はてなキーワード: やり玉とは
http://anond.hatelabo.jp/20100320235739
補足追記:
この文章は賛成派の行動(以下URL参照)から見てとれる腹の内を書いた文章です。
想像・藁人形と言われればそれまでですが、そういう人には「ではあの行動から他にどう解釈すれと?」と問いたいです。
賛成派の行動については、以下のURLをご覧ください、私が書く文章の基本ソースとなっています。
http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/09_28ki_menu.html
以後私が書く文章に「全てに当てはまる人」を想像するから藁人形なのであって「1つでも該当する人」であればそう遠い話をしていないと思います。
賛成派の人は今もう一度、以下の内容に該当していないかどうか、自分の心の奥底を覗いてみて下さい。
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実は最初から規制賛成派だった。
ではなぜあんな事を?
中立を印象付ければ、あたかもその最終判断が「正しい」と周りに思われやすくなる事を知っているから。
本音として言えば、あんな気持ち悪い物早く無くなってしまえばいい。
オタクは何時でも何処でも気持ちが悪い、規制して当然だ。(※1)
だが、そんな事は口に出して言えない、明らかな差別と批判されるからだ。
「子供を守る」のはほとんどの人が認める内容だ、ならそれに対立する文化だと思わせてしまえばいい。
反対派はどうせ何の力も無いオタクどもだから、認知障害者呼ばわりしても誰も気にとめる者はないだろう。
むしろ、反対派に回ると周りから認知障害者に見られるんだと思わせれば大成功。
そもそも、あんな文化にお金が回るのが気に食わない…あれさえ規制すれば他に金が回る(※2)
オタクどもの一部が醜い姿を晒すだろうから、それをやり玉にあげて「ほら、こんなにひどい人たちです」と世の中をリードしておこう。
それがあの文章、良くできてるでしょ? …最後にこうレッテル貼っておけば完成。
>「俺は悪くない。世間が俺を攻撃している。理解しない奴らは馬鹿」
本当はこんな事言ってる人なんてごく一部なんだけど、ここでは書いてる事が全てだからね。
効果抜群だ!
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…等と思っている人たちにどう歩み寄れと?
反対派は皆この本音を分かっているから、歩み寄らないんだよ。(※3)
こんな事わざわざ説明しなくても「規制の歴史」(※4)を見てきたらすぐ分かる事なのにね。
こんな事も分からないとは…残念です、本当に。
※1 対立が生まれる理由のほとんどがエゴである事が多い、皆が聖人君子ではない
※2 賛成政治家の本音
※3 反対派が拒絶の姿勢(認知障害者呼ばわり等の暴言)している間は、反対派も歩み寄り様がない
※4 日本を含む世界中の歴史を見ると、強引な規制は悪い方向にしか向かない事が良くわかる
(規制の歴史についてのソース書こうとしたら、書籍名いっぱい書かなきゃいけないので面倒…よって後で分かりやすく解説してるページを探して追記する予定)
たぶん今までもやり玉に上げられたことがあるかもしれないけれど、
毎度毎度下記のエントリー郡に対しはてブのブックマーク数が増えて幾たびにいたたまれなくなるので、釣りだろうがなんだろうが書きなぐる。
http://coliss.com/articles/build-websites/operation/design/3072.html
photoshopでゼロから作るウェブデザイン チュートリアル30選
http://www.designwalker.com/2009/07/photoshop-scratch.html
http://blog.creamu.com/mt/2008/10/45.html
http://dawble.com/2009/09/design/amazing-fonts.html
いいかげんにしろよと。おめーらどれだけ、マニュアルを求めているんだよと。
おかしーだろ。
なんとなくいいからで、ロゴを使って、なんとなくきれーだからでフォトショップで作って、それで胸はって作ったって言ってるのか!?
