大学生活で色々と悲惨な目に合って、完全に手遅れになってから中退した俺だが、昔から発達の気があって何をやってもうまく行かないことが多かった。中退も早めにしておけばまだまだ自力で道も切り開けただろうに、完全に投げやりになって数年してからようやく母親から中退の許可が降りた頃には、完全に人生に対する意欲を失いかけていた。
そうして中退を認められた俺だが、その代わりの条件として、別の大学に再入学することを余儀なくされた。辛いながら何とか入学にこぎつけたものの、奨学金もあまり残っておらず、バイトをしなければ授業料を支払えない。そんなことはお構いなしに母親からなんと「バイト禁止令」が出された。授業に集中するためとのことである。ちなみに俺が投げやりになっている頃にもバイト禁止令が出され、その結果、生活が荒んだ俺はこの忌まわしい規則を回避しようとしたが、母親の目はごまかせなかった。
ちなみに俺の実家は裕福でもなければ、授業料を支払ってくれるわけでもない。授業料を肩代わりする代わりに社会人になったら働いて返せとのことである。俺は意気消沈した。
そんなことがありながらも、最初の半年は何とか乗り切ったが、実家暮らしを強制されている俺は家事全般を任されることになっていた。授業が遅くなると時間に間に合わないこともあり、母親が帰ってくる前におおよそのことが終わってないと頻繁にブチ切れられた。バイトもしてないのに何故そんなこともできないのか、と度々怒鳴り散らかされ、性根が腐った母親のもとではとてもではないが、人生計画など夢の夢であると絶望した俺は次第にまた投げやりになっていった。
母親と父親の意見の対立も俺の絶望を加速させた。父親は二十代になっても実家から離れない俺に度々出ていけと癇癪を起こし、俺が二十の頃にはこうだったのにお前は金も払ってもらっているのに云々と、大学だの何だのお構いなしに場当たり的に怒鳴り散らしては、年寄りのように頑陋で融通が利かない物分りの悪さを見せた。ちなみに授業料は一銭も出していないのにも関わらず、この男は自身の金が浪費されていると勘違いしていて、いよいよその誤解が治ることはなかった。
幸か不幸か、母親は俺の大学生活に関して何も知らなかったので、単位の取得状況を鑑みるに、このペースでは卒業できないと思いながらも、この母親は何も知らずにいた。もちろん話したところでどうにもなるわけではない。そうこうして俺も三十に差し掛かろうとしていたが、三十而立という孔子の言葉とは程遠いところにいた。
ある日、母親に卒業できないということがバレた。いずれバレるにせよ、一分でもその猶予を引き伸ばしたいと思っていた先送り癖のある俺ではあるが、正直にそのことを話した。
母親はヒステリーを起こした。俺は母親のそういうところが嫌いだった。現実問題に目を逸らして、都合の良い絵空事を他人に押し付けていたのはそちらではないかと思いつつ、叩きつける雨のような非難轟々を聞いていた。俺は残りの意味もなく長いこの人生を、なるべく痛みなく浪費してさっさと終わらせたいと思っていた。
泣きました僕は奨学金無しで大卒で子供部屋おじさんです