2023-09-09

結局、日々の習慣・言動が、性格と呼ばれるようになる

別に自分のことを賢いと思っていないけど 笑』VS 『自分が賢いと思うのに根拠は要らない』なら、後者の方が遥かにマシ

 

知能は多面的ものであり、単一観点から判断することはできない

しかし、もし仮に1から10までのランクで知能を客観的評価できるとしても、ランク1の人が自分が賢いと思っていても問題はない

しろ好ましいとすら言える

なぜなら、自分を『賢い』と定義しているなら、自身能力ランク1のレベル)で回避できる範囲の『賢くない言動』を避けることができるから

 

一方で、自分自分のことを『バカ』と定義している場合はどうだろう?

その場合、『バカ言動』がその人の正常な行動となってしまい、多くの人にとって好ましくないことになる

 

もう少し具体的に書いてみよう 

 

一般的学者高学歴であり、少なくとも低いIQを持っていない。しかし、中には自分の専門外に安易言及したり、陰謀論を唱える輩も存在する

人々がアカデミアをありがてぇありがてぇする理由(尊重する理由)は、研究試験論文評価作業によって情報評価する手間を省くことができるから

これらの評価作業数字やまとめに妥当性が求められる。しかし、自分の専門外に安易言及したり、陰謀論を唱えることを繰り返すと、

専門的な知識証拠に基づく情報を軽視し、論理的思考プロセスに欠けている人物だと多くの人は判断し、再評価必要だと考えるだろう

 

自分の専門外に安易言及したり、陰謀論を唱える学者を賢いと考える人ほとんどいねーと思いますけど、客観的事実は、高学歴で少なくとも低いIQではない

自分自身を賢いと定義し、そのように振る舞う自分を律する)ことの方が多くの人たちにとって遥かに良い結果になりそうではありませんか?

自分自分のことを『バカ』と定義している人は、信頼性が損なわれる言動を毎秒するため、代わりにやってくれた評価作業の再評価必要になる

高い能力パフォーマンスがあっても、まったく何の役にも立たない

 

『賢い』とは、"賢くあろう"という信念及び態度のことであり、性質(Character)や能力(Ability)そのものことを指すことはまずありません

自称理性的と同様だね

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