2024-09-10

日本人に馴染めないのは宗教の「戒律」じゃないかという話

宗教ってなんで日本流行んないんやろな、なんて話が上がっていたが、

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/6161383.html


日本人には、宗教というよりも

宗教の「戒律」が馴染めないんじゃないかという気がした。


日本にも戒律のようなものは残っていて、

たとえば相撲土俵女性が上がってはいけないなどの掟は一種戒律のようなものだけど、

厳格にそれを守ろうとするのはごく一部の人にすぎない。

年配者は気にするかもしれないが、時代と共にその感覚はどんどん薄れてきている。

もっと身近な、ご飯粒を残してはいけないとかの掟は

戒律というよりも常識や習慣として根付いていて、それが宗教的な行いだとはもはや意識されない。


昔は日本も肉食を禁忌していた時代があったが、

実際には多くの人が隠れて食べていたというし、明治になったらあっさりと覆った。

そんな大らかさなので、食の禁忌戒律として厳格に決まっている宗教理解が難しい。

日本キリスト教がそこそこ受け入れられたのは、戒律比較的緩いからという理由もあるだろう。


いろんな宗教信者が混在している社会では、縄張り争いに勝てないと自分生活を守れないので

信者同士が団結する必要があり、団結のためのルールとして戒律が生まれた。(のだろうと俺は理解している。)

中東のような縄張り争いが激しい土地ほど、戒律もより厳しくなる。

アメリカなんかでも、異なる宗教信者が身近にいるからこそ、ある程度は団結する必要が出てくる。

一方日本では、過去キリシタン弾圧なんかはあったけど

いまの日本宗教絡みの争いは、一部のカルトを除けば、生活に身近なレベルではほとんど見聞きしない。


戒律というのは団結のために必要ものであって、団結する必要がない日本に厳格な戒律必要がないのだろう。

それは、「押しつけはいけない」という言葉に表れている。

地球の各地でいまも繰り広げられている宗教ナワバリバトルは、まさに戒律押し付け合いバトルだ。

一部の宗教にとって戒律とは押し付けものであり、日本にはその必要がないのだ。


ただ、SNS上のコミュニティでやたら細かくルールが決まっているところがあったりするが、

あれこそがまさに戒律のようなものだろう。

それが特定推しを崇めるコミュニティだったりすると、こうやって宗教というのは生まれるんだと思ったりする。

しかしその戒律は、外部の人間から見るとなんのこっちゃである

戒律とはそういうものであり、戒律必要ない社会平和である


なので日本人に宗教戒律が馴染めないとしても、

それは平和の証であり、その平和享受して暮らしていけばいいんだと思った。

日本戒律必要がないのだ。

  • でも憲法9条は戦争を放棄するという戒律ですよね?

    • だから大抵の日本人は本気で信じてないし逆に本気で信じてるのは正に宗教染みてる連中じゃん

  • 日本のキリスト教は異端が多いだろ 統一教会でなくてもユニテリアン系があるし、セブンなんとかもある 現世だけしかなく天国地獄がない 霊の存在を無視してるからなあ

  • う~ん、それは違うんじゃないかな。日本人ほど戒律が好きな民族(国民)はいないと思うよ。西欧においては、国家の成立過程からして契約や法律などのルールに敏感な一方で、人種...

  • 当時のユダヤ教徒が、原始キリスト教に改宗(本人たちにどの程度その自覚があったかはともかく)した理由の一つにコスパがあった。 羊を生贄にする儀式とか、貧乏人にはキツい。

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