こうゆうものを見るたびに、きれいなものは作れるけども、中身のあるものは作れていけない奴らが増えていく感じがする。
「作る」ってことを至上のものにしたいとかは思わないが
人の作った物の寄せ集めを「作る」ということだとは思えない。
(コラージュは別)
それじゃあ、あんたのファンタジーがないじゃないかっ。
求めている人はいるんだろうけど、なんでこんなエントリー書くんだよ。
馬鹿でも糞でも真似でもいいから、最初一から作って見ろよ、って。
一から絵を描いて、フォントを描いて、それを取り込んで、PC上に置き換えていって、WEBデータにして・・・
これを書く奴らも書く奴らだ。
見てるやつは、あんたらを求めているんじゃねーぞと。
あんたらが持ってる外部のものを求めているだけだぞーと。
そもそも、情報を編集するなら、もっと高度に、面白く編集しろよ。
みんな疑問におもわねーのかなぁ。
怖くならないかなぁー。
という題名でヤフーニュースがあった。千葉県の不正経理のニュースですが、どうしてプレステをわざわざ取り上げるのか。ニュースを見ていると12万9000円もする卓球台を購入していたりする。いちいちゲームをやり玉に挙げる必要はないと思う。
不正経理をしたお金で飲みに行っていたかもしれないし、そっちのほうが金額的にも大きいにもかかわらず、どうして『プレステ』なのか。しかも、買ったのは青少年育成課で、買った理由が『ゲームソフトの内容を見るためとして』とある。
そのすぐ後に書かれていたのが
各課の金庫で保管していた現金・金券類が計4400万円あることも判明。このうち、業者のプール金から購入した金券類を換金するなどした現金は2300万円。通帳で残高を管理していた。
とある。こっちのほうがもっと重大に取り上げられてもいい。なぜ記事のタイトルが
なのか??
ではないの??プレステは悪くないよ。
引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090909-00001236-yom-soci
という題名でヤフーニュースがあった。千葉県の不正経理のニュースですが、どうして電子レンジをわざわざ取り上げるのか。ニュースを見ていると12万9000円もする卓球台を購入していたりする。いちいち家電をやり玉に挙げる必要はないと思う。
不正経理をしたお金で飲みに行っていたかもしれないし、そっちのほうが金額的にも大きいにもかかわらず、どうして『電子レンジ』なのか。しかも、買ったのは食品衛生課で、買った理由が『冷凍食品の味を見るためとして』とある。
そのすぐ後に書かれていたのが
各課の金庫で保管していた現金・金券類が計4400万円あることも判明。このうち、業者のプール金から購入した金券類を換金するなどした現金は2300万円。通帳で残高を管理していた。
とある。こっちのほうがもっと重大に取り上げられてもいい。なぜ記事のタイトルが
なのか??
ではないの??電子レンジは悪くないよ。
引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090909-00001236-yom-soci
ウンコウ
まずはコミケットへようこそ。コミケットに新たな仲間が増えたことを心から歓迎する。
今回の君たちの所業をやり玉に挙げて君たちの参加を厭う声があるけれど、次もぜひ「参加」してくれるとうれしい。
僕が初めてコミケットに参加したのは晴海から有明に移ったころで、僕はその時中学生だった。
青春18きっぷを買うお金も出せなくて、無銭乗車で上京して東京駅から晴海行きのバスに乗った。
そのサークルしか意識になかったし、ほかの人がどんな創作活動をしてるかなんて思いもよらなかった。
準備会から禁止されていることもたくさんやった、徹夜に会場内ダッシュ、サークルチケットで入場しての買出し。
それでもコミケットは楽しかった。行くたびに超大手だけじゃなくて島中に足を延ばすことも増えたし、友達も増えた。
地元の同人誌即売会にも行ってみるようになったし、スタッフとしてイベントを運営することもやってみた。
今は本を売ること、情報を発信することが楽しくなったから机の中で参加している。
かれこれ30回、15年参加して気づいたことは、コミケには毎回新しい楽しみがあって成長がある。
だから、君たちもまたコミケットに来てほしい。無知故のやんちゃは若者の特権で、自分も身に覚えがないわけじゃないからとやかくは言わない。
君たちの不作法は僕たちの不作法でもあって、先輩たちがしてくれた様に、僕たちには先輩として君たちを教育する使命がある。
