同じ職場の仲間」になるだけですから。
自分を殺す必要はないです。その同期の女性とのやりとりだって、「何か言うことないの?」だから相手だって困っただけで「おい、ちゃんと対面でもお礼言ってよ。礼儀でしょ」とストレートに突っ込まれれば、経緯がどうだろうと相手は「ありがとう」と言わざるを得なかったでしょう。私はむしろ、ほのめかすような言い方しか出来ないところを読んで、元増田は「自分を殺している」と感じました。自分を殺さないで、思ったことをストレートに言ったほうがトラブルは少ないし、もし、トラブルになっても「自分が言いたいことを言ったのだから、しょうがない」とあきらめもつきます。
同じ会社に定年まで居る予定でしたら、この後もいろいろと関わってしまうことを前提としたほうがいいと思いますよ。
で、それとは別に、近況報告程度にしか関わらない相手に、こんなに熱くなって「礼儀がどうの」と語る必要はないんじゃないですか? 向こうさんだっていい大人なわけですから、それまで培ってきた礼儀や常識があるのです。元増田が(なんだ、こんな人か)と思ったら、むしろ距離を取って(距離を取るというのは、相手から心理的に離れるということで、相手が何をしようと気にしないということです)、お金を返させたら、もう、挨拶程度しかしないといった対処法が、今後揉めないやり方だと思うんですが。「けしからん」と言いながら近寄っていくってのは、どこか変だと思いますよ。嫌な相手には近寄らなければいいわけだし、相手がどういう態度だろうと相手には相手の処世術があるのだから、ほっとけばいいと思います。
心通じ合う相手は、数人の友人がいれば充分です。というか、友人でもないのに、いちいち「私の価値観はこうです」なんて説明すること自体が、私はめんどくさいと感じます。
社会には、本当にいろいろな人がいるな、と思います。
いちいち、自分と違うといって気にしていては、ノイローゼになりますよ。自分と価値観が違う人間がいるから、世の中のバランスが取れて、うまく回っているんだ、くらいの気持ちでいいんじゃないですか?
私は礼儀はちゃんとしたいほうですが、意外と知らないマナーも多いので、間違えているときは「間違っている」と言ってくれる人がいると有り難いです。また、逆に「どうでもいいじゃない、そんなこと」と言ってくれる人も気持ちが救われるので有り難いです。
今も昔も芸大とそれ以外しかないんだね。建築だけは違うんだろうけど。
美大なんて職人になれる几帳面な奴か、あとそれ以外の脳内芸術家しかいないんだし。芸大以外の出身者だからなんとなく雰囲気はわかるんだけど。まったく生活力とかとは直結しないのがこういう学校と関係者たちのムーブメントだよね。大学入試程度のスキルならさ、結局のところ訓練でしかないわけなのに、そこにアーティスティックな幻想が抱かれていたりするわけだから始末が悪いよね。美大に行ったところで芸術家として世間が認めてくれるわけじゃないからね。芸大に入れる才能とアートで生活できる才能は別物なんだから ...もし才能があるとか時代にフィットしたアート感覚があるっていうならば、美大は履歴書に書くためだけに行けばいい訳だし。
もうなんていうかイラストレーション系の公募とか出しまくって賞とって名前だけ売っておけるなら高校ぐらいから活動しててもいいんじゃないかな的なところだと思うけどな。
○上さんのアートプロジェクトとか単なるハーレムだから就職先には厳しいでしょう。なんか一味に入ってしまえば成功しそうな雰囲気は昔からあったけどね。一夫多妻制的なけん制がダメで精神的にまいっちゃって自分探しに旅立つとかノイローゼとか多いし。っていう
ことを考えるなら、進路としてはあんまり勧められないかもなあ。言ってしまえば、世界で認められるトップバレリーナになりたいみたいなモンとあんまり変らないと思うんだよね。あとプロ野球選手になりたいとかJリーガーになるっていうのと同じ意識でいいんじゃないの?
