誰にも何のことだがわかるまい。すまんな。
ルールがある。
そのルールはおれがいた頃のものとは少し変わっているかもしれない。
ルール変更があったか否かはチャンスがあれば確認するとして今は置いておく。
まあとにかく、現行のルールさえ守っていれば文句はないだろう。
いや、文句はあるのだ。
ルールがどうとか関係なしに、人は感情的に気に入らないことがあれば文句を言う。
ときにはルールとして明文化されている以上のものを他人に求めるだろう。
場合によっては、自分の信念に見合わない言動をする人間に対して、直接に不満をぶつけたりもする。
しかし、その行為は裏返すと、ルール上は問題ない行為であるがゆえに当人に直接怒りや不満をぶつけるという方法以外に、それを解消する手段がないということかもしれない。
さもなくば、ルールに則って(あるいは則るまでもなく)当人を追放する権力を持った上での最後通牒か。
今回のケースはおそらく前者だろう。
言い分に「それはおかしいよ」と指摘できるような穴はないものの、やはりルールを逸脱してるわけではないのだから「私の考えとは違うけど、そう思う人もいるんだな」という感想と、僅かながらの居心地の悪さしか湧いてこない。
100人超のコミュニティに所属していれば誰にでも、気に入らない奴の一人や二人はいるものだ。
しかし、ルールに抵触していない以上、気に入らないという極めて個人的な不快感で他人を排除することはできない。そんなことは許されない。そんなことが出来てしまう方が遥かに問題は大きいだろう。
今回はぎりぎり他人事だったが、この火の粉はいつ私に降り掛かってもおかしくない。
彼の言うような人間の方が立派なのは確かだが、私はそんな立派さを自分にも他人にも求めていないし、自分が立派に生きようと心掛けることは否定しないが、それを他人に求めることがいいことだとは思っていない。
適当で寛容なのがいいじゃないか。自らに課す信念は他人に不満が出ない限りにおいて持ち得なければ、人間関係はギスギスし、幸福の総量は目減りするだろう。功利的に考えれば真にアホらしいことだ。
それでも世間に不快感をばらまいてまで自分にも他人にも厳しくしていたいのなら、それは手前勝手なエゴでしかない。
老害だという言い分もあった。
「なるほど」という思いと「そういう話か?」という思いが同居している。
老害という言葉は便利なものだ。年上に使うだけで勝ったような気になれる。しかし、今回のケースは何度も言うようにルールに抵触したものではない。彼女が現役の時分から年を取って変わってしまったわけでもない。私は知っているが彼女は昔からずっとあんな人だったのだ。現役世代の意に沿わない年寄りはすべて老害である、というのはさすがに暴論だろう。彼女は全体で決められたルールを破っているのではなく、数多くいるなかの一人(あるいは複数)と考え方が違っただけなのだから。
まあこんなところだ。文章化してすっきりした。この文章を読んで気に入らなかった人が文句をつけてくることもあるかもしれない。
どうでもいい。私は既に満足したからそれらを読むことはないだろう。増田のコメントなぞ10回に9回はうんこを掴まされるクジ引きのようなものなのだから。
不快な気分にさせたならすまんなと先に謝っておく。