僕たちの教育方法は間違っても教育的とは言えないけれど、それも含めて後世に伝えていくべきことだと思う。
だから、次のコミケットにもぜひ来てほしい。「お客さん」じゃなくて「参加者」として、10年後20年後の担い手として帰ってきてほしい。
もうすぐ30になるおっさんから、今回初めて来た若者たちへ。
http://anond.hatelabo.jp/20090725093556
悪いのは、いじめるやつ。
原因は、いじめられるやつ。
この思想から危険な香りを嗅ぎ取ってるので、子供に教えるのはなんとか思いなおしてもらいたいんだ。丸1日考えたんだが、どう言えば伝わるのかわからない。
1から10まで、自分の所属するコミュニティにそぐう人間なんていない。誰でもが「どこか変」なんだ。いじめっ子は「そこを指す」だけなんだよ。今回のことだってそうだ。事実は「いとこに失礼なことを言って引っぱたかれた」ということだけだ。そこで若いくせにおじさんめいたセクハラ発言をしたことがやり玉に上がった。じゃあ、ここが改まったら、もういじめられないか? んなことないんだ。指せる場所なんていくらでもある。コミュニティが替われば、内容も替わる。矛盾した事が「変」と言われることだって、もちろんある。
「いじめられる側に原因がある」と考えている限り、いじめはなくならない。なぜなら、その原因をいつでもどこでも取り除いておくことなんて、人間には不可能だからだ。
日本的同調圧力ってのは「こういう風に世間に合わせておけば、いじめられないよ」と、誰もが親切心から同調しているから始末が悪い。圧力に屈しない人間に「親切に言っているうちに聞いたほうが身のためだよ。忠告してやったのに従わないなら、いじめていいってことだよね」と簡単にエスカレートする。
タイトルが途中で切れてしまった。本当は、
なんとなく便乗
http://anond.hatelabo.jp/20090711161753
最近オタ系の個人ニュースサイトでも、割とおおっぴらにエロ漫画のレビューなんかへのリンクを見かけるようになった気がする。まれに「怪作」とでも呼ぶべき代物が登場する分野なので、それはそれで不快だと思った事はない。エロ漫画レビュー専門のブログなんかもたまに見かけるようになった。
んで個人的に、そろそろこの界隈の人達も、何らかの認識を一致させておく必要があるんじゃないかと思う事案があるわけ。P2Pで大量に出回ってる漫画ファイル。
あれ凄いわ。発売直後に速攻で流れるんだもん。人気のありそうな物は片っ端から、殆ど全て。中には、秋葉原あたりで発売日前にフラゲして、そのまま発売日前にばらまかれる事すらある。人気漫画家に限れば発売から10日以内に流れる確率70%。一ヶ月以内に流れる確率90%って感じ(俺の個人的印象)。
ちなみに、先月の成年コミック(黄色いマークがついてるやつ)の流出状況はこんな感じだ。
タイトル(一部伏せ字) | 作者(一部伏せ字) | 発売日 | 推定流出時期 |
---|---|---|---|
**の夜 | *玄 | 6/19 | 発売1日前 |
****されたい | ****たかし | 6/26 | 発売4日後 |
****のつくり方 | **の者 | 6/17 | 発売12日後 |
****な日 | * | 6/27 | 発売2日後 |
***性活! | **Q弥 | 6/17 | 発売9日後 |
*****・はらみっくす | **しゅん | 6/10 | 発売16日後 |
****じゃダメかしら? | ***えい | 6/19 | 発売9日後 |
**** *****と妹の…!なコト | **かづき | 6/25 | 発売6日後 |
新装版 ***ママ | *六 | 6/25 | 発売9日後 |
***嫁 | **あるちゅ | 6/29 | 発売6日後 |
覚えたて | **・フィーユ | 6/5 | 発売6日後 |
****プリンセス!! | *****宝田 | 6/27 | 発売4日後 |
そんっなに**させたいの? | *****宝田 | 6/27 | 発売4日後 |
**** DOLL | *安 | 6/1 | 発売1日前 |
**はら | **薯 | 6/1 | 発売34日後 |
こういう状況が未だに放置され続けているわけよ。放置されているものだから、「出版社に通報してもあいつらは絶対に動かない。警察が動くと自分達が困るからだ」と、まるでヤクザかチンピラの言いがかりみたいにやりたい放題やってるわけだ。
自腹でエロ漫画レビューしてる人達は、自分達が身を置く文化圏の中にこういう奴らが少なからず混じっている事に対して、そろそろ何らかの見解を示すべきなんじゃないか?
