女の子に「(現地語の)◯◯◯◯語を全部話せるようになったら、僕と結婚してよ」とプロポーズしてみた。
現地語の例文をいくつか一緒に読んでいって、その最後にそのプロポーズを付け加えたので、女の子は照れたのか、少し俯いて聞こえないフリをしたようだった。
明確ではないが、おそらくOKということなのだろう、その子はすぐ隣の宅なのだが、日に3、4回 私の名を呼んで呼び出してくれていたのを、その回数が3倍くらいになった。宅の敷地の境は竹でできていて、その垣根の隙間越しに、(昼食や間食を)ここで一緒に食べようよ、とも言ってくれるようになった。
睫毛の長い南国の容貌の、細身のとても可愛い子なのだが、問題が多々ある。
数日前、ある数字に11を足すこともできないことが発覚した…。
私はこの国に生活を移して もうすぐ7年になるので、これが何に起因して、それが何の帰結をもたらすか、ということを私は十分に理解している。これは、単に「算数ができない」ということではなく、その上位の、「何かを我慢したり、努力したりする。それを継続する」ということができない、ということを示しているのだ。それがどのような望まない結末に至るか、は言うまでもない。
さらに昨日もその女の子が歯を磨く習慣を持ち合わせていないこと、そして家族5人全員が同様であることが判明した…(村の他の家がそのようなことはほとんどないと思う)。父母ともさして歳がいっていないのに、フガフガとした口調で、片方または双方が酒を飲んでは時々夜中に口論している。
彼女の前歯も黒く蝕まれており、半分くらいになってきている。このまま行けば、数年のうちに歯はボロボロになるだろう。
くだらない話で申し訳ないが、この元日、別の女の子にフラれてしまい、今回の女の子も全く顔を見せなかったことから、年初の2、3日は本当に廃人みたいな歩き方になっていた。自分の中で生活に対する女の子の比率がこんなにも高かったのかと思い知らされ、これ以上あの枯渇感を味わうのは御免だ、と今回のプロポーズに至ったわけだ。男ってアホだなぁ。
そんなわけで、これまでの独立独歩の日本人といった位置から、同化政策へと大きく舵を切ることに決めた。現地の人と同じ言葉を使い、同じ仕事をする、ということだ。
自営業を営む程度ならどうでもいいのだが、結婚をして家庭を持つとなるとそうはいかないだろう。特に現地語が話せないと何かあったときに全く介入の余地がなくなる。これまではそうだった。
そうして、彼・彼女らの内面に入っていく、ということなのだが、上記のような文化・習慣を持っている南国の人たちの「内面」が私の理解・許容できるものかといった点については非常に疑わしい。当初に現地語の学習はほどほどにして見切る、としたのもこの理由による。しかし結婚を視野に入れたとは、それを学ばざるを得ないだろう、ということだ。
私への呼び出し回数があからさまに増えたが、さして彼女の側に特段の話題があるわけでもなく(理解できる言葉は限られているのでそもそも会話らしい会話とはならない)、他愛もないやり取りが続き、私は家事や仕事の準備があるのに、呼ばれるたびに出向いて相手をするわけなので、プロポーズして3日で少しウザいように感じるようになってしまった。未熟の青マンゴーに臭い酢とバゴオン(アミエビの魚醤)をつけたものを供されて「おいしい?」と訊かれたときにはさすがに答えに窮した。
歯が無くなり、ゆくゆくは皺もよる彼女の「内面」をそれでも私は愛せるだろうか。
呼ばれて行くと稀に、わざとだろう、バスタオル一枚だったり、水浴びをしていたり、着替えの最中だったりするので、まぁ今のところはシアワセ、現地に倣って先のことは考えないでおくか。
ヤリステして日本に逃げ帰る未来が見えた。
なんという女の敵・・・今すぐ別れよう、傷が深くなる前に