2022-04-01

男女の体力差の評価

男女のそれぞれのジェンダーコーリティ認識齟齬が何に由来しているのかを考えると、結局、男女の体力差をどう捉えるかに起因しているように見える。

まりは、制度的な優遇負担増によって均すべき性差として捉えるのか、それともそれぞれの能力として捉えるのか。その認識の違いで「どちらがゲタを履かされている」のか、その見方が完全に対立しているのだろう。

問題は、biological に女性男性よりも優越している要素が、ほぼ皆無であるである。そのため議論自体がイーヴンにならない。唯一、男性には出来ないこととして妊娠出産を考えてみる。実は社会的負担の話で、妊娠出産を持ち出すこと自体問題ではある。なぜならばそれは生殖の、女性側の行為負担であるにすぎず、男女の行為としては生殖として捉えるべきだからだ。つまり男性にとっての「射精」が、女性にとっては「生理」「妊娠」「出産」とイコールであるということだ。こうしたジェンダー負担の話になれば女性は追い込まれれば「女からまれてきたくせに」と自ら、自らの存在価値子宮しかいかのような捨て台詞回帰しがちなのだが、実は捨て台詞としてすら機能していないのである。なぜならば、そう言っている当人の半分は精子由来だからである

とは言え、生殖において女性負担一方的に重いと言う事実を重視するのであれば、生殖における意思決定権を有意女性側が握っているとも捉えられ、それを男性に対する優位性と仮置きして見ることは出来なくも無いだろう。

実際、人工出産合法化されている国においては、代理母ビジネスが成立している。男性には逆立ちしても従事できないことなので、代理母ビジネスは数少ない女性が優位にある経済活動であると言えるだろう。つまり女性側が考えがちな、制度的な優遇負担増によって均すべき性差が本当のジェンダーコーリティだとするのであれば、女性強制的に「産む機械」としての義務をはたさなければならない、と言うことになる。それが男性の体力腕力フリーライドすることへの見返りであろう。

男性からすれば、「なぜ私の子宮を他人にどうこうされなければならないのか」と言う女性感情レイヤーと同じく、「なぜ俺の物である体力腕力を女のために使わなければならないのか」と言う感情的な憤りが生じていると言うことが男性側にも生じていることを女性理解するべきである

  • 強者男性が70点、強者女性が50点、弱者男性が50点、弱者女性が40点だとすれば、フェミニズムによる女性優遇政策で男性は-10減点されて、女性は+10加算されているとする。そうなると強者...

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