それと、出版社がこういう不法行為を黙認している理由が全く分からない。出版不況が叫ばれているこのご時世だから、知っていて黙認しているとはとても思えない。仮に知らないのであれば、ネットと親和性の高いオタク相手の商売の割りに鈍いとしか思えない。かといって、批判するだけじゃあ何も生み出さないわけで、せめて「違法アップロード許すまじ!」の声を上げて、出版社や漫画家へのアピールをすべきなんじゃなかろうか。
guldeen これはひどい, copyright, p2p, comic, ero エロ漫画家のひんでんブルグ氏も自分のブログでちらっと触れてたが、例えば中華圏など「訴訟しても賠償金がロクに得られない」国で主にワレズされてるってのが問題。作者に利益が来ないフリーライド問題は根が深い。 2009/07/13
そういうブツってのも、日本のP2Pやアップローダーから流出した物が出所だったりするけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20090713192556
エロゲやソフトみたいな単価高いものだと違法DLの影響力はハンパないけど、エロマンガや同人誌みたいな、せいぜい単価1000円の品の場合は、違法DLがあってもなくてもさして変わるもんじゃないと思います。
たとえそうであっても、正当な権利を持っている出版社や漫画家が黙認する理由にはなり得ないな。著作権を侵害されているのは確定的に明らかなんだからさ。
それと、出版業界自体が全体的に右肩下がりの状況で、エロ分野なんてのはまさにそれがモロに出ているわけで、「犯人捜し」の結果として違法アップロードがやり玉に挙げられて、業界全体がダウンロード違法化に傾かないとも限らんだろう。
だって、「レイプレイ」と同じくらい、もしくはもっともっと反社会的な本や映画やアダルトビデオは前から死ぬほど流通しているし、それらは全然問題視してない(なかった)よね。
特にアダルトビデオのレイプモノやハードプレイモノなんて、演技でやってるとはいえ実際に女優にかかる精神的・肉体的負担は半端じゃないだろうから、その反社会性はエロゲーの比ではないはず。
じゃあ何で「レイプレイ(というかエロゲー)」がこんなにもやり玉に挙げられているかというと、それが「ゲーム」だから、というのが答えなんじゃないかと思う。
つまり、毎度おなじみの「ゲームはインタラクティブだから現実と虚構の区別が付かなくなってしまう!」という非ゲーマーさんによる批判だ。
多分彼らは、ゲームをあまりプレイしないが故に、ゲームのインタラクティブ性を過剰評価しているのだ。
でも実際には、ゲーマーであればあるほど、ゲームは所詮ゲームでしかないことが分かっている。
何故なら、ゲームをやればやるほど、それがフラグとアルゴリズムと変数の集合体でしかないことが分かるから。
勿論用意されたストーリーに触発されてプレイヤーの心境が変わることは十分にある。
ただその触発されやすさは、基本的に従来のメディアに比べて特別高いということは全くないんじゃないかな(ゲームに影響されて何か始めた、という人は実際凄く少ないと思う。それより、漫画を読んでテニス始めました格闘技始めましたとか、映画に影響されて喫煙始めましたとか、本を読んでモチオは新世界の神だと思いました、なんて人の方が圧倒的に多いんじゃないだろうか)。
あと「地下へ潜れ」発言に関してだけど……はてブって地上だったのか!
*なお、エロゲーの影響力が本・映画・AVと同等かそれ以下だということを踏まえて、あらゆるメディアからレイプモノを排除するべきか否か、というのはまた別の問題である。
*個人的には、AVのあまりにもハードな撮影のものが一番問題だと思うが……。
*凌辱系エロゲーに関しては、「特定の性別への偏見をなくすため、ヒロインは男の娘と女の娘が半々の比率でなければならない」「主人公破滅エンディングを必ず用意する」みたいな規定を作ってはどうだろう。
その手の論調で具体的なタイトルや増加本数を挙げているものが過去に一つでもあったっけ?
自分の感性が最新ゲームについていけなくなって、それを肯定したくないがゆえに、さしあたり分かりやすい「グラフィック」をやり玉に挙げているようにしか見えんよ。
言うなれば、ゲーム分野の主役は今時の子供達なのに、インターネット分野の主役である二十~三十代男性が主導権を渡すまいと必死に今のゲームを否定しているわけで、「活字は味がある」とか言ってる新聞屋の的外れなインターネット批判と同じ臭いがする。
はじめに
ログのすなどりに嫌気がさし、大半の人は「水伝」との係わりを渋ります。折りしも「●かな●さん(他称?のため)」のコメ欄で騒動が再開されました。予備知識がなく二の足を踏むのはもっともですが、人物が整理され、構図も実相も鮮明となっています。臆することなくフリーハンドで結び目を解く新人が参入して良い頃、読者にとっても良い機会ではないでしょうか。
人物(A・B・C・D)
!現在「共感派」を構成するのは、二年前の不用意な記事がやり玉となったブロガー同盟ではなく、Cを起点にはじけた「連座制が嫌で黙っていたけど、心中は穏やかではなかったです」タイプの中間層の繰り上げ。
四人には「蜜月時代が嘘のような」という紋切り型は相応しません。不即不離、木箱(親和的ではないサークルに向けるあなたの呼びかけは、共感、論理派以前の分岐点となります)に居心地良く収まった当時の様子はたやすく思い描くことができるでしょう。論理派(世間知を蔑ろにするトラブルメーカー!)が、数多のブログから応答が困難な共感派(反知性主義の擁護者!)の文章を今もこぞって俎上にのせるのは、私怨だけで説明がつくものではありません。
!水伝には「的確な人物評は罵倒と見分けがつかない」という魔法の言葉が存在する。
o A 「軽はずみな謝罪を行い、軽はずみに謝罪を求める」人物とされる。「怒りの表明と記事の削除、言明(反省)を促す行為は、謝罪要求にあたらない」といった理屈を受け止めることができるならば、あなたはこちらのグループ(論理派)に入る。
o B そのパートナー。踊り子の軽快なステップ、武道家の重厚なさばきを併せ持つ論客を自負する。まるで組み手上等の伊東富士子だが、場に響くのはきしみ、無理強いした関節の悲痛。
o C その友人。職業スキルに信頼を置く千の衆望を担った元メルマガ発行人。耳目をそばだてるフレーズを多用し、自身への火の粉を振り払うためでも、育成したスキルのネット社会での応用を頑なに拒む。
o D その崇拝者。コピペブロガーの上位にあたる引用ブロガー。三行を超えたコメントの通読が苦痛をもたらすのは、選択と長短が不適切だから。「違和感は読者を立ち止まらせるための文章術」という評判は拾えず。
人物(E・F)
先の四人とは趣が異なり、リアルで交流を楽しむ情景(たとえばBとEのテーブルを挟んでの談笑)は、どれほど想像をたくましくしても浮かびません。
左翼的言論を活発に展開していた四人は異質を迂回できず、受容か拒絶の択一を自身に課しました。Eグループが騎士団と呼ばれ、Fグループがカルト(信者)に喩えられたのは、EとFがシンボルに祭り上げられた(落とし込まれた)からです。二人への直接批判は無益と下部が了解している節があり、強い批判が引き受けた支持者らへ向きます(沈黙は肯定か逃亡とみなされます)。
E・Fにカリスマ性は露も認められませんが、サークルクラッシャーの資質は備えます。隙が多いのも特徴的で、Eはそれを「観測気球」、Fは「無頼」とする演出が見え隠れしますが、今に至るまでその効能は明らかになっていません。
背景
水伝一幕は、科学リテラシーを感情で語る者と品格を論理で語る者との争いでした。ネットの論争で前者に勝ち目はありません。その「論理」で科学を語り、ほころびが露になる前に敵失によりステージが一気に変動したのです(トラバ論争)。qed「水に脳はないから水伝はいんちき」は、外野の「理系」にも含みを招いたことでしょう(一人が対話を試みましたが、Eの「謝罪認定」で終了します。そのブロガーはようやく「事情」を悟り、取るに足りない汚名と引き換えに撤収できました)
前者が退いた後もネットリテラシー、主観論、運動論を引きずり、メンバーの参入と離合が劇的に行われます。グループ分け終了後の大きな対立軸としては、Eの「邪推が成り立つ」、Fの「ハラスメント」問題があります。語りつくされた疲弊感も漂いますが、「謝罪論争」直前のBの失言など踊る余地も残されています。
渦中へ
G(A)のコメ欄に向かう前に、読者は論点に対する見解を用意します。
o「双方論争」から引いた「卑怯者論争」は正当か?
o Gの回答(ハラスメント)はなぜ無効とされるのか?
o グループ内で発せられた嘲り、暴言に論理派が倫理の判定を「忌避」した理由は何か?(流れを読め、発言者本人に尋ねよ、罵倒芸だ、訴えればどうかと回答した人々の真意は何か?)
o 過去ログから相手側への謝罪が提出された場合、論理派は詰みではないか?
o 論理派の張った狭義(「双方」は頻度と深刻をデータ化し、等量である事を明示)、予防線(性的言辞は最大値、蔑称は最小値をとる)は妥当か?
o 一般認識、文脈大問題は「邪推が成り立つ」を問われた場合、詰みではないか?
o 「嘲笑」目的以外の、コメント削除を行いながら投稿禁止の処置をとらない理由は何か?
過去へ
ひと続きの古い結び目から解きたいと希望する読者は、出典をみずから発掘し、不明な部分の詳細を確認することが条件になります。引用を避けたのは、騒動の教訓に「人は埋め込まれたリンク先すら読まない」とあるからです。
関連を訪ね、水伝以前までログを遡ることで「神の視点」を体感し、デッドエンドの憂鬱な記録を「ハッピーな」団欒シーンで読み終えることができます。
「春樹受賞の弁」を踏み台にするのは良い考えではありません(デッドエンド)。会話はA・B・C・Dに限ること。他と応答する義務はなく、価値も認められません。四人は確かに傷を負い、自分に借りを作りました。伝言ゲームの応酬では勘定が合わないはずです。
おわりに
嘲笑や恫喝は慣れっこだが、家族への言及には耐えられない、尽力する保護事業に累が及ぶのは不当だと考えるなら、goo。
※劣勢の共感派への疑問を追加(しかしAE混成チームに痛み分け以上の戦績を残せる者が何人いることか)。
共感派は論理の不備を質されている訳ではなく、誰かのそれに乗じて済ました過去を見咎められている(みんなで笑ってやろう)。その「論理」が牙を向いたとき、なすすべもなく動転し、次に誰かの当てこすり、空騒ぎに乗った。以前の踊り場がどれだけ狭量なものであったかに目を背け、遥かに刺々しい場所を臨んだのではないか。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090117/stt0901170020000-n1.htm
■先日(1月10日)、産経新聞主催で開かれた全国学生論文大会・土光杯のトリテキ(テープ起こし)に動員された。22日の新聞に、優秀作品の要旨が載るので、詳しくはそちらを見ていただくとして、ちょっと印象に残ったのが賞外の「地方議員となって地域から日本をかえる」という内容の論文を発表した池田裕文さん(東北文化学園大2年)。質疑応答タイムで、弊社の斎藤勉編集局長に「今の国会議員で誰が好きですか?」ときかれて、「麻生首相」と答えていた。