まぁ、壊したっていっても倒れるとか血を吐くような話じゃない。咳が止まらなかっただけ。呼吸が出来ないのが唯一の苦痛。仕事が忙しくて病院に行けず、行ったころには治まっていた。精神的にも体も若かったと思う。翌年、レントゲンに影が写って。治っているから気にするなと医者に言われた。会社の別の職場に移ることにした。
しばらくして、風邪を引きやすくなったことに気がついた。風邪なんか引かなかったのに。しかも熱が出る。熱が出て節々が痛むってこんな感じなのか!と新鮮な驚きがあった。毎年のことになった。
次の会社の仕事は面白かった。自分でいろいろ工夫できたし、向いていた。天職かもしれないとおもった。だが、数年経って会社が大きく成長した後、軽いノイローゼになった。たぶんあれはノイローゼ。客ががんがん電話で怒鳴る。何とかしなきゃ。でも、会社が動いてくれない。自分だけでは解決できない。仕事に行かなきゃ、とベッドから起き上がると胃の中になにもないのに繰り返しえづいた。歩きながら、おえ、おえと、空っぽの胃を引くつかせた。
辞めた。
気がつくと、花粉症がとてつもなく悪くなっていた。単に年なのか、あるいは病状が進行しただけなのか、それとも過労がたたったのかは知らない。
3番目の会社では違う仕事に就いた。面白かったし、成果も出た。周りもそれなりに重く見てくれた。が、結局2番目の会社でやったのと同じ仕事に移ってくれといわれた。一応選択肢はあるような言い方だったが。
客先の窓のない部屋に詰めた。客は気を使ってくれたが、何とかしなければという気持ちと何ともならない状況で板ばさみになり、1ヶ月で気分がおかしくなってきた。高揚と落ち込みが交互に襲ってきた。やばいやばい、仕事を忘れろ、空を見ろと自分を鼓舞した。これはうつ病への道だと思った。こんなアップ・ダウンに俺の心がいつまでも耐えると思ったら大間違いだぞと自分に言い聞かせた。狭い部屋は薄い仕切り。隣の部屋で、別の会社から派遣されてきている若い技術者が、上司に「お前は熱意が足りない」と説教されていた。冷たい空気が吹いたかった。建屋の周りを何度も歩いた。冬の空は青かった。駐車場は外車だらけだった。みんな山のように払われる残業代を使う方法を、ほかに知らない。ものを買う以外の時間もない。意外なことに心より先に別の臓器が根を上げた。ある朝、上司に電話した。今日、二回発作がありました。たぶん狭心症です。あ、今三回目が始まりました。病院に行く間、2週間ほどは開放された。本当に開放されたのはずっと後だった。
しばらくして、定例電話会議をすることになった。電話会議では客先のある人から繰り返し怒鳴られた。怒鳴られない方法を考えながら必死で通訳した。まじで英語がうまくなったね。あはは。
ようやく落ちついて、これからはこんな目にあわないよう、客に迷惑をかけないよう会社をどうやって動かそうかと考えていた矢先、部門売却が発表された。社長いわく、「残っても居る場所はないでしょ」。売却先に移れば、数年に分けて都合数百万円くらいは追加ボーナスが払われると説明された。説明は口頭。日本法人からはとうとう紙切れ一枚出なかった。
売却前に辞めた。客先に挨拶に行った。たった一人、送別会を開いてくれた人がいた。本当にありがとうございました、どれほど助かったことかと言ってくれた。涙が出そうになった。
拾ってくれた今の会社には感謝している。激務もない。ひどいこともいわれない。だが、もう俺はおしまいかもしれないと感じる。前の会社でおかしくした体は、どうやっても最後の業務以前の水準に戻らない。どうでもいいことで心の平衡を失いそうになる。動脈硬化の兆候が出ている。「傷あとを残さない恋はないのよ」と、昔好きだった女性が言ったのを思い出す。傷あとを残すのは仕事も同じらしい。こんな心と体で、あと、5年生きられるだろうか。
別に長生きがしたいだけじゃない。単に家で待っている嫁に、苦しい思いをさせたくないだけだ。そんなささやかな願いも実現できないのが、俺の人生なのかもしれない。20年前社会に出たときには、こんなはずじゃなかったのに。
ウギャー!
またかよおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!
うちの庭はラブホじゃねーんだ盛るなら余所でやれ!!!
いやむしろハッテンバか?ハッテンバだな!?
なおさら余所でやれ!!!
毎年毎年ノイローゼになりそうだ。