海外だっていくらでもピンナップ雑誌あるし、ピンナップモデルもいるが?
「自分の水着姿(を撮影する権利)」を商品にしているってことだよね。
それは「性の商品化」であることに疑いはないわけだが、それの何が問題なのか全くわからん。
ある女性に「性としての商品価値」があることが、「それ以外の存在価値がない」とは全くならない。
水着じゃなくても金よこせって?別に、その価値があるなら金払いますけど。
「水着にならないと価値ない」ってのは、別にその女性の存在価値がないって言ってるわけでは全然ない
ある買い手にとって金を払おうと思うほど商品としての価値があるかどうかと、
人間としての存在価値みたいなものは全然全く別ベクトルの話過ぎて混同できるもんじゃないんだよ
「水着を着たA子さん」と「水着を着ていないA子さん」は同じ価値なのかもしれないけど、
「水着を着たA子さん」を見たいという買い手がいるのであれば、それは水着をきて初めて生まれる価値なんだよ。
そこにあるのは単なる需要と供給であって、あくまで商品としての価値だけがあり、人間的価値なんか無関係なんだよ。
今回の撮影会中止のニュースへのコメントで「わざわざ“女性”撮影会というところが、男性の水着撮影会なら何も言わないんだろうということだろう」というようなものを見かけましたが、「男性の水着撮影会」ってそもそも存在しますか。多分ほぼないのではないかと思います。なぜないのか、「需要がないから」という人がいそうですが、そうではなくて「倫理的によくないだろう」と思えるからだと思います。需要はあると思いますよ、普通に。
でも、男性を水着にして鑑賞物にして一方的に楽しむ、消費するという男性差別的な文化が社会にないから、撮影会自体もほぼ存在しないのだと思います。
この節なんかめちゃくちゃ間違ってるよな。「倫理的によくないだろう」と思えるからだと思います。って、誰が考えるの?
オッサンが水着になって、誰かそれを見たい人が集まって撮影会してたら、倫理的によくないの?
なんで?心の底から理解できない。別に、勝手にやれよ。料金次第では俺も撮影されてもいいぞ。
はっきり言って人間の生きてる価値、みたいな話をするなら、橋本環奈だろうが新垣結衣だろうが、俺みたいな弱男だろうが、本来は全く同じ価値のはずだ。概念的にはな。
でも、現実にはその価値を決めるのは、何かを支払う側の主観なんだよ。
だから、不特定多数の人にとっては、俺よりハシカンやガッキーの方が価値が高いだろう。
でも、俺のかーちゃんだけはきっと、ハシカンよりも俺の方が大事だと言ってくれるだろう。
そういうことなんだよ。当たり前のことだけど。