斎藤「なんで?」
池田「今までのようにただ座って人の話を聞いている首相より、批判されようと、こうしてみようか、ああしてみようかと、ちょっと意見が出せるところが憧れ」
■ 尊敬する政治家、優秀な政治家ではなくて、好きな政治家は?という問いがでてしまうあたり、そうか、政治家って人気商売なんだ、とあらためて思った。そう、選挙で誰を支持するか、というのは結局、好きか嫌いか、印象なのだ。だから、内閣支持率2割をきった麻生首相が歴代の首相に比してどれだけ劣っているか、といえば、理由をあげて、きちんと説明できる人は少ない。単に印象が悪い、というだけ。
■小泉純一郎元首相は、産経新聞・FNN合同世論調査では、麻生氏より上位の人気を誇る政治家。でも、考えてみれば、今、麻生政権の対応が遅い、不足していると野党から批判を受けている派遣切りや雇用対策の問題は、2004年の小泉政権時代の労働者派遣法改正がねっこにある。あのとき、派遣労働が新しい雇用スタイルなのだと、これぞ構造改革なのだという主張に、世論も納得したはずだった、よね。当時、日本にいなかった私はあまり、当時の世論の動向を把握していないのだけれど、そう聞いている。でも今、あのときの労働者派遣法改正を批判する人は結構多くて、舛添厚生労働相は派遣法の見直しを主張している。
■というわけで、政策がいいか悪いかは、実は首相や内閣の人気にはあまり関係ないようだ。私のまわりには、派遣法改正も郵政民営化も結果的には失敗だった、と思っている人が多いが、小泉さんは好きだという人も多い。やっぱり、海外の政治家と比べても見劣りしない、不思議なかっこよさがあった、と感じている。これも印象。
■そもそも政策の善し悪しなんて、一週間や二週間ではわからない。何カ月後か、何年後か。結果が出ているころには政権がかわっていることも。麻生政権が打ち出す経済・景気対策については、定額給付金がやり玉に挙がっているが、逆に言うと定額給付金以外は、ケチのつけどころがみつかっていない、ということかもしれない。
これほんとのやりとりなんだろか。
池田「今までのようにただ座って人の話を聞いている首相より、批判されようと、こうしてみようか、ああしてみようかと、ちょっと意見が出せるところが憧れ」
「漢字が読めないから」という理由で首相に悪印象を抱かない学生をいぶかしがる新聞社のお偉方。もしくは茶化すような口調だったのかも知れないな(活字からはその場の雰囲気は伝わってこないので)。彼女なりに政治家の評価を見定めようとしているのに「でも漢字読めないよw?」と茶々を入れているシチュエーションを想像して吐き気がした。お前らよく「若者の政治離れがどーたらこーたら」と偉そうなこと言えるよな、と。
A.違います。
社会の時間に「言論の自由」について習って、んでもってそれ以上の勉強はしてないふつーの人には、相対主義批判は「言論の自由」に反しているように見えたりします。意見の多様性を認めない、ということだからですね。でもそもそも、「多用な意見を認めない」の「認めない」ってどういう意味だ。
さらに言えば、「馬鹿は口を出すな」は、「非国民は黙っていろ」と被って見える。ほんとは大きく違います。「学」と「愛国心」がまず違う。迫害の有無が違う。ただ、時勢によってこれらは見分けがつかない物になるかもしれません。戦時においては「無知ゆえに非国民」という考え方もあったでしょう。
いろんな文化を認めましょう、というのも相対主義。文化相対主義。宗教だったり食文化だったりに偏見を持つのはやめましょう、っていう考え方。捕鯨だったり、食用犬だったり。どうですか。どう思うよ。どうだ。文化相対主義の理論自体を否定する人はあまりいないけど、テロ、奴隷、虐殺なんかを文化と居直った物を認めるべきか、っていう問題がある。んで、倫理と文化は密接に関わっている物の、そこは別問題だろ、ということになってるらしい。倫理相対主義とか言っちゃったり。
でもね、そもそも相対主義は何かを擁護するためのものではなくて、単に偏見を持たないようにするためのものなわけだ。だから原則論としては、相対主義そのものより、歴史修正主義や疑似科学が相対主義を利用することをこそ、批判するべき。するべきなんだけど、相対主義が歴史修正主義や疑似科学の温床になってるから相対主義そのものを否定しておきたい。ええい、もう相対主義はうんざりだ! 諸悪の根源め! うんざりうんざり! うるさいうるさいうるちゃい!という思いを抱いてる識者や学者は多い。もうピリピリしてる。
彼らにとって、隙あらばこちらに身をねじ込もうとしてくる歴史修正主義や疑似科学(或いは、歴史修正主義を含む疑似科学)に対抗する手段は、「そうは言っても、実際のところはわからないよなー」という意見をも、認めないことなのです。ようするに、「わからないなら、わざわざわからないってことも言うなよ!」なのです。そうすると、議論が混乱しない。理想的ですね。
ところで、この対抗策は現実的ではないですね。馬鹿に「馬鹿は黙っていろ。口を出したきゃ勉強しろ」と言うことはできるけど、でも言うことができるだけ。これは言論の自由の否定でも、言論統制でもない。説教でしかないんです。言論統制なんてできるわきゃないんです。
で、逆に言うと。言論の自由が認められている以上、誰が何を許さなくても、誰が馬鹿を糞の如く罵ったとしても、結局、あらゆる意見が世の中に出回るってことは、容認されてしまう。最近やり玉にあがってる東氏の考えは、それでも暴走しない社会作りをどうすればいいか、というものですね。
で、表現に気を使わない東さん、「勉強不足」や「誤認識」を持つ人間が出ることは避けられないし、彼らを黙らせる有効な手段はないですよねー、どうしましょう、という例に「南京大虐殺」を使ったことで、歴史修正主義者どもにぴりぴりしてる歴史学者さんとかに総叩きにあってるわけですね。「僕も実感がない」とか言っちゃって、「わからないなら勉強しろ、勉強しないなら口を出すな」と言われてるわけです。傍目から見てたら「過剰反応じゃないの……?」って思う人もいるかも知れないけど、さっきも言ったように学者や識者はぴりぴりうんざりだ。
ところでどうすりゃいいんだ。そうだ。そもそも、全ての人間に、正しい歴史認識をちゃーんと教育してやればいいんです。そうすれば、無知な民衆を味方につけようとしている、故意犯的な歴史修正主義者達を孤立させることができます。理想的ですね。
ところで、この案は現実的ではない。たとえば歴史学だけならば、それほど多くの問題はない。いや、歴史学が簡単という意味ではないけど。でも歴史学でよく問題になる重要なことだけを抑える、というなら不可能とは言えないかもしれない。極端な話をすれば、まともな学者とそうでない学者を見分けることができるようになるだけでもだいぶ違う。
でもこれは歴史学だけに絞った話で、全ての馬鹿が、全ての分野において正しい見識を持つのは無理ですね。持つのが理想だけど、無理なわけです。無理なんだよ、よく覚えとけ天才ども。
とすると、無知そのものを批判するわけにはいかなくなる。全ての分野において正しい見識を持つことが不可能である、と論ずる人を批判するのもおかしくなります。そう、全ての分野において正しい見識を持つことが不可能である、という事実を言い訳に、勉強しようともせず好き勝手言う人を批判するべきです。勉強していない分野のことは黙っていろ、という話になります。あ、戻ってしまいましたね。
実際あの手の議論は、この単純な二つの議論を行ったり来たりしてるだけですよね。ねこ